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白江幸司 さんがブースト

昨夜の会で、あるトランス女子学生が亡くなったということを、その友人が伝えてくれた。亡くなったのは、わたしもこのピアサポートの会で会ったことのある子。
こうした訃報は個人的に耳にするだけで毎年1〜2件あるので、その向こう側にどれぐらい居るのか。

わたしも以前トランス当事者の友人を自死で亡くした。
トランスだけでなく、ゲイの友人も昨年自死した。

先日、カラフル京都という京都で活動されている団体の撮影会があった。
毎年参加するようにしている。
メッセージを書いて撮影する企画で、去年までは「生きて帰ろう」だったけど、今年は言葉を変えた。

「10年後も生きて会おう」。

社会へメッセージを書いてくださいと言われても、言葉にできるのはこれだけ。

過去編(黄金時代編)に突入し、群像化したことで、主人公がナルシスアバターを担っていた構造が再編されたのがやっぱ大きな展開だな

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鈴木大介インタヴューはキャンディキャンディでイライザのいじめに切れるというのがなろう要素だな

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ベルセルクが100話まで無料公開してるんで、過去編になる直前までを読み返したけど、ガッツの「へっ俺はニヒルな男だぜ」→娘が死んだりパックにヨシヨシされて、「くっ…」となる芝居にわりと辟易した初読経験を思い出した。
この時期のベルセルクはプロトなろうだわな
younganimal.com/series/f68f676

これ、批評学生と対照させちゃうような談話だなあ。批評学生はこの種の上昇志向がそもそも今は考え難いよなというのも込みで。
vice.com/ja/article/daisuke-su

『中の人』の主人公憎悪表情は数回「天野喜孝きたー」だった。こういう、顔への没入+いやいや没入なんかしてませんよ、の自意識って、なろうのタチの悪い悪ふざけの行為とそれへの共感がとりまいているんだが、それをイメージの関係にうまく落とし込んで形象化している。

一人でイマジネーションの相当物をこしらえているので、好きな作品じゃないけど作画担当は相当マンガがうまいなと。

結局、こういうのを大好きな連中が結局なろう支持層なんだろうなあと。

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たぶん『悪役令嬢の中の人』?なんだそのマイナー漫画?ぐらいに思ってるのが大半なんだろうけど、タイトルをツイッターで検索すると、「褒めをまぶした言及」が4桁いいねびょんびゅん飛び交ってるし、こういう褒められまくりツイートがほんとに多いんだよ。x.com/hanashigure/status/18497

女性オタクによる共感とエンパワメント判定が特に目立つし、それに乗るのがフェミニズムへのアライ、ぐらいの情勢がある。でもその経路でやってる限り実際には保守女性の欲望を支持する罠があって(なぜなら女性の大半は保守女性文化にやたら盲目だし、他方でフェミニストは「アンフェ男に攻撃材料を渡さないために保守女性を批判しない」脆弱性強化作戦を取る愚を犯してるから)、女性オタクは「悪役令嬢はフェミニズムです!」みたいな雑語り空気のままずっといる。

「歴女」がエスタブ保守の尖兵でもあった面の転生体がこの方面になってるのが現状だと思う。「「なろうよりエンタメ小説の方が偉大です」勢の大半がミリオタリアリズムに引っかかるか、清潔感に依拠して回避するかぐらいしかできない限界」がこの層で出まくり。

私がミリオタリアリズム言説を標的に据えているのは、「なろうよりエンタメ小説の方が偉大です」勢の大半がミリオタリアリズムに引っかかるか、清潔感に依拠して回避するかぐらいしかできない限界を抱えているとわかったからで、それならこの勢力はなろうと同一視でいいし、いっそ地獄の底を念入りに点検した方が打開策を作れる、と作戦を組むことにしたため。

また、上記勢力と「日本近代文学の方が偉大です」勢、「シネフィル知の方が偉大です」勢、「海外文学のほうが偉大です」勢も大差なくて、リアリズム言説のフレーバーをかぶせるとだいたい引っかかる。既存勢力の大半はオーセンティシティの宝の中身が違うだけでほぼ同列の水準。

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あ、そうそう。『悪役令嬢の中の人』仕掛け(エミ/レミリア入れ替わり)を少年誌対応させるとサンデーの『タタリ』になるんだよな。こういう善人/憎悪の化身の使い分けってけっこう広く展開してるよなー、と。いろんなところで目にする。
x.com/sunday_promo/status/1846

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聖女お花畑ミームって、実際には「聖女をお花畑扱いし、醜悪化させることで、(しばしば同レベルの)悪役令嬢の方の臭みを消す工夫」になっている。お花畑嘲笑は、「お花畑平和主義から俺たち維新が目覚めさせる」という維新的右派がデフォルト化した想像力の産物なんだろう。

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先日の声に関する雑記事は『合コンに行ったら女がいなかった』の声優演技を即座に触れるぐらいの見識がほしかったな。高めの男声なのか低めの声の女声なのかの曖昧ゾーンをいじる。男3人がバーに行ったら男装バーで、そこのバーテンと男子たちの距離が狭まっていくやつ。

youtube.com/watch?si=0i2J_ZsRo

アニメ放送ぐらいのタイミングで知って、面白いんでマンガ原作(本はTwitterで火がついて、ガンガンオンライン連載)の既刊を一気読みした。
BLの受けっぽい男子と、攻めの男っぽいルックの男装女子(女性っぽい服の回の方が少ないのでそっちが変身後に見える反転性がある)で組み立てられた異性愛ラブコメ。異性愛の枠組みは崩してないけどいろいろ操作が面白い。

最初に『中の人』を読んだ時にも思ったけど「信仰する自己」の変形的な導入なので、普遍宗教のない日本は露悪気取りこそが実質的な信仰なのかもなあ。善行で称賛もされたいけど、エゴ剥き出しプレイしてストレス発散もしたいでーす、の一挙両得狙いの結果にも思える。

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あー、『中の人』読み返してわかってきた。いちいちほくそ笑んだり本音をモノローグで語るような悪女身振りや露悪の仮面は心を守るための鎧なんだな。対人的なインターフェース。不信ベースでコミュニケーションをする際のガワか。善性をめにみえるようにすると「隙になる」という不信ベースでの発想が核心だわ。

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ジェノサイドギグは「昔ならガラスの仮面みたいな描線や内発性などの表現主義的モチーフものを取り込んだもの」の枠なんだけど、ウェブコンテンツ小説の場合、表現主義に近い主体性発露をやると露悪臭がどろっと混ざる。当人らは防衛的工夫としてやってるんだろうけど臭みしかないんだよな。

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露悪リアリズムが「主体性」の代用みたいになってるよなあと思う。なんである種の人間が露悪ですわよ仮面を好むのかと思っていたが、文学的ペルソナだからだろう。「主体性」発露の形式になっている

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『撃滅のジェノサイドギグ』みたいな新人読切であれ、漫画で表現主体性を出すと形式との一致がそれなりの精度で出るという信頼が私はあるが、ウェブ小説にそういう信頼が全然ないのもあるな。そもそも小説での主体性発露に私はあんま興味や期待がないのかも。ならジャンル小説のゴミでいいです感になってしまう。

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