語りの声を手に入れて、なんでも語りに整形し直せるということが、「良き行い」のようになっているのがこわくて、語ると言うこと(第三者の聞き手を意識して喋る)ことをばかり推奨しないでほしい、と思う。
「語り」と言う行為の向こう側には「理解」という無意識的な権力勾配があって、そこに飲み込まれないような表現を獲得している人だけが「語り」を自分のものにできると言う能力主義的な部分がある。
早速ダウンロードして壁紙にしました
#fedibird
QT: https://surutodon.net/@sakusaku/110519396365938516 [参照]
トランス排除言説からだいすきな恐竜を取り戻すために作りました
トランスカラーの恐竜グッズ第一弾ステゴサウルスです
こちらのシリーズは当面マージン0の印刷費のみの値段となっています
* グッズ
https://suzuri.jp/SAKUSAKUsuru/omoide/161332
* ダウンロード
https://suzuri.jp/SAKUSAKUsuru/digital_products/15378?utm_source=twitter&utm_medium=social&utm_campaign=digital_item_detail_share
#suzuri
#illustration
#trans
#transgender
「愛らしい小便小僧「ジュリアン君(Petit Julien)」は「ブリュッセルの最長老市民」と言われる町のシンボル。小便小僧はオランダ語でマネケン・ピス。これがローゼンのブランド「マネケン」の名の由来となっています。」公式サイトより引用
https://www.manneken.co.jp/about/column/knowledge/vol01.php
と言うことらしい。
#fedibird
萩尾望都の「一度きりの大泉の話」、序文で(少年の名はジルベール)を書かれたことをしんどく思っている、と言ったことが書かれていて、語りたくなかったことを読者やファンに「書かされてしまった」本なんだなと思うとすごくつらくて……そこからもう「これは読めない」と思って封印したんだが、売ったり誰かに譲ったり(読まれてしまうこと)も怖くてできなくているんだよな……ということを誰かに聞いて欲しかった
共感を得るための言説はどうしてもマイノリティの「無垢」さが強調されます。でも、マイノリティはマジョリティに近いくらい「無垢」ではない。「無垢」さでジャッジしたいというマジョリティの欲望にマイノリティが言説を寄せなければ、マジョリティが聞く耳を持たないというのは、それそのものが差別的構造ではないですかね……。
鳥写などしながら静かに暮らしています。
『ゆけ、この広い広い大通りを』(日々詩編集室2023年9月)書きました。時々小説を書いて本を作って生きています。