新しいものを表示

今日のmyFFF短編、「2匹は友だち」はまあまあ、「カナダでの暮らし」はいまいち。でもなんか、これくらいがいつものmyFFFだよなと思ってなんとなくホッとしたり。当たりが続きすぎると不安だからね…去年の短編なんかどうでもいいのがほとんどだったもんね…(パロマくらい?)。長編のレベルはバラけてるので、あとはよく選んでみたいところ…

ストップメイキングセンスというかトーキングヘッズがいまだにわからないので、私は永遠に映画や音楽の良し悪しはわからない側なんだと思う

myFFF『スペアキー』も良作で、感情を表に出さないタイプの15歳が他者を知り自分になる一歩の話としてそこまで大人ぶることだったり恋愛や性に比重が置かれてないとこがよかったな。全然ないわけではないあたりがそういうもんだよね、と。

主人公、年齢よりしっかりした子(であることを求められてきたから、と考えるとせつない)ではあるけど、ときどき年齢なりのこどもー!なとこが見えるので、それはそれでヒヤヒヤが増す。チャップリン映画にケラケラ笑い、プールからあがらない。

移動するとき(自転車のシーンの「このときはひとり」感がとてもいい)以外は画面内に存在する音楽以外をなるべく廃してたと思うんだけど、ストイックにはなりすぎてなくて、そのバランス感覚もよかったと思う。母親の描き方がダメな人一辺倒にはなってないのにも好感。まあダメではあるけど。そういうもんだよね(2回目)

家族がワチャワチャしてるのでいつも小間使いみたいな扱いをされてるが、別に家族が嫌いなのではなく、ひとりになれないストレスが…を一言も他人に打ち明けない、咥え煙草の15歳のハードボイルド。自分ひとりの部屋はなくても、ラストにはもう「わたしは1人であること」をわかって立っている、という構図も良かった。

映画見たいタイミングにうまくハマらないー

「遠い声、静かな暮し」良かったな。良かったけどU-NEXTで見るとVHSっぽかったので(綺麗になってこれなのかもしれないが)小さい画面で見たほうがよかったかな…
とはいうものの、そんなにバキバキである必要はない、むしろそのガビガビっとしたところも断片で綴る「彼らはそこにいた」映画として気持ちが引き寄せられた理由になるかもしれない。擦り切れて折り目のついた色褪せた写真みたいな感覚で。

幸福な時間なんてほとんどない、暴力的な父と耐える母の間に育った3人のこどもたちの「父がいたとき」「いなくなってから」(タイトルの出し方すごく良かった)話が淡々と語られる、本当にそれだけなんだけど(この映画の女に威張り散らかす男たちは割と旧作邦画の男たちと似てるとこがあるのね、時代も40-50年代が舞台で私がよく見る映画の時代と近いしね)私たちはこうして生きてきた、が時系列バラバラに動いていくのが見事な移動撮影で「建物の記憶」として映されているのがとてもよく。人が映ってない声だけのシーンほど胸打たれるの。何を見ても何かを思い出す。

みんな何かと歌いまくるのはもちろん物語の進行上でもあるんだけど、実際そうだったんだろうなあ、という感覚がある。みんなそうやって生きてきた。

アイアンクローはショーンダーキンなのでまあ間違いなかろうという安心感があります この短編みたときはこんな怖いのよう撮るな…って震えた vimeo.com/87582861

割と近いうちにまた行くつもりよ💪

仕事の出張みたいなスケジュールで東京行って帰って、ほぼ移動してるだけだったんだが、疲弊…

いい加減疲れていながらSNSというかTwitter手放せなくて、それは有益な情報をいちはやく拾えるのもまだTwitterだから困るんだよな…ってとこで。ほぼXになってしまった中でまだTwitterの感覚が残ってるのがね、かなしみがある…

本当にTwitterが不気味な場所になっていて、なんなんだろうなこれ…という気持ち

発言しないことでしか自分の魂が守られないこともある、と思うよ

ケイト・ブランシェットがめちゃくちゃ気に入って製作総指揮に入ったという経緯で、ジェシー・バックリーの前はキャリー・マリガンで企画開発されてたっぽいんだけど、きゃりまりだともっとビターでガチにあやうい話になってた気がするので、ジェシー・バックリーで大正解。というか彼女の「んー?」な表情を見るためにあるような映画なのでそれ以上に何を求める必要があろうか。

クリストス・ニク監督は『籠の中の乙女』でセカンドアシスタントディレクターだった人なんですね。ギリシャで撮った『林檎とポラロイド』は悪いほうにジャンルの模倣感が出てる気がした一方でランティモスのなんなんそれ?の低温性と比較するとだいぶ「人肌」感のある不条理劇だったのね、それが今回いい方に出ている。

で、この人もやたらとダンスにこだわりがあるところが面白い(ランティモスほど謎ではないけど違和をふりはらうように身体を動かすので自然に乗っている感じがしない)…というか奇妙な波全体のシグナチャ?演劇からきてるからかな。アティナ・ラヒル・ツァンガリも変な身体運動にこだわる人だよね確か
twitter.com/vertigonote/status

スレッドを表示

『フィンガーネイルズ』Apple TV+のオリジナル映画なんですけど、結構よかった。カップルがお互いの相性検査を実施して「陽性」の科学的保証がないと継続しないのが一般的になってる世界の話。なお相性検査は生爪を剥がして行われる(電子レンジみたいな機械でチーンと判定される)。

