批評をめぐる説明って、たいてい「批評=権威とみなす→反発」の回路で反応が止まってしまいがちだし、多くの人が、批評と言った瞬間に特定のアクチュアライズされた勢力や党派のことを言っていると判断して、そこから業界縄張り争いと自他のポジショナリティのゲームを開始しはじめるか、学問/批評の排他的弁別などを駆使しはじめる。

研究の方をある程度身につけていないと、研究と批評の識別困難性にまで思考が行き着かず、いつまでたっても既存・現在の勢力の特徴から帰納して発想する罠にはまるんだけど、そのリテラシーしかない人に説明しても前提が全く伝わらず無駄になる。
「20世紀の思想におけるクリティークと現在の文芸批評を一旦完全に分離して前者だけ学んでから再スタートして」で蹴っ飛ばすのが一番楽なのかなあ。

業界縄張り争いを批判しているようでいて、実際には業界生態と現存業界における識別コードに依拠しまくる人が多い。自他のポジショナリティを確定しやすいからそうなる。
「~研究」を履修すれば、そういう現存秩序を一旦更地にして、既存の言説の生成過程を把握するモメントがあるから、現在の識別の恣意性やその識別も10年程度で姿を消すこと、そんなものを根拠に思考することの脆弱さの方に直面する。
そうなると、現存秩序における言説や発話も「そういう動的ルールのもとで起きている挙動」という位置づけになるし、捉え直しの局面が生まれるかどうかを早期に想定することにもなる。

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大抵の場合の「批評とは~である/ーではない」といった措定は、思想史を学べば例外が溢れるようにあるので、特徴を一般化すること自体コンスタティブには正確なものになりえず、「そういうルールとしてここではコミュニケーションをとる」の宣言や提案ぐらいの意味しか持たない。実際には無知と狭い見識から、特定の慣習に準拠してそうなっているのが大半。

そうなると、その種の「~が批評だ」といった言明はその措定から何ができるのかがおのずと問われるので、単に自他のポジショナリティの確定や弁別、現存秩序の規範意識の話に展開していくと、単に「習俗の発露」ぐらいのものになる。

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