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清水国明氏が東京都知事選に出馬すると聞いて、「時間が〜足〜りな〜い〜♪『どうも!ブックオフヘビーユーザーの清水国明です!』」というブックオフの店内放送を古本の紙の匂いとともに思い出してしまった。あの放送ももう聞くことは無いんだろうなーと思ったら、曲だけだったらYoutubeにばっちり上がっていたのでちょっと感動した。
youtube.com/watch?si=akXWfY_-i
いやーYoutubeって凄いね。ちなみに清水氏というとブックオフ以外だとブラックバスの違法放流万々歳だったことを思い出す。あの時の酷い言い草を思うと、都知事選出馬会見でもっともらしいことを言っていてもあまり支持する気にはなれない。まあ、所詮私は東京都から遠く離れた田舎の住人だから支持しようが支持すまいが関係ないのだが。

少し前に話題になっていた朝日新聞の悩み相談記事について。あれは大手メディアの記者がいかに“素人さん”を見下しているかの一つの表れだと思う。今は誰でも自分の知見をネットで発信できる時代だ。もちろんおかしな発信をする人も多いが、深い考察に基づいた真摯な主張を発信している人も大勢いる。しかし、大手メディアの記者の多くは彼らを十把一絡げに“下級発信者”と見下し、自分たちこそ“上級発信者”だと自惚れている。そういう彼らの度し難い思い上がりは記事の端々に容易に見出すことができる。ファクトチェックと称してネットの不特定多数の言説を大雑把に揚げ足を取る記事なんか典型だろう。コタツ記事と言われるものもそうかもしれない。お前ら下級発信者のたわごとを我々上級発信者に取り上げてもらえるだけありがたいと思え、みたいな。しかし、今回の騒動を見ても、彼らの思い上がった感性などネトウヨと全然変わらないのではないか。

水難の年の台風かすめ行く

毎年、台風1号なんて言うと遥か海の向こうを通り過ぎていくものなのに、今年は1号からえらく近くを通っていく。今からこの調子だと、今年も水害が起こりそうで心配だ。去年台風でポポーの木が早々に丸坊主になってしまった悪夢が脳裏に蘇る。いやまあ、ポポーが被害を受ける程度で済めば御の字なのだろうが。

只今泥酔中😵‍💫〜、コーヒーで脳を洗って何か書くよ。今日アーティチョークを5個か6個収穫して茹でて食べました。去年も書いた気がするけどローマ風とかユダヤ風とか色々調理法はあるけれど、やはりアーティチョークは塩茹でして枝豆みたいに食らうのが一番美味い。それでアーティチョークをつまみにビールで酔っぱらって、YouTube動画なんかをもうろうとしながら見ていた。20年以上前のボクシング世界タイトルマッチ、ガルサvs.石井の試合動画を見た。大激戦でとても良い試合だったのだけど、あまりにも激しく打ち合ったので両選手とも体を壊してしまって、ガルサはほどなく王座陥落し、石井も結局は世界を獲れず、引退後若くして亡くなっているんだよな。そういう両選手のその後を知った上で見るとなんだか悲しくなってしまう。悲しくて悲しくて〜とてもやりきれ〜ない〜♪

私は声優の名前を全然覚えられないタチだ。声を覚えられないわけではない。「ドラゴンボールの悟空の声」とか「クリント・イーストウッドの声」みたいに個人名ではなく役柄で覚えている。なので、声優の訃報などに接しても、名前だけ聞いたらそれ誰だっけ?というふうになってしまう。演じた役柄の一覧を見て、ああ、あのキャラの声の人かとやっと思い出すわけだ。声優オタクの人に怒られるかもしれないが。

で、「ガンダムのアムロの声」として世間的には通っている声の人だが、調べてみると思ったよりも色々と幅広く演じていて、アムロの声としてだけ語られるのはちょっと気の毒な気がした。個人的にはあの声は世界名作劇場『牧場の少女カトリ』のマルティ坊ちゃんの声の印象が強い。私はアニメはあまり見ないのだが、世界名作劇場シリーズだけはいっときハマって色々と見ていたことがあった。で、見た中では一番良い作品だと思ったのが『カトリ』だった。地味な作品だが、情景描写がとても良くて舞台となるフィンランドに行ってみたくなるし、フィンランドの現代史にも触れていて奥深い作品だった。低視聴率で放送打ち切りも検討されていた作品なのだそうだが…。

