鈴木牛後 さんがブースト

ハマスがガザでの休戦案を受け入れたものの、合意には至っておらず、イスラエルはラファを侵攻しているというニュースが流れてくる。
停戦はもちろん即刻行われるべき。でもそれだけでは足りなくて、いまの空爆や攻撃がいったんおさまったあとにも『占領の囚人たち』で描かれているようなこと、パレスチナの人たちが政治犯として拘束されて非人間的な扱いを受けるようなことはあってはならない。イスラエルによる「占領」を完全に終わらせてほしい。




jp.reuters.com/world/security/

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「雪華」のHPを更新しました。散文置き場には、土井探花の兜太現代俳句新人賞受賞作「こころの孤島」評(五十嵐秀彦)、鈴木総史の星野立子新人賞受賞作「雨の予感」評(鈴木牛後)を掲載しています。yukihana-haiku.com/

田中裕明賞、私は候補作のうちの2冊しか読んでいないが(そのうちの1冊が受賞作)、受賞作としては物足りなく感じた。好みなのかもしれないが、選考委員が穏健な作風を重んじる人に偏っているような気はするなあ…。

岡田一実さんの「篠原梵の百句」。鑑賞を書くのに、相当な時間をかけたんだろうな、というのが伝わってくる。有名俳人と違って、先人の鑑賞を参考にすることもできなかっただろうから、一句一句噛みしめながら、文章を吟味しながら書いたのでしょう。

それにしても、梵のような書き方をする人は今でも珍しくなく、少しも古さを感じさせない。梵も岡田一実さんも、とても良い仕事をしたと思います。

古い友人の佐藤直樹の「そこで生えている。2024」公開制作展示。90×180の合板で300枚連続の絵画作品。本人はただ描きたいから描いているらしいが、無意味にひそむ意味が興味深い。絵は墨を使って描いた後、ニスで定着させているとのこと。

鈴木牛後 さんがブースト

岡田一実『篠原梵の百句』、4月4日上梓です!!
「人間探究派」として知られる篠原梵。しかし、その作品の多くは忘れ去られているのではないでしょうか。
佳句を多く残した篠原梵。その作品から百句を選び出し、鑑賞しました。
是非、お手にとってご覧ください!!

篠原梵の百句 岡田一実(著/文) - ふらんす堂 | 版元ドットコム
hanmoto.com/bd/isbn/9784781416

「俳句四季」4月号の特集「働く人の俳句」に、「細谷源二と『はたらくものの俳句』」という文章を書いています。戦後まもなくの、細谷源二とその周辺の俳人たちについて。この特集は、執筆者それぞれの思いがよく現れていて、読み応えがありました。

「雪華」のHPを更新しました。今月の巻頭句は《クリスマスあなた中有は今宵まで 三国眞澄》ご夫君を亡くした作者の哀切な挽歌。散文置き場には、池田澄子「三橋敏雄の百句」評(五十嵐秀彦)、小川軽舟「無辺」評(鈴木牛後)を掲載しています。yukihana-haiku.com/

今日は自然公園へ鳥を見に行ってきた。近くの道路にはたくさんの車が走っているけど、鳥を見ている人はほんのわずかで静かなもの。

来ている人のほとんどは、長い望遠レンズを使って写真を撮っていた。私はそこまでの情熱はないので、ただ双眼鏡で眺めるだけだが、それで十分。

以前住んでいたところには、家のまわりにいくらでも鳥がいたのに、名前はほとんどわからなかった。田舎の人はたいていそんなもの。ありふれているから、その価値に気がつかないという。

アプリを変えてみたら(Noteshelf というもの)消えたはずのファイルがどこかから現れた。これっと、単に私がタブレットを使いこなせていないということなんだろうな。とりあえず、よかった~。

きのう、丸一日かけてやった結社誌の校正がきちんと保存されてなかったらしく、タブレットに残っていない。おかしいなあ…。

使っていたアプリは、上の方にある左矢印を押して終了させるときに保存される仕組みになっていて、それを押したつもりだったのだが。他のアプリみたいに、「保存」というところを押す仕組みにどうしてなっていないのか。

無料だからかなあ、ということで、有料(といっても1000円くらいだけど)のものに変えてみることにした。それにしても、一日分の仕事が消えたのはショック。ある程度は記憶に残っているけれど…。

鈴木牛後 さんがブースト

今日は久しぶりの句会だった。毎週句会に行くという人もいるけど、それほどの熱意はない。気の置けないメンバーとの、1か月に一度か二度の句会がちょうどいいのかな、と思う。

私が農家としてやってこれたのは、人並みには働いたということはもちろんあるが、合理的思考がある程度できるという素養があったことは間違いない。家業として農家を継いだ人の中には、明らかに合理的思考ができない人がいた。でもそれはその人の責任とばかりは言えない。家業以外のことを学ぶ機会がなかったのだから。

それでも農業が「業」として成り立つためには、努力が報われることが必須で、そこは無視できない。難しいな。

今日は、行田の天祥寺へ言って涅槃図を見てきた。涅槃の日だけの公開ということで出かけたのだが、あまり人もおらず、じっくりと見ることができた。

制作年代はわかっていないらしいが、描かれている象の爪が尖っていることから、象がまだ日本に来たことがなかった江戸時代初期のものと推定されているらしい。

これは私も気づいていた(以前に誰かのコメントを読んで気づいたのだが)。こういう演出だから面白いのか、企画自体が面白いからアナウンサーの仕草や台詞が引き立つのか。両方なんだろうけど、時代が変わってきているのだから、企画の面白さだけで引っ張っていけたんじゃないかと思う。

番組が終わるのは、毎回見ていたのでとても残念(と、言えない雰囲気なのであれですが)

今日の日めくり俳句カレンダーは《いそいそと建国記念の日の句座へ 稲畑廣太郎》。うーん。ホトトギスらしいといえばそうなんだけど、どうもね。いそいそと、ね。

エネルギーが不足しているのか、もうXに個人的なことを投稿するつもりはない。結社誌の宣伝くらいはするかな。ここに投稿しているのは、これくらいがちょうどいいかな、という気分なので。

さっきエゴサーチしてみたら、ここに書いたこともグーグルに拾われるのね。知らなかった。

北海道の友人が送ってくれた酪農雑誌の記事。ある酪農家の女性が、私の句集に救われたという話が載っていた。私の俳句にそれほどの何かがあるとはとても思えなくて、不思議な感覚。岡林信康が、歌はぼくのうんこだ。うんこを拾ってくれる人がいるなんて、こんな不思議なことはない(不正確)と言っていたことを思いだした。

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