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朝日新聞には農業の記事がほんとうに少ないなあ、と思う
(読売や毎日もだと思うが)。

北海道では、農業の景気の良し悪しがほぼ全道民に関わっていたから、北海道新聞には毎日のように農業の話題が載っていたので、余計にそう思うのかも。

これで農業への関心が高まってくれればいいのだけれど。

鈴木牛後 さんがブースト

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米不足、減反と高齢化の果てに 「最悪のシナリオ」が今年、始まった(朝日新聞デジタル、2024/9/12)
digital.asahi.com/articles/ASS

〈減反は2018年に終わったが、今も生産量は減り続けている。米の卸売業者でつくる全国米穀販売事業共済協同組合は今年、30年代に国産米だけでは需要をまかないきれなくなるおそれがあるとの試算を発表した。
(略)
減反は多くの有能な農業従事者から水田と意欲を奪っていった。「農家が一度失った意欲は戻らない。国が増産にかじを切っても、それを担うだけの人材はいなくなりつつある」と話す〉

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「もう作らなくて」というのは、今回作ったら、次回はもういいかな、ということです。

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句集の原稿を作った。どの句を入れて、どの句を外すか、とか考えるとまったくキリがない。一週間くらい考えたので、これでいいことにする。

去年までの5年分、北海道時代に作った句ということをまとめておくという意図は、これで達成できそう。句集はもう作らなくてもいいかも。

「痴漢のすすめ」みたいな記事が90年代によく雑誌に載っていたということは記憶にないが(雑誌を読むということがたぶんなかったらと思う)、私が大学生だったころには、「スカートの中が覗けるスポット」として、デパートのエスカレーターなどが挙げられていたことがあった。私の住んでいる街のデパートもあったら、そんなところで上を見上げるような度胸はなかった。でもそれが、成人向けでもない、若者向けの雑誌に載っていたのだから、今から思えばひどい話。正直に言えば、当時はそれほどの認識はなかったけれど。
president.jp/articles/-/31474

家族の体調が悪いということで、途中から炒め物を交替したのだが、皿に移すときにフライパンが重くて持てず…。こんなのが重いの?と言われてしまった。

仕事をやめてまだ1年にもならないのに、これほど筋力が落ちているとは…。これではすぐに老人(もう初老ですが)になってしまいそうなので、筋トレしようと思う(続くかな)。

遅ればせながら、佐々木紺さんの句集「平面と立体」を読みました。世界を見つめる繊細な目が印象に残りました。
《蚊帳の果人形のこゑで話して》は、話してほしいと言っているのか、自分が話しているのか、読みが分かれるかもしれませんが、いずれにしても人形の声の密やかさが何とも言えず。《押し花のさいごの呼吸しぐれゆく》なども、すーっと紙に吸われていく音が聞こえそうな気がします。

というわけで、「雪華」10月号には、この句集のことを書きました。

「俳句と才能」について。もうたくさんの人が書いているみたいだけど、考えてもよくわからないというのが正直なところ。名を残した俳人は才能があったのでしょうが、それは何かと言われてもよくわからず、好きならそれでいいのでは、としか言いようがないような気がします。

Xを見てると、投稿欄で選ばれた人はみな喜んで感謝の言葉を書いているけれど、選者に対する不満はないのかな?不満がまったくないというのは、初心者でなければかえって問題のような気がします。不満がない方が楽だし、精神衛生上はよさそうですが。

俳句の話。結社に入っていたら、結社賞とか巻頭を取るとか同人になるとかいう目標もできるだろうが、そうでなければなかなか難しそう。だからみんな、NHK俳句とか雑誌の投稿欄とかに熱心に投句するのでしょう。

でもそれに飽き足らなくなったときにはどうするか。句集を出せば、俳壇の狭い範囲ではあるが読んでもらえて、評や鑑賞を書かれたりもするが、それくらいでしょうか。

句集を出さない(出せない)人がどうやてモチベーションを保つのかは確かにたいへん。私もモチベーションが下がってきてるから、やっぱりこのへんで句集を出さないと。

「雪華」のHPを更新しました。今月の巻頭句は《でで虫の死してそのまま殯(かりもがり) 星出航太郎》殯とは風葬のこと。古代では天皇などの貴人も風葬によって弔われていた。蝸牛の「本体」を死体に、殻を棺に喩えて、人間と動物の別や時間の差異を超えて豊かな世界を描く

散文置き場には、髙田正子『黒田杏子俳句コレクション1 螢」評(五十嵐秀彦)、岡田由季『中くらゐの町』評(鈴木牛後)をアップしました。 

yukihana-haiku.com

私は埼玉県民ということもあり、とても良いニュースと思う。これが当たり前にならなければ。

大野元裕埼玉県知事が朝鮮人虐殺を巡り追悼文を初めて送付 4日さいたま市内で開く式典に 関東大震災101年:東京新聞 TOKYO Web tokyo-np.co.jp/article/351786

連句の話のつづき。

俳句の集まりだと、周囲の人たちによって高いところに据えられていくようなことがあるのですが、慣れない場所に行くと教えてもらう立場になれるので、それが良いです。

句の姿は、肩の力を抜くのも大切なのらしいですが、それがなかなか難しい…。

初めて連句の会に参加してきました。文学というのはたいていは自分と向き合う作業ですが、自分と向き合いつつ他人とも協調するというのは、なかなか得がたい体験でした。

初めてなのでぜんぜんうまくはできなかったし、これが俳句に役立つものとも思えないのですが、感覚のどこか知らないところを突っつかれているような感じがして、面白かったです。

仕事をやめてから体重が8キロくらい増えた。これで標準体重の真ん中くらいになったのだから、喜ぶべきことなのだろうけど、40年間痩せ過ぎの身体とともに生きてきたので、どうも馴染めない。そのうち慣れるのかな?

昨日映画を見に行って、車椅子でスロープを苦しそうに上っている人がいたので、押しますよ、と声を掛けたのと同時に押してしまったのだが、押しましょうかと訊いて返答をもらってから押した方がよかったのかな。どうなんでしょう?

葬式の服装のマナーとか言う人はいるんだねえ、と思う。ほんとうに、マナーを作ることが仕事、ということ。俳句に狭い枠を作ることを仕事にしている人にも通じているような…。

世の中、どんどん自由になっていると思われているけれど、それは自由を希求する人の不断の営み(無意識も含めて)があってのこと。黙っていては自由が失われていくばかりということがよくわかる。

猛暑日をずっと経験してきたから、今日の32.5度はあまり辛くない。身体が関東仕様になってきたということなのかも。

自転車でブックオフに行ったら俳句の本が何冊かあったので買ってきた。割引率はそれほどでもなかったけれど、こういうのも出会いだと思うので。

俳句甲子園のこと 

俳句甲子園を見ていつも思うのだけど、審査員がディベートの内容をよく覚えていることに驚く。私はもともと記憶力が弱い上に、ディベートの熱量に圧倒されて、終わったときにはほとんど記憶に残っていない。

地方大会のときは、同じ審査員だった人が熱心にメモを取っているのを見て、途中から真似をしてメモすることにした。そうすれば、メモがきっかけになって、ある程度思い出すことができる。会社員とかだったら、そのようなことは当たり前のことなのかもしれないけれど、気ままに仕事してきたので…。

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