というような事を、「アムロの声」の人の救いようがない下半身スキャンダルが文春に載ったと聞いてつらつらと思い出したのだった。

取り組んでいる筋トレ全6メニュー+αのうち最も進歩がないメニューがプルアップ(懸垂)で、ステップ2のホリゾンタルプル(斜め懸垂)をもう一年近くやっているが一向に規定回数をクリアできる気配すらない。たかが斜め懸垂くらいで?と思われるかもしれないが、股関節の高さの棒をつかんで背中が床からちょっと浮くくらいの角度でやらないといけないから想像以上にキツいのである。しかし、最近あるYoutube動画をヒントに背筋の特定部位を意識して力を入れるようにしてやってみたら、なんだか翌日やたら背筋が筋肉痛になってきた。ひょっとして効いてるってことか?この1年うんざりと倦んだ気持ちでほぼ惰性のように斜め懸垂に取り組んでいたのだが、ようやく光が差してきたかもしれない。それにしても、主にどの筋肉を鍛えたいかをちゃんと意識してやらないと効果が出ないのが筋トレというものなのだな。まさに筋トレは科学なり。「脳筋」などと揶揄されるような頭空っぽの根性主義一点張りでは効果は出ないというわけだ。

またポポーの話題で恐縮だが、4月に何十個も実がついて「いやーこれ全部熟させたら木が弱りそうで困っちゃうなー」と悩むふりして浮かれていたら、結局生理落果しまくって生き残ったのは6個だけだった。よくぞ生き残った我が精鋭たちよ!と、風雲たけし城を真似て言いたくなる。生き残った実はそれぞれちょっとずつ成長し始めているので、台風でも来ない限りちゃんと育つだろう。去年は2個しか熟さなかったが、たぶんそれよりは多く食べられるのではないかと思う。希望的観測だが。

一方、接ぎ木した高級品種ワバッシュの枝は順調に展葉してきていて嬉しい限りだ。よく見ると、葉の形状からして実生のポポーとは違っている。実生の葉は付け根が細くすぼまったラッパのような形で、何だか頼りなく見える。それに対して、ワバッシュの葉は全体が広がって堂々とした印象を受ける。ポポーというのは結実するまで年数がかかる果樹だが、成長具合や葉っぱの形を観察しているだけでも面白い。庭木におすすめだよ。きちんと剪定して管理しないと高さ10メートル超の巨木になってしまうらしいが。

夏の陽や怪しからぬ歌うたう餓鬼

近所の小学校から子供たちのはしゃぎ声が聞こえてきた。あら微笑ましいわねと思って耳を傾けていると、大声で尊師マーチ(彰晃、彰晃、しょこしょこ彰晃…♪)を歌っている。そんな歌どこで覚えたのか。Youtubeか?

ある趣味のイメージというものは時代によって変わっていくものだ。例えば、麻雀は一昔前はヤクザと文人の趣味というイメージだった。麻雀=文人というイメージは今では想像もつかないかもしれないが、阿佐田哲也も畑正憲も文豪(?)にして雀豪だったし、それ以外もかつては錚々たる作家や文化人が麻雀を嗜み、麻雀についての文章を発表したりしていた。今では麻雀は雀魂などのおかげでオタクの趣味というイメージしか無くなったが。

で、最近とみにイメージの変化を感じる趣味といえば“料理”である。料理を趣味または実益のために嗜む人はかつてはマッチョなイメージは全然無かったのだが、最近の料理Youtuberの動画のサムネを見るにつけて、マジやべえとかマジうめえとか、この食材は絶対使うなみたいな命令口調がやたら多いし、「このレシピが不味いと大炎上したが、それに反論する!」みたいなサムネを見かけて(動画の本編は見てないが)なんか料理がヤンキー趣味になってきてないか…?と思った次第だ。そんな私の最近のお気に入りの料理動画チャンネルは松尾シェフや星野シェフの動画だ。
youtube.com/watch?v=yF1nCpcD0a
youtube.com/watch?v=M-z_4rscdZ
どちらもヤンキーとは対極にある人のように見えるよな。まあ、実態はわからないが。