なんだそれは?な世界の話なんだが、それ以外は全部よく知っているものでできている。比喩として無茶ではあれど、関係の外部評価を受けるのが一般化されたら、案外それはそういうものになると思うんだよな。もちろん任意、だとしても「不安が解消できるなら」人は科学が大好きだ。痛みさえも納得する理由になる。

もう少し先までいっても面白かったんではと思うけど、こじんまりしてるのもこの監督の個性なんだろな。前作『林檎とポラロイド』はしっくりこなかった私もこれは気に入った。大真面目にガワから作る(雨の音、フランス語の響き、危険の共有)ロマンティック。ヒュー・グラント映画のレトロスペクティブに笑う。

前作からしてギリシャの奇妙な波とチャーリー・カウフマンを繋ぐ話だったのでここで『もう終わりにしよう。』のジェシー・バックリーというのが効いていて、私は彼女の笑った時の片側がキュッと濃くなるほうれい線が本当に好き。訝しげにも楽しそうにも悲しそうにも見える。

あとキャスリン・ハンター出てるの知らなかったし、何ならこの人がギリシャ系なの検索して初めて知った。ランティモスと縁があったわけではなさそうだけど。

私はジョエル・コーエンのマクベスを全然評価してないんだけど、しかしあのキャスリン・ハンターはすごかった。むしろあれしか覚えてない。彼女もまた圧倒的な「身体の人」なのだ。

哀れなるものたちの話。ちょっと内容に触れますね 

最初のエネルギーこそ性的興奮一辺倒だけど、ただただ元気に超高速で進化する、何もかもが異質なベラの冒険はたしかに楽しい。「偽物の本物らしさ」を強調するセットデザインも強烈だけど、主にエマ・ストーンの身体運動と音楽の激烈さによって異質が「普通」をバリバリ踏みしだく。

そのさまは最高に面白いし、スーパーフィメール映画としてのある種の痛快があるのは認めつつ、やっぱ端々で意地の悪さというか「痛快だと思わせておく」たちのわるいしかけが入ってるような……特に終盤。

まあこれは私はランティモスをシステムからの離脱の不可能性の人と認識してるからで、もしかしたらもっとシンプルな捉え方でいいのかもしれないけれど(鹿殺しまではこの「その世界におけるシステム」が謎なので異様な話に見えやすいけど、女王陛下や今作では規範が現実とリンクしているので規範破りに快楽があるわけね、でも結局同じ話なんじゃね…?)とか考えちゃった。

後半では少し過剰な作り込みに飽きたこともあり、パリのセグメントからはもうちょい切ってもよかった気がする。そのぶんポルトガル謎ダンスを!もっと!見せて!(謎ダンスが好きすぎた)(でもあの程度に収めるのが趣味の良い悪食の範囲、ではあるよね)

スレッドを表示

『ソルトバーン』と『哀れなるものたち』特に意識してたわけでもないんだけど連続して見たの結構良かったのではという気がする。身体と箱の話であり、異質性こそがすべてをなぎ倒すという話であり、あとおそらくグリーナウェイ(見てないから想像)。しかしそれは本当に自由なんだろうか?

哀れなるものたち、謎ダンスありました!

監督の前作は周囲の評判イマイチで見逃してたけど、この機会にみようかな。今回のタイトルの出し方からして気の強さが見えるというか、どうもこの人は感じの悪さを恐れていないね?とニヤニヤしちゃった。映画には性格悪いなーだけで突っ走る自由だってあってほしいほうなのよね私は。フォントはタイムズニューロマン。

ベストオブベストのバリー・キオーガンをみせますぜの気合いは過去作ダイジェストの悪ノリにも見えなくないけど(あの鹿とかさー!)。でもゲロの跡だらけの洗面台とかバスタブのアレとか英国映画の悪食に美しさを見出す伝統的趣味のほうにいってる系では意外にもこれまで見たことなかったふうにも。顔がどんどん変わるしシーンごとに体型さえ変わって見える。三面鏡に映った三つの顔は同じだったけど、この人なら全部違う顔が合成なしに映りそうだなと思った。

私は知識欲もないしコモンピープルのモデルじゃねーわよ、とかウプッとなりながら吐かないとかロザムンド・パイクのノリノリでやっとんなー感も楽しかったが、謎に現れ謎に消えるだけのきゃりまりがツボでした。なんだよあれ。

スレッドを表示

ソルトバーン、ひっでーな!ってだけの話なんだけど面白かったなー。ひっでーな、だけなので映画として成立しうるところギリギリなんだけど、でも骨格がガシッとした性格の悪い話を見てるとその潔さに惹かれてしまう。過剰さも支配の力学ものとしてもある種の傲慢さがないと撮れないタイプの映画で、そこが魅力になってる気がした。

『オアシス』と『ふたりは姉妹』と短編も続けてきょうだいの幸せなつながりの話を見て、今年やっぱ質の面でここ数年でいちばんなのではと思うmyFFF。物足りない人もまあいるかなー、とは思うが、このやさしさが今の気分であることは重要だと思ってて、世の中のしんどさとの戦い方にはこういうのもあるんだよな、と思うのよ

スレッドを表示
古いものを表示
Fedibird

様々な目的に使える、日本の汎用マストドンサーバーです。安定した利用環境と、多数の独自機能を提供しています。