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日本で竹内文書が出てきたのが1920年代後半、竹内文書を使って山根キクがキリストの墓、モーセの墓を語り出すのは1930年代だから、まさにこの本が想定している100年ぐらい前の情勢が基礎なんだよね。

ja.wikipedia.org/wiki/山根キク

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ふーん、これ読んでみようかな。

『創られたキリシタン像』

“キリスト教伝来以降、民衆が抱くキリシタンへのイメージは、排除を意図して書かれた「排耶書」や「キリシタン実録」(実際の事件を主題にした小説の一種)など様々な出版物によって、実態とはかけ離れたものとなっていった。
大正期になると一転して「キリシタンブーム」がおこり、「虚構系資料」(キリシタン遺物の偽造品)を扱う骨董商まで現れ、現在誤認されたままの資料が各地のミュージアムに収蔵・展示され文化財に指定されるなどの問題が生じている。
これら三種の資料を紹介し、近世初期から現代までの民衆のなかのキリシタンイメージの変遷と、歴史的背景を読みとく。
【2024年度西南学院大学博物館企画展Ⅱオールカラー図録】”

kyobunkwan.co.jp/xbook/archive

気づいたらネグリ『野生のアノマリー』高騰しはじめてて狼狽える

白江幸司 さんがブースト

〈自民党に詳しいジャーナリストは「自民党の選挙は電通に丸投げですよ」と裏事情を語ります。〉

自民、電通へ100億円超/19年間 政党助成金から支出
jcp.or.jp/akahata/aik20/2020-0

まあ私が「おっ」となったのは、そのあとの「ごまあふざらしが君を見てるよ」という感じの絵の流れ(全く物語に絡まない)なんだが。

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幻想パートっぽい切り替えがけっこう動物っぽいのがおもろい。そして鬼頭と違ってペドポルノ近接性よりはショタとブラザーフッドが多め。

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なるたるやぼくらのは性的モチーフや破壊、生死を露骨にやることで先鋭化したが、これは90年代文化から永井豪をやったというところがある。いじめとポルノなどの成分配置が90年代モード。
他方、モチーフは共通するが、構成要素間の隔離をうまくやったのがチェンソーマン。デンジがいかに胸がどうこうのと吠えようと作品秩序がデンジのリビドーとあまり連動しない。
アヤシデはそこで、性愛要素はいったん括弧において、友愛と不和に集中することで別の尖らせ方にチャレンジ。いじめがシリアスなティーンズに刺さりそう。藤本は教室内秩序の感度を尖らせるには歳食ってるので若い人の方が有利になる。吉野マトもだが。

バトル漫画は青年期における生の要素の昇華として展開するんだけど、それを構造化しつつコントロールして擬似的にメタを張れてるのがチェンソーマンの強み。メタで一段上をやるのではないなら、ドロっとした熱量でぶっ飛ばすしかない。この二択に挟まれると、田辺イエロウ「界変の魔法使い」はベテランとして達者だが、藤本的なキレの良さも、若い人の武器もない、と鮮明になってしまう。

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『アヤシデ』、だいたい全部読んだ。希死念慮と世界破壊の熱量はチェンソーマンよりあるので、もう少ししたら話題になりそう。3巻が発売されてまもないが、ちょうど3巻から展開が激しくなってきてる

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まあ、山岸凉子をいまのエッセイ漫画説教モードでやると、こうなるよなあ、という感想にもなった。山岸はミサンドリーに基づく男性異常者表象多いんだよな

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たしなめる意見もけっこう多いので、別饅頭は「俺はSNS正義の外にいまーすアピール」にふけりすぎだな(なにかみた)
x.com/kenbikyou_i/status/18344

エマヌエーレ・コッチャのノンヒューマン生命主義、ポストアガンベンっぽさはそれなりに面白く読みつつ、食い足りないものを感じていた目で見ると、同じようにラトゥールやデランダ(つまり拡張版ドゥルーズガタリ)を経由しているジェーン・ベネット『震える物質』の方がぐいぐい推し進めている感じがあり、面白い。

ベネットは政治学プロパーだから、人と事物のネットワークとして見立てるときに、主体・客体のはっきりした区別に基づく道徳の問いはどうなるのか、あらたなかたちで問えるのか?というのを論じてて、議論展開がおもしろい

現在の、「男性名義で青年誌に描く女性作家で絵柄が男性女性のバイナリーコードにもはや割り振りがたい作品」の一つ。

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展覧会特集のフォスターやクリフォードらに言及してる項目はIH、つまり池上裕子なので、えっ『越境と覇権ーロバート・ラウシェンバーグと戦後アメリカ美術の世界的台頭』の池上? もっとそういう仕事してもよかった人なのか?? という反応になるやつ。
researchmap.jp/read0107023

英国ブラックアートを90年代初頭から扱ってた萩原弘子が、なぜか全然読まれてないのと同じで、注目されてしかるべきだったのに放置されたりしたんかな〜と思った。

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アートシーンって10年代初頭ぐらいまで「政治やってるやつは美術わかってない。理論やってるやつ造形よええ」ぐらいの政治か美学かという二者択一が跋扈してたので、そのせいでは。

10号は流石に今読むと古いと思うが。

『西洋美術研究』バックナンバーをよく見ると、Daniel Arasse, Le Detailについての書評あるし、Belting, Bild und Kultの書評あるし、認識されてたのに邦訳はされないで止まったんかーい、と頭を抱える。日本の人文出版パワーしょぼい。この頃の被書評物で翻訳が出たのはストイキツァとユベルマンぐらいか。

ディヴィッド・フリードバーグ「隠された神:16世紀ネーデルラントにおける画像と禁令」やダリオ・ガンボーニ「現代美術とイコノクラスム」の邦訳掲載されてるのが見どころ(6号)。ここからイメージ論的転回が訳されてよかったのにそんなことにはなってない。

7号のパラゴーネ特集だけど、ヴァルキ『パラゴーネ』は2021年になってひょっこり訳された。

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