センチメントの欠片も知らぬ少年よ
走る自転車とすれ違う夏

最近、自民党の支持率が下がって立憲の支持率が上がっているので、すわ政権交代か?とにわかに言われだしているが、個人的には冷めている。
tokyo-np.co.jp/article/327062
この記事にあるように、政権を取る前から自民党の出す悪法に賛成しまくっているのだから、いざ政権を取っても自民党政治の継続となるのは目に見えている。まあ、かつての民主党政権と違ってマスコミには叩かれずに済むのかもね。当時、長年自民党とズブズブの関係だったマスコミに、子ども手当や高速道路無料化などの良い政策は「バラマキ」として叩かれまくり、沖縄米軍基地の県外移設が官僚の反逆で失敗して更に叩かれ、新自由主義的な「事業仕分け」だけは好意的に報じられた。民主党政権の崩壊の一因は政策の失敗ももちろんあるが、ほぼ全てのマスコミ(とりわけテレビ)が自民党政治を支持していたことにもあったと思う。民主党程度にも良い政策を打ち出しそうにない立憲ならマスコミもニッコリだろうよ。もっとも、新聞もテレビも民主党政権の頃よりも信頼性も影響力もダダ下がりになっているだろうけどね。新聞テレビの忖度報道があっても自民党は支持率が下がっているわけだし。

夏が過ぎるまでは枯れる可能性があるらしいが、でもまあ多分ここまで育ったらもう大丈夫だろうということで、ポポーの接ぎ木の様子をここに披露する。ちょっと見づらいが白い膜のようなもので覆われたところが接いだ部分だ。初めての接ぎ木だったが幸い3枝に接いで全部芽が伸びてきている。ちなみに接いだ品種はワバッシュという高級品種だ。ポポーにしては丸っこい実がなる品種らしく、その形が砲丸を思わせることから『ワバッシュ・キャノンボール』というカントリーウエスタンの曲にちなんで品種名がつけられたらしい。実生の駄ポポー(味は十分良かったが)との味わいの違いを確かめるのを今から楽しみにしている。

昔は痴話喧嘩の末の殺人などの記事は新聞の1面にも2面にも載らず、3面に小さく扱われるだけだった。だから三面記事などという言葉も生まれたのだが、今やそんな言葉は死語となり、権力者の不正や犯罪行為は忖度して扱わないか、仕方なく報じる場合でもできるだけ小さく扱い、代わりにかつては三面記事ネタとされたような事件が大々的に報じられるようになってしまった。いま世間を騒がせている那須の資産家夫妻殺害事件や新宿タワマンストーカー殺人事件なども一昔前なら三面記事と言われたネタだろう。真相がどうあろうと私たちの生活には1ミリも影響しないこんなネタで大騒ぎするマスゴミ(できれば使いたくなかった言葉だが、もう使ってしまう)を見るにつけて、早く潰れてしまえと思わずにはいられない。

ときに、那須の夫妻殺害事件について、あれは飲食店全般への結構な風評被害になるのではないかな。そのへんの普通の一杯飲み屋が、人殺しも平気でできるヤカラのたぐいが営業していたというのはかなりゾッとする話だ。ひょっとして私の行ってるあの店も…?と考える人が出ても不思議ではないのではないか。酒はほぼ家飲みで済ましている私みたいな者には関係ない話ではあるが。

風凪いでジューンドロップ静かなる

ジューンドロップというと何だかシャレて聞こえるが、要は生理落果のことだ。4月、育てているポポーの木がたくさん実をつけて、わぁい今年は豊作だと喜んでいたら、ゴールデンウィークが終わる頃から生理落果が始まってあれよあれよといううちにパラパラと実が落ちていく。去年も全く同じような感じだったから別に焦りはしないが、それにしても植物の体内カレンダーとは正確なものだ。去年と今年とでは気候の違いは少なからずあると思うのだけどな。

日本の報道の自由度順位がまた下がったそうだが、記者クラブメディアが主要報道を担い続ける限りこれが改善することは100%無いと思う。個々の記者には良心的な人もいるなどと言うが、そういう記者は大体社内で冷遇されているのだろう?社としての総体は今も昔も忖度・御用聞き・幇間メディアでしかない。かといって、ウェブメディアや社会・時事系のYouTubeチャンネルなどは玉石混交…というか、ゴミの山の中に砂粒の如く真実が混じっているに等しい。

で、いつも夢想するのだが、ウェブメディアやYouTubeチャンネルなどに対して「これは信用に値するメディアです」という認証を与えて信用を担保する仕組みがあったらいいのになーと思う。ファクトチェックの重要性はよく言われるが、虚偽情報を正すだけでは足りない。ちゃんとした情報ソースや取材に基づいた発信をしていると認められるメディアには積極的に信用を与える第三者機関があれば、現状カオスと言って良いウェブメディアやYouTubeの世界に秩序が生じ、例えば高齢者がYouTubeにハマってネトウヨや陰謀論者になるといった現象も防げるのではないか。ただまあ、それ以前にまともなファクトチェック機関が日本にあるのかとも思うが。buzzfeedなんか0点だよ。

