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たぶん人形愛好の延長で人間嫌いがあって、その手癖が知性っぽく見られてしまう&本人もそう思っている、という悲しい状態なのではないか。ノンヒューマン好きとしては他人事ではいられないダメさである

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うわ~カエルアイコンの砂鉄レベルか~と思いつつも、他方で彼の心理を想定するなら、ドール愛好家はおそらく「ネットフェミニストでミサンドリーをドライブにしている人」にキモいと言って叩かれる不安をもっていて、あのツイフェミ嫌悪は先制攻撃的な憎悪か?とは思う。

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想像以上にダメでびっくりした。自称理系で息を吐くように雑人文語りをするダメなタイプだなーぐらいの認識だったが。

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こいつ、てきとーなLGBTエピソード披露自慢野郎なのかよー。最悪だな。簡単にわかったつもりになれるTIPS配るのはヘイト加担と大差ない

twitter.com/cicada3301_kig/sta

「月うさぎの里」だから、クマもうさぎになったつもりなのかも

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クマが立てこもってる

「店にクマが入ってきた」 約1メートル60センチ 観光施設に侵入も「1階では確認できず」

news.livedoor.com/article/deta

断片的だという指摘もあるようだが、乗り物と歩行のモードチェンジを見るとあきらかなように(人力車や車から船で別の世界に離脱、無言と家内空間を際立たせるための一定の歩行から島以降の移動行動、徐々に冒険的なアクションに変容)、区切りやステージごとの秩序構築、その把握にはかなり意識的に見える。漫画が連載形式の効果でシーケンシャルな変容をするのとはかなり違う。

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ブロッホがかつて関与した「表現主義論争」の件で、表現主義とロマン主義はかつてルカーチなど公式派左翼が敵視した説、これがファンタジーやそれに類するジャンル(ゴシックも?)に右派が集結したことの記述かつ終結の原因にもなってるんだろうな。

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大正から昭和初期のブルジョワ家庭の調度品に熱が入ってて、かつての中産階級「平和主義オールドリベラル」の面を強く出してる。また、ポスト68年的な左派ファンタジー要素の導入はほとんどないので、ここらへんは褒めて伸ばせるようには見えなかったし、左派なら一言釘刺しつつ「他の興味深い箇所」を語るスタイルになりそう。

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君どうは、Twitterでざわついてるのがよくわからんが、宮崎集大成作品になってるのと、過去作のあらゆるモチーフが集合してること、年齢秩序がかなり揺れているのが老年期的に面白いやつだった。

絵画やイラストからの摂取が露骨に提示されているが、抑制を減らしたのかもしれない。でも風立ちぬの頃ですでにそうか。
見始めると、歩行と屋内空間の丁寧な見せ方が人物と挙動、棲息を根付かせる技になっているんだなと気づく。

批評がどうこうという話は、批評に好意があろうと悪意があろうと、教養や学知がないと大した広がりも洞察にもならないから、「~に熱意があります、さあお話しましょう」のコミュニケーションの初手のカードぐらいにしかならないと思っている。それをざっくり私は「名刺交換と挨拶」と呼んでいるが。

大抵の場合の「批評とは~である/ーではない」といった措定は、思想史を学べば例外が溢れるようにあるので、特徴を一般化すること自体コンスタティブには正確なものになりえず、「そういうルールとしてここではコミュニケーションをとる」の宣言や提案ぐらいの意味しか持たない。実際には無知と狭い見識から、特定の慣習に準拠してそうなっているのが大半。

そうなると、その種の「~が批評だ」といった言明はその措定から何ができるのかがおのずと問われるので、単に自他のポジショナリティの確定や弁別、現存秩序の規範意識の話に展開していくと、単に「習俗の発露」ぐらいのものになる。

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業界縄張り争いを批判しているようでいて、実際には業界生態と現存業界における識別コードに依拠しまくる人が多い。自他のポジショナリティを確定しやすいからそうなる。
「~研究」を履修すれば、そういう現存秩序を一旦更地にして、既存の言説の生成過程を把握するモメントがあるから、現在の識別の恣意性やその識別も10年程度で姿を消すこと、そんなものを根拠に思考することの脆弱さの方に直面する。
そうなると、現存秩序における言説や発話も「そういう動的ルールのもとで起きている挙動」という位置づけになるし、捉え直しの局面が生まれるかどうかを早期に想定することにもなる。

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批評をめぐる説明って、たいてい「批評=権威とみなす→反発」の回路で反応が止まってしまいがちだし、多くの人が、批評と言った瞬間に特定のアクチュアライズされた勢力や党派のことを言っていると判断して、そこから業界縄張り争いと自他のポジショナリティのゲームを開始しはじめるか、学問/批評の排他的弁別などを駆使しはじめる。

研究の方をある程度身につけていないと、研究と批評の識別困難性にまで思考が行き着かず、いつまでたっても既存・現在の勢力の特徴から帰納して発想する罠にはまるんだけど、そのリテラシーしかない人に説明しても前提が全く伝わらず無駄になる。
「20世紀の思想におけるクリティークと現在の文芸批評を一旦完全に分離して前者だけ学んでから再スタートして」で蹴っ飛ばすのが一番楽なのかなあ。

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