こういう状況はあるな。
平岡正明的犯罪論や初期大塚英志の少年少女の犯罪や自殺の語り方が今では難しいのも同じだ。

"批評的社会分析の「衰退」には、第三者からの批評的分析対象に「してはいけない」カテゴリーが増えた、という点も大いに関係してそうです。「りりちゃん」はまだ批評可かもですが、「ホスト依存に悩む若年女性当事者」ならもう批評すること自体が不適切になりかねないですからね"

70年代ぐらいまでは、映画もこの枠の批評・評論と連続していたと思う。略取連続射殺魔は、足立や若松の凄さというよりは、ジャーナリズム世界との地続きにおけるラディカル化だろう。

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と同時に、りりちゃんについて熱く語ってる言説は、その人の作品への姿勢が露呈していることが多く、その姿勢というのは、作品を語る時には作品にジャーナリズム要素を見ているだけだし、作品読解である理由があんまりないんだよな、と私はわりと白けた思いをしている。

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