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うーん、ラファエル前派調べれば調べるほどに、ファッション写真やイラストの系譜から整理すべきと思えてしまうわー。文学と美術という枠組みで高級ぶりたがるのが比較を阻止する中途半端さを産んでる。

高階秀爾『世紀末芸術』1981、河村錠一郎『世紀末の美学』1986、高山宏『世紀末異貌』1991『テクスト世紀末』1993の攻防があるんだな。高階河村に対して別の手札を組んだ高山の図か

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神奈川に来たのなら、横浜近辺でこのへん行っとけ!ってところある? 時間空いたら古書店でも見てくるかな。あるいは中華街でも用もなく歩くか。

白江幸司 さんがブースト

なんか高山宏をこえるミッションを前提であれこれ考えるようになると、「普通の英文学者」の書き物が、単に怠惰に思えてくるなあ。

わかりやすく低質なわけではないんだが、「ここから連想や広がる射程、別の補助線を経由して、その上で差異化させる手際入れられるだろ?なんでやらないんだ?」の感想が出てしまう。あ、知らんからこんな単純な記述になるんか…と答えが出てしまうのだが。「ノーマルな英文学仕事」のコスプレみたいに見えるというか…。

そんな程度の思考でも原文でヒリスミラーやWJTミッチェルを読んだり引用しちゃうんだなあ、となんか一周して呆れる

神奈川県平塚市という、なにやらアノニマスな地方郊外めいた場所にたどりついた。

白江幸司 さんがブースト

クレアンス・ブルックスはニュークリティシズム典型なので読んどきベきの声を聞いたのでチェックしておくか。

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キーツのこれ、西洋人の書く小津論の隠し参照原説だな…(加藤論文)。
英国唯美主義がジャポニズムとつながる脈絡あるのがなんか不思議じゃなくなってきた

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加藤論文は、ロセッティの絵は彼岸のイメージあるから男性欲望とか関係ないっすね、むしろレヴィナス的な絶対的他者!と褒めるものなので、ノベゲ批評と変わらんやつ。

「ロセッティの絵なら女も乗っかれたぜ」の報告だなという扱いになった。

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近年の本の年配の女性研究者(たとえば廣野由美子の最近の本とか)だと、「いやー、自分はかつてフェミニズムに乗り切れてなかったですね。すまんす」といった表明をまえがきとかあとがきでちょい入れて立ち位置を提示してくる。

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ある時代まで、文化系の論文は男女問わずフェミニズムを「わざわざいなす」身振り入れすぎなんだよな。

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富士川義之 編『文学と絵画 唯美主義とは何か』(英宝社、2005読んでるけど、年少の女性研究者が起用されているわりにはフェミニズムに対して抑制的な印象をもつ。

加藤千晶のロセッティ論は、ダイクストラ『倒錯の偶像』とかグリゼルダ・ポロック『視線と差異』を引いてフェミニズム解釈による「ロセッティの描く女性は男性視線では」指摘を持ち出した上で、わざわざつっぱねる手続き入れててね。「フェミニズムをにこにこいなすエスタブ保守女性の身振り」が今やきつい。

20年前での論文でもこんなもんかと。

白江幸司 さんがブースト

まんまと釣られて悔しいけど「はらはらミミックラムネ」とか「海中で発見した青銀貨チョコ」、ネーミングが強くないですか?
prtimes.jp/main/html/rd/p/0000

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唐沢俊一関連というかたちで出てきた振り返りだけど、前世紀末の出版・雑誌におけるイラストやコラム、エッセイ、「雑文」が文化的ヒーローであったし、町山自身もそれに憧れた世代という自認が出ているのでこの動画良かった。5:00ぐらいからそんな話になる。
youtube.com/watch?si=wQy3V-vXb

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