『カサンドロ リング上のドラァグクイーン』を見ました。ロジャー・ロス・ウィリアムズなので優しくて柔らかい映画にはなっているだろうと思ったのだが、予想以上に落ち着いたストーリーテリング。水彩画のようなタッチでルチャ版のリベラーチェ的な人物の物語を描くのもいいものですね。そのためやや浅くて淡い印象にはなるのだが、あえてそれを選んでる感。現実はもっと荒んでいたんではないかと思うけど、これがどういう意味のある映画かを考えてのことなんだと思う。
そしてガエルくん(ずっとくん付けで呼んじゃう人)の「カサンドロ」をまとったことで自分になっていく人としての演技の確かさ、グラマラスな存在感があってこその映画。コーチのお姉さんとの友情やお母さんとの仲良しぶりも真実味があるし、リングでのパフォーマーとして煽る仕草とかムーブ全体にすごい説得力あるのよね。似せることが第一ではないのだよなーという
先人たちに敬意を。自分を大事にしてくれない人からは歩み去れ。人生は続く。
あれ?なんか最後まで投稿できてなかった?
母とカサンドラ(というテレノベラに着想を得たということになっている、このあたりは脚色っぽいが・・・)をもとにしたドラァグとディスコティックの「自由」を「ルチャリブレは自由への戦い」に繋げてるのいいよなー。一方でどれだけ技術に優れたレスラーであるかはあっさり流されている印象、ここはもうちょっと踏み込んで見てみたかった気がする。でもそれは御本人のドキュメンタリーのほうでみればいいのかもね。というようなことも書いていた。https://www.institutfrancais.jp/yokohama/agenda/losier/
アメリカ映画(これアメリカ映画なんですよ!)における言語の使い方、ここまでこれたかという感じでそこも感慨深かった。主人公はメキシカン・アメリカンなんだけど英語話者以外とは一切英語で話していない。
一部で当時のTV放映の画面を再現しているんだけど、今作についてはその質感で「実際」と「イメージ」の距離調整をする方法が非常にうまくいっていたと思う(TVサイズだからいい感じなので配信リリースで正解だと思った)。という意味でララインの『NO』も思い出したり(スクリーンでみたがゆえにという理由で評価を下げてしまった珍しい例)。
入場曲や挿入歌も全部ちゃんとスペイン語版が使われてる。セレーナ版I WILL SURVIVEだったりCALL ME(デビー・ハリーの声そっくりだが?と思ったらブロンディがそもそもスペイン語バージョンが出してたのね https://www.youtube.com/watch?v=k92tNyCrOgk&ab_channel=Blondie-Topic)だったりFeverだったり選曲のノリはやはり共通の文脈のそれなのね。ディスコティックは自由の音楽。ルチャ・リブレは自由への戦いなのだから当然なのだ