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『撃滅のジェノサイドギグ』みたいな新人読切であれ、漫画で表現主体性を出すと形式との一致がそれなりの精度で出るという信頼が私はあるが、ウェブ小説にそういう信頼が全然ないのもあるな。そもそも小説での主体性発露に私はあんま興味や期待がないのかも。ならジャンル小説のゴミでいいです感になってしまう。

ジェノサイドギグは「昔ならガラスの仮面みたいな描線や内発性などの表現主義的モチーフものを取り込んだもの」の枠なんだけど、ウェブコンテンツ小説の場合、表現主義に近い主体性発露をやると露悪臭がどろっと混ざる。当人らは防衛的工夫としてやってるんだろうけど臭みしかないんだよな。

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