棚の奥地に行くと、祖父と曽祖父の棚だな。昭和一桁の大日本講談社雄弁会があった。
こうやって並べると戦前講談社と戦後中公は地続きだな。世界の名著のうち諸子百家だけ買ってるセレクトがなー。
他方、「国民の家庭料理」みたいなシリーズの本。こういうのあったなー。部分的には現在はネットとスマホが引き継いだか。 [添付: 6 枚の画像]
冒頭で始まるフランコ独裁と内戦という文脈からの解放のお題だが、結部の怪物と精霊のメタファーこそが内戦だろ?ともう一周して回帰するだけに思えた。https://www.thecinema.jp/post/article_letters/S8xXf
渡邉大輔「『悪は存在しない』と対称性の論理――下書きめいた小論」(note)読んだ。二者間の準均衡状態のミクロな力学としてモチーフ群を拾い上げる。
https://note.com/yoshiken_1982/n/n88827e25db9d
このところTLでピクニックの文字列を見るが、何かの隠語なのかもしれない。きっとヒミツのあれやこれやを開催しているのだ。
中谷礼仁は、岡崎乾二郎と一緒に仕事してたころに(おかけんも論じてた)シェーカー教の研究を持続してたのかー
https://twitter.com/rhenin/status/1793113900730442142?s=46&t=5mSltbi1UVoy9J3RPXDKUQ
こういう状況はあるな。
平岡正明的犯罪論や初期大塚英志の少年少女の犯罪や自殺の語り方が今では難しいのも同じだ。
"批評的社会分析の「衰退」には、第三者からの批評的分析対象に「してはいけない」カテゴリーが増えた、という点も大いに関係してそうです。「りりちゃん」はまだ批評可かもですが、「ホスト依存に悩む若年女性当事者」ならもう批評すること自体が不適切になりかねないですからね"
70年代ぐらいまでは、映画もこの枠の批評・評論と連続していたと思う。略取連続射殺魔は、足立や若松の凄さというよりは、ジャーナリズム世界との地続きにおけるラディカル化だろう。
https://twitter.com/surippa_krhrmkn/status/1792635895725638078
あまり書き物ができてない。