秋の叙勲の話が流れてきたけど、勲章を受けるということは天皇の権威を無批判に受け入れることになる。ときどき辞退する人がいて話題になるが、俳人で辞退した人はいるのかな?

鈴木六林男が受けているくらいだから、いなさそうではある。辞退したけど公になっていないということは、あるかもしれないけど。

署名しました「日本の年金による虐殺と民族浄化への投資をやめさせたい!」 chng.it/xqkTYtMsL4 @change_jpより

ふらんす堂のブログで紹介されている俳句に「隣組」という言葉が使われていた。戦後生まれの人だから、おそらく現代の景だと思う。辞書には、戦時中の組織のことしか載っていないが、現在でも使われることがあるのだろうか。

もし使っているとしても、無批判に近所の家のことを「隣組」というのは、歴史的文脈を無視しすぎで引っかかる。

ルビを現代仮名遣いにするか、歴史的仮名遣いにするかは悩んだのですが、歴史的仮名遣いにしました。俳句が歴史的仮名遣いなのに、ルビが現代仮名遣いにすると、バランスが悪いような気がして。

俳句も現代仮名遣いにするという手もありますが、歴史的仮名遣いの非日常性の魅力が捨てられない…。

私は次の句集は総ルビにしました(かなり前に原稿を入れてしまいました)。私はふつうの人よりは漢字が読めると思うけれど、中原道夫さんの句集などはかなり読めない漢字がある。あれは損だと思うけどなあ。明らかに読者を失っているはず。

不在者投票へ行ってきた。昨年までは田舎だったので、数人の知り合いに「監視」されながらの投票だったのだが(立会人は監視しているつもりはなかっただろうが)、今年は気楽だった。

最高裁裁判官国民審査はたいてい全員に×をつけているけど、手が動いていることでそれがたぶんわかったはず。田舎ではそんなことする人はほとんどいなかっただろうから、変に目立ったかもしれないと思ったりも。ほんとうは、そういうことで目立ちたくないと思ってはいけないのだろうが。

2か月間ずっと気に掛けていた原稿を書いた。原稿を引き受けるのはいいのだが、なかなか取りかからないのに、書き終わるまでずっと気になってしまって…。今晩は久しぶりにのんびりした気分。

「雪華」(ゆきはな)のHPを更新しました。今月の巻頭句は《へび花火のたうつといふ晩年も 高木宇大》。蛇花火も人の晩年も「のたうつ」もの。花火の中で、滓が愛でられるものはこの花火しかないが、人間ははたしてどうか。

散文置き場には、昨年の10月号から、岡田由季『中くらゐの町』評(五十嵐秀彦)、池田澄子『月と書く』評(鈴木牛後)を掲載しています。
yukihana-haiku.com/

同窓会って、絶対に出たくないという人も少なくないだろうから、それだけでも同窓会支援って何だかなあ、と思う。そんなことよりやるべきことがあるだろうに。times.abema.tv/articles/-/1011

「俳句四季」10月号の、筑紫磐井さんの「俳壇観測」の歳時記についての文章の中で、角川大歳時記の新版で地貌季語がいくつか採用されたことについて「毀誉褒貶」があったと書いてあった。具体的にどんな意見があったのか、かなり気になる。毀誉褒貶というくらいだから、批判もずいぶんとあったということか。了見が狭いねえ。

鈴木牛後 さんがブースト

このオンライン署名に賛同をお願いします!
「【袴田事件】検察の控訴を許すな!無実の袴田巖さんに一刻も早い真の自由を!9月26日判決予定!元プロボクサー袴田巖さん(88歳)は無実です!お金は不要です。あなたの署名が力です。」 change.org/p/袴田事件-検察の控訴を許すな-無実

本日発売の角川「俳句」10月号に、「熊の出る話」12句を寄稿しています。よろしくお願いします。kadokawa-zaidan.or.jp/haiku/

私が結社を重く感じてないのは、結社内の「競争」とは関係ないところにいるということもありそう。雑詠欄は常に上位と決まっているみたいなので、結果にあれこれ思うこともないし(それがいいか悪いかは別として)、次の主宰の座を狙っているとかいうこともない(どちらかと言えば絶対に避けたい)。

私みたな立場の人は少なそうだから、一般的に言えば結社はたいへんそう。それでも結社という仕組みは、選択肢としてあった方がいいとは思う。誰しもが徒手空拳で俳句の海に飛び込めるわけではないので。

私は結社の人間関係は重く感じてなくて、それは本拠地から遠いからだろうな。文章を二つ書いて、校正もしてるから、負担感はかなりあるが、人間関係の重さに比べたらずっとまし。人間関係が面倒になったら、たぶんすぐにやめる(そうはいかないかなあ、引き留められるだろうし)。

ちなみにその授業は出席しなくても全員に単位がもらえたので、出席しているのは歴史を専攻している数人しかおらず、思想的な害はほぼなかったと思う。

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大学のことが話題だけど、私の通っていた田舎の大学では、日本史概説とか言いながら、一年かけて日本書紀のことをやっていた。ガチガチの右翼の教授で、今ならそんな授業は許されないと思うが、当時は何でもアリだったみたい。

当時は田舎の大学だから、と思っていたが、特別だったのかどうか。

川柳のことで文章を書くという宿題をもらっていて、何を書いたらいいかなあとずっと考えてだのだが、今日、思いきって、川柳の句会に参加してきた。

現代川柳だから意味が通る通らないは問題ではなく、それでは何を基準に良い川柳と良くない川柳を決めているのだろう?という疑問がずっとあった。俳句でも意味にとらわれないものはたくさんあるけど、それは意味優先の俳句との対比とか関係性で語れる。

でも現代川柳は、ほぼすべてが意味が通らないから、その比較ができないから難しい。昨日の夜に一気にたくさん作った中から、こんなものかなあと思うのを持って行って、思ったより取られたので、何となくわかったような気がする(気がするだけかも?)。

お誘いを受けて、ビアガーデンを堪能した帰り。2駅乗り過ごして折り返しの電車に載った。終電じゃなくてよかった。

給食の話 

誕生日がカステラだったのは、自分から頼んでカステラにしてもらってたんだよね。クリームが食べられなくて。回りには不思議がられていたみたいだけど、まさか洗脳が原因だなんて、わからなかった。

これが洗脳だとわかったのは、大学に入ってから読んだ雑誌記事で、誰だったかな、当時人気のミュージシャンが、左翼嫌いな父親のせいで、道路を左に曲がれなかったと書いていたこと。左に行きたいときは、右折を3回していたらしい。これを読んで、自分と同じだと思った。私よりひどい話だけど。

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給食の話 

私も給食の時間はたいへんだった派。1、2年生のときの担任はとても給食に厳しくて(給食だけじゃなかったけど)、パンに塗るハチミツとか、空き袋を「キップ」として当番が持つ箱に入れないと教室から出られなかった。

なぜハチミツが食べられなかったかというと、父親が甘い物が嫌いで「甘い物なんて人間の食べるものではない」と幼いころから聞かされていたから。なので、どら焼きをもらったら中の餡をこそげ取って皮だけ食べていたし、誕生日はいつもケーキではなく、カステラだった(カステラはなぜかOKだった)。

唯一食べられた甘味が、父親が葬式に出たときに持って帰ってくる弁当に入っていた羊羹だった。それはたぶん「父親の許し」があったと、自分の中で認識していたためだろう。今から考えると、こういうのを「洗脳」っていうことがわかる。恐ろしいね。

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