ある時代まで、文化系の論文は男女問わずフェミニズムを「わざわざいなす」身振り入れすぎなんだよな。
@ttt_cellule そのあたりはデジタルコレクションにだいたいあると思うます。
@ohmitakaharu @ttt_cellule もう少し早ければ、『現代英米文学にみる神の問題』をお譲りできたかも(蔵書を処分する日々でして.)
あと、画像の箇所はフォークナーがキーツが好きで、というエピソードにあやかっているんじゃないでしょうか。
@ohmitakaharu 神の問題は安く入手したので大丈夫
@ttt_cellule はぁ、、無理です。
@miyarisayu たんに「ロセッティの絵は好き」の発動だと思う。1960-70年代生まれまでは男女問わずこういう人は多くて、映画も文学も美術も音楽もそんな。いまでも大学教員層にたくさんいる。男らしさ女らしさっていいですねみたいなことを平然と言う。
@ttt_cellule キャンセルされたら終わりだと思って守ろうとしているんでしょうかね。。そういうことでもないのになあ。昨年のテートブリテンの展覧会では、クリスティーナとリジー・シダルを同格に置いてTHE ROSSETTISという枠組みだったのですが、ダンテ・ガブリエルひとりを偉大な芸術家だとみなす頭のままでは意義が分からないだろうな…と思いました。
@miyarisayu いや、20年前だからキャンセルとかは想像力にない。たんに「フェミニズム言説をいなすのが文化の嗜み」だった時代が長い。シネフィル女性とかも大半がそれだったし、表象第一世代とかもそう。
@miyarisayu いまは初手でクリスティーの方を持ち上げるとか、いろんな技を複合させると思う
@ttt_cellule そうなんですね。。
@miyarisayu こういうのは長い目で見ると「どうせテートの近年のカタログや展示で影響で変わるんだろう」とみておけばよく、実際にそんな要因で変わる。
@miyarisayu 真屋和子のバーン=ジョーンズとプルーストの関係を扱う論文を読んだが(同書所収)、プルーストのゲイ側面ガン無視して「美女の魅了いいっすね〜」みたいなノリ。だいたいわかったが、セクマイ主題が露骨かつ派手なオスカー・ワイルドを「避けて」、保守趣味や文学美術ごった煮のチョロい趣味の人がラファエロ前派を選ぶのが少し前の英文学でよくあったんだろう。 いったん保守秩序で固定されてるから今更刷新するのがむずく、領域丸ごと今の若い人なら無視するかもね。
@ttt_cellule ふーむ。そうかも。クリスティーナ・ロセッティの研究者の滝口智子さんは、マイケル・フィールドという詩人(じつは女性詩人2人の共同プロジェクト)の研究もされているのを思い出しました。手垢のついた王道を攻めるより、土壌を豊かにしようという方向性は進んでいそうです。
近年の本の年配の女性研究者(たとえば廣野由美子の最近の本とか)だと、「いやー、自分はかつてフェミニズムに乗り切れてなかったですね。すまんす」といった表明をまえがきとかあとがきでちょい入れて立ち位置を提示してくる。