人の家にありそう・なさそうの軸が見慣れない項目でおもろいw https://x.com/dannknoll/status/1833842300663066859?s=61&t=GC7VSa4PcXnbn5H8qsel2w
私は「勝ち馬に乗って有名作品だけを読んで論じる」に論説におけるネオリベ秩序を痛烈に感じるので、そういうの嫌いなんですよね。ヒットしてる、注目作だけを、上っ面撫でて人気を得る評論ってクズじゃね?と思えてしまう。
が、逆サイドから攻める人はしばしば「いけすかない専門家を叩き出せ」でバフを得ようとして、「(ジャンルへの)愛」を吹聴しだすんだが、私はそういう部族同化意識も全然ないので、そういうことはしないのだ。
作品を読むことと、作品支持コミュニティと同一化するのを連続的だとみなす慣習こそが終わってる。その同一化が自明視されてるからこそ、「ヒットしてる、注目作だけを、上っ面撫でて人気を得る評論」は「コミュニティから自由な論説」と誤認される。
『平成敗残兵すみれちゃん』は、ヤンマガという「女はお色気担当な」という扱いがデフォルトの媒体で、その経路の欲望をあたかも応えるようでありながら、別物にずらしている処理がやたらクリティカルなのでは?と気になっている。
が、単行本巻末広告を見ると、結局はこういうマーケットのなかでの工夫にすぎず、この枠でいくらやっても限界があり、「この性産業もどきの枠を潰したほうがいいのでは?」という判断に傾く気持ちも沸く。
私は運送ともよく話すぐらいには近しい、肉体労働近接エリアの低賃金労働なんだが、風俗トークの現場はそれほど見たことないっすね(過去・現在の職場を含む)。キャバの話が出たことならあったかな。でも「いやー、そういうの目の当たりにしたよ」と全然別の業種の人から聞くこともあるし、まああってもふしぎじゃないだろうなあぐらいの認識。
そうなると、なので世代差とか業種とか地域など細かい差でけっこう経験が違ってくるし、「個別の現場差」でかなり差を処理できちゃう。となると、「こんなんねーよ」の批判の有効性も怪しくなる。「あるよ」ではねかえせるから。「お前の知ってるサンプル数いくつ?」というバトル開幕ですよ。で、Twitterで噴出してる疑問ってそこまで考えてないよね。
まあ私は職場では風俗とかより平然とネトウヨ言説が出てくることや暇空経由っぽいcolabo陰謀論、コロナ武漢陰謀論が出てきたりしたことにドン引きした…。その人はそれ以外ではいい人だったりするんだよな。
かっこええ話だが、これ、「洋楽コピーバンド」の店舗運営の規模でやってるような話だな。https://x.com/brandonkhill/status/1832298246246678778?s=61&t=GC7VSa4PcXnbn5H8qsel2w
あまり書き物ができてない。