憲法記念日だから憲法について真面目に記す。よく「一語一句たりとも改憲してはならないというのはおかしい。良い改憲もある」と言う者がいるが、良い改憲とは憲法の三大原理(国民主権、平和主義、基本的人権の尊重)を強化・拡張するもの以外にあり得ず、それ以外の改憲案は全て悪い改憲だ。さらに言えば、たとえ良い改憲でもそれが悪い改憲の露払いとして行われるなら悪い改憲と言うべきだ。戦前の政治体制の復活を目論む勢力が国会で多数を占めて「お試し改憲」みたいなふざけたことが唱えられている日本の現状では、改憲など100年早いと言うべきだろう。

以上の文章をblueskyに投稿した。fedibirdには同じようなことを去年も書いたような気がするから改めて書かなくても良いかなーと思ったのだが、同じことを何度も繰り返して言うのは年寄りの特権だからまた書いちゃってもいいかと思い直して、ここに転載する。まあそんなに言うほど歳ではないのだが。blueskyはほとんどフォロワーがいないので、読まれていないのをいいことに、こんなことをfedibirdで書いたら顰蹙を買うのではないかというようなことを中心に投稿することにしている。あまりそのようなことは思いつかないので滅多に投稿しないのだが。

あら可愛やと野花愛でつつむしり取る

野花(野の花)というのは秋の季語なのだそうだが、私の中ではこれは春の草いきれの中で草むしりをしている場面を詠んだ句だから、春の季語だ。私が春と言ったら春なのだ。『金子兜太の俳句入門』という本にもそれで良いと書いてあったよ。

ここのところにわかに気力が減退気味で、筋トレもサボりがちになっていた。完全にサボることはあまりなかったが、例えば腕立て伏せ20回やらなくてはいけない所をもうしんどいから10回でいいか…と数を減らしたりしていた。あと、ああ筋トレやらないといけないなあなどと思いながら無為にスマホをいじくり回すうちに時間ばかりが経ってしまったり。ちょっと早めの五月病だったのだろうか。幸い、スランプも底を打った感じで、また筋トレをフルセットこなせる気力が戻ってきたので良かったけどね。

ところで全然関係ない話題だが、スランプの間スマホでYoutubeばかり見ていて、とくに80〜90年代初頭あたりまでの国内ボクシングの試合動画をよく見ていた。最近はそうでもないが、以前はボクシングを結構熱心に見ていた頃があった。大体竹原慎二の世界奪取の頃(1995〜96年頃)から見るようになったのでそれ以前の選手は基本的に知らない。しかし、漫画『ろくでなしBLUES』でキャラクター名に使われていたのを見たことがある名前の選手が多くて、「あー島袋っていたなあ。田中小兵太(漫画では中田小兵次)っていうのもいた。懐かしいなー」とか思いながら見ていた。あの漫画、同時代のボクサーの知名度アップに貢献するところ大だったのではないか。

今日は選挙デーだったが、どこの選挙区の住人でもないので高みの見物だった。まあ自民党および右翼新自由主義政党の候補が軒並み落ちたのは良かったと思う。もっとも、東京15区の立憲の候補は少なくとも数年前までは凶悪な新自由主義者だったと、過去のツイートを発掘されて暴露されているのを見かけたが…。

ところで、意に沿わない選挙結果が出るたびに癇癪を起こして「日本人は民度が低い!あゝ馬鹿な日本人のせいで日本は滅ぶ!」と大衆蔑視発言をするインテリリベラルの先生方がいるが、あいつらリベラル派が勝ったら大衆蔑視できなくなるからかえって困ってるんじゃないの。「愚民扱いしてすいません」と謝罪でもしてみろよと言いたい。

アオハルと書いて青春と読む。青葉が繁るこの春という季節ほどワクワクと不安の間で感情が揺れる季節はないので、人生で一番感情の振れ幅が大きい時期を青春と初めて呼んだ人はなかなかセンスがあると思う。実際、おっさんの私もワクワクしたり不安になったり揺れ動いているよ。例えば、ポポーの接ぎ木はこのまま無事くっついてくれるだろうかとか。接ぎ穂から芽が出始めたのものの芽の色が悪くなかなか育ってこない感じなので、毎日ヤキモキしながら観察している。あと、ポポーの実は今年はどのくらい着くだろうかとか、ポポーの木は今年はどのくらい育つだろうかとか、何やポポーの悩みばっかりやな。別に私は能天気一辺倒の人間というわけではないのだけどね。ちなみにポポーの他にもうひとつ育てているアーティチョークは今年は早くも初モノが収穫できたので早速塩茹でにしていただいた。柔らかくて美味かったよ。

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