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きのうは連句の人と少し話をして、連句って面白そう!って思った。連句の会に行ってみようかなあ。

俳句甲子園から無事帰還。若い人たちとたくさん話したけど、昔から若い人と話すのはどうも苦手。先輩だとまあ相手に合わせておけばOKだけど、後輩だとよほど人懐こい人でなければどうしたらいいかわからない。慣れなのだろうけど。

つい「審査員の立場」で見てしまって、それも疲れた。自分にはとても、地方大会と言えども審査員を務める資格があるとは思えないが、そんなことは言えない立場でもあるということも再確認した。それはともかく大街道の審査員はほんとうに大変そうだった。お疲れさまでした。

松山のホテルに着いた。しばらくバスを待ってたから暑い。明日も暑いのかな?

こちらへ来て、ヒグラシを初めて聞いたと言ったら、たいていの人は驚く。ヒグラシだけじゃなくて、アブラゼミもツクツクホーシも道北にはいない。いるのは、6月に鳴くエゾハルゼミだけ。だから、真夏はとても静か。よくドラマで真夏のシーンのバックに蟬の声が流れているけど、あれで夏を感じるのは道央以南の人だけだ(列島在住の人のほとんどではあるけれど)。

さて、結社誌の校正を今日中に終わらせないと、明日から松山へ行けない。あと少し。

さっきの耳鼻科に行った後の話。前に住んでいたところにはヒグラシがいなかったので、鳴き声を聞いたことがなくて、カナカナと鳴くという情報だけを持っていた。こっちへ来てヒグラシらしきものが鳴いているのを知ったのだけど、ぜんぜんカナカナとは聞こえない。ガチャガチャという感じ。

でも耳鼻科から帰ってきたら、明らかにカナカナと聞こえる。つまりただ高音が遮断されていただけだった。あちこちでカナカナって聞こえないね、などと言っていたのが恥ずかしい。

明日から俳句甲子園を見るために松山へ。松山も暑そうだが、ここと同じくらいなので、怖れることはなさそう。

昨日は数年ぶりに耳鼻科へ行って耳垢を取ってもらった。(自分では痛くて取れないので、聞こえにくくなったら耳鼻科へ行ってる)

取った耳垢を見せてもらったが、今までいちばんの大きさだったから、よほど頑強に詰まっていたみたい。病院でお金を払うときに、札が触れあう音に驚いたし、外に出たら蟬のやかましさに閉口した。

家に帰って皿洗いをしたら、皿の音が気になるし、洗面台の水の音にも金属音を感じてしまう。机にペンや本を置く音もひどく耳に障る。私はすぐに慣れるのだろうが、音に敏感な人はずっとこんな感じなのだろうな、と思った。新鮮な体験だったので、記録として書いた。

鈴木牛後 さんがブースト

【5ドルでも寄付していただけませんか?】

身元確認済み、以前からやりとりしている2名へのご支援をお願いします。

・1ヶ月も経たないうちに再び移動命令による避難を迫られているDeemaさん家族ですが、スマホが壊れてしまいました。情報が得られないのは死活問題です。
彼女の投稿の文章が素晴らしかったので、文脈を補って意訳してみました(画像右)。こうした言葉を持つ4万人以上が、毎日血と肉片になっています。
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[参照]

吉野靫  
 停戦交渉の一方で避難命令による緊急避難が必要な人たちもおり、ガザは引き続き予断を許さない状況です。  最近校正や講演準備が続いて最新情報をリストに反映できていないのですが、緊急支援を必要とされる方の情報が複数あります。Twitterでいさお子さん https://x.com/isaokode...

学歴ロンダリングという話を読んで。学歴ってブランドなんだなあと改めて思ったということ。日本の乳牛は99%ホルスタインだけど、そんな国はほとんどなくて、たいていはミルクさえ出れば品種にはそれほどこだわらない。雑種強勢を狙って雑種を作るくらいで。

日本でホルスタインが多いのは、今ではただ惰性(右ならえ)という人が多いだろうが、かつてはやはりホルスタインがブランド牛だからという理由が大きかったのではないか。

というようなことをさっき書いて消してしまったので、もう一度書きました。

あれ?間違って消しちゃった。ちょっと書き直すことができればいいのに。

今日も暑かった。そういえば子どものころは、暑い日に自転車を道路にとめておくと、アスファルトが融けて自転車のスタンドが道路にめりこみ、自転車が倒れていることがよくあった。

北海道だから暑さといっても大したことなかったはずなのに、そんなことがあったということは、アスファルトの品質が当時は良くなかったということなのだろう。

小学校に入ったころは、舗装されているのは国道だけで、その後少しずつ小さな道路が舗装されていった。そんな時代だから。

高石ともやさん亡くなったのか…。

私が学生だったころは、もうナターシャセブンの時代で、旭川市公会堂であったコンサートに行ったことがある。ファンだったので、ぜひ前の席を取らなくてはと思って、開場1時間前から並んだのだが、開場の時間になっても結局10人しか来なかった。300人くらい入る会場に客は50人くらい。もうそれくらいの人気になっていたということだが、私としては大満足だった。

ギターを弾いていたので、コンサートで配布されたギターの楽譜を必死に練習したのもいい思い出。曲名もメロディーも思い出せないのが残念…。

発想が同じというのと、表現が同じというのは別の話だと私も思います。ただ、十二音がまったく同じでも季語が変われば新しい良い句になるというのは、よく聞く話ではありますが、私はあまり信じてないです。

自分も明らかな類想句を句集に載せているから(あとで気づいた)、あまり他人のことは言えないのだけれど。でもつい気にしてしまう。直接言ったりはしないけれど、メモしてある…。

いつだったかの角川俳句賞の選考委員会で、仁平勝さんが「ぼくは類想は気にしません」というようなことを言っていて、驚いた記憶がある。類想があってもいいのなら、賞って何なのか、と思う。

季語が違えばいいじゃないか、と開き直る手もあるけれど、そうはしたくない。難しいね。

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先日、俳句関係の有名出版社では類想句のチェックをしているらしいという話を書いたが、せいぜいネットで検索するくらいだろうから、類想句を完全に排除するのは無理なのではないか。今、ある句集を読んでいるが、やはり類想句があるので、そう思った。

事前にいろいろな人に読んでもらえばいいのかもしれないが、それも面倒だし、結果は自分で引き受けるしかなさそう。

私も特攻平和会館へ行ったことがあります。確かに涙を誘うものですが、誰が特攻を命じたのか、ということが一切触れられていないことが疑問でした。その上に、このような使い方がされているのかと、驚きを超えて恐ろしい。
>BT

鈴木牛後 さんがブースト

「宮崎や鹿児島でスポーツ選手が合宿をおこなう際に、知覧特攻平和会館訪問を日程に組み込むことは、よくあります。」

「「特攻平和会館で選手たちは「みな、肩をふるわせて泣いていた」けれども、それは特攻隊員が可哀そうだからではありません。眞鍋政義(一九六三年生)監督はその経験をふまえて「日の丸の重みを認識させ」、「我々が負けると日本が負ける」と言い続けたそうです。彼女たちの涙は、究極の「日本代表」である特攻隊員と自分たちを重ね合わせ、日の丸の重圧をプライドとパフォーマンスに転化するために流されたのです。」

井上義和『未来の戦死に向き合うためのノート』(創元社、2019年)118-119頁より

*上掲の眞鍋監督のエピソードは、注によれば伏見学「勝利をたぐり寄せる全日本女子バレー・眞鍋監督のコーチング哲学」に拠るとのこと。

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