これ漫画変容把握として面白いサンプルだった。こういう00-10年代について概説したものがもっと生まれてほしい。
https://www.cinra.net/article/202306-hirarisa_ysdkrcl
ミメーシスの問いで面白いのは、上野成利の『暴力』で、一見入門書の顔でオリジナリティのあるキレのいい議論がガンガン展開される(そしてけっこう読みやすい)。
ラディカルフェミニズムからジャン=マリー シェフェール『なぜフィクションか?』までをミメーシスで見通す議論を田崎英明がしているのも、上野成利への遠いアンサーなんだろうなあと思う。
私は案の定、歯がやばかったようで、歯医者から「これから最低10回の診療が確定したし、今後は定期メンテきちんと来ましょうね」と釘を挿されました。中年以後、歯はメンテ項目だと意識しないとダメですな。
たしかにキャラクターものならモードが変わる、そして青年誌ではアレゴリーとリアリズムの混合モードが暗黙に期待される、の二者択一状態はあるなあ。
青年誌の中にキャラクター枠が混入されてきているとはいえ、このモードの使い分けが解体されたわけではない。
岡田索雲の以前の読切では、「忍耐サトリくん」がもっとキャラクター寄りなので、短編だからこうなったというわけではないですね。
(Webアクションの掲載は終了しているので、Togetterを貼る)
https://togetter.com/li/1912604
アンチマンだと、この前の蔵書スペース広告の文面が「妄想」に見えるのと似てしまう。
真造圭伍の短編「家猫ぶんちゃんの一年」ぐらいなら、うまくひねったなと思うんだが。
https://twitter.com/shinzokeigo/status/1231054374538858498?s=20
あまり書き物ができてない。