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「appropriationの適切な訳語や解説が出ないものかなー」は二、三年前にも人と話したな。椹木がかつて使った「盗用芸術」の言葉も今では要検討になるだろう云々。

『天国大魔境』のダメさは「シンゴジラの評価が上がってしまうレベル」って感じ。

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『木曜日のフルット』は、左派的なカリカチュアが壊滅したあとの「現代の右派的カリカチュア」が濃厚で、通俗道徳が指定する敵を言い負かす、みたいな構図が漂う。

ファミリー向けコメディを頭良くアプデしたつもりがスルメロック化、という悲惨なケースだと思った。

こういうダメさ加減って「セリフ内容が一目でわかるアウト」判定から漏れて問題視されにくいのか、指摘も少ない。

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『天国大魔境』パラパラ読んでるけど、顔でカリカチュアするの多いね。こんな作品がアキラオマージュみたいになってるの悲惨すぎるな。

デモしてる連中の扱いがシンゴジラ以下。

まあ、石黒は『木曜日のフルット』でスルメロック化してるから、こんなものか。

人に代理購入してもらってたものが届いたにゃん

この記事は可能なかぎり資料から記述を組み立てている選択が凄味。

だからこそ、「00年代前半の夢小説は、具体的作品や代表的なものを語ろうとするなら、個人サイトも検索サイトも潰れているし、internet archiveからではサイト検索機能は使えない。証言がまとまるのを待つしかない」と、空所の明示もバシバシ出てくる。

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わりと白眉がここかも。

「 読み手側からは[原作沿い系二次創作は]なぜ好まれたのでしょうか? 原作物語への愛着、ではありません。二次創作の「二次」性は別に重視されていません。
 むしろ、同じ物語が微改変されながら何度も語り直されることに独特のグルーヴ感があるからだと考えられます。なろうのテンプレもこういった安全ベースと反復の快楽です。」

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この探索を生かしてもっと展開できるのでは…?とも思ったが、作品記述で議論できないうえに総体把握が困難なウェブ小説趨勢を、なんとか苦心して概説しているため、読みごたえがある。

古土「Web二次創作小説史1995-2008 転生オリ主とトリップ夢主」

kakuyomu.jp/works/168173306562

青井タイル「女甲冑騎士さんとぼく」は、女騎士ミームに付きまとうポルノ要素を削りに削って、甲冑騎士さんが甲冑のまま活動するのと、武士っぽい行動で敬服されるというのが、うまい工夫点。

「こんなの見たことないわー。エキゾチズム喚起される」
「そんなもんか。そういえば前に原稿書いたときにも担当の人が、『これ何て読むんすか』反応をしてた気がする」
「キリル文字?と思ったよ。Eを逆さにしてるのか?とか」
「それは邪気眼っぽくていいね。ヨ†E」
「住所欄の中にそんな文字列あったら混乱するわ」

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私の住所には番地の前に〜丁目とかではなく「ヨ」が入るので、人から物を送ってもらうたびに話題になる。

「ヨって何?」
「ヤユヨだよ。石川県はイロハが振られる」
「レアすぎる。甲乙丙丁とか子丑寅もあるの?」
「あるよ」
「あるのかよ!」

すべての書き手の質は、業界ブレーン恩恵を得るチャンスと、トライアンドエラー増大ボーナスで変動するので、書き手自身の属性や資質などではなく、それはむしろある程度トライアルを経た後で判定するときに生まれる言葉にすぎないのだ、という認識になりつつある。

そして、わりと人はあっけなくチャンスを失ったりして、「この人もっと伸びたのでは?」という残骸になる。

小田原は「美しい」「よろこびをおおいに喚起される」で展示物を還元しすぎやろという疑念も生まれる

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別の断面から切り取ったらこういう視点も可能かー、とも思った。
twitter.com/kohkiwatabe/status

引用元ツイを含むツリー

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この記事を再読したが、問題点は、小田原が、国家と和人の「反省する主体」のパターナリズムに魅せられている点かな。
そのため、政府と和人への同一化が議論の前提になっているし、施設も和人向けに反省を迫るべき、という論調で進む。

単純に議題決定権や施設設置決定過程にアイヌをもっと入れて、和人の・和人による・和人のための施設作りという方針以外の選択肢を増やす方がいいと思った。

文調がうねうねしているから真摯と思われがち。

bijutsutecho.com/magazine/insi

なんか老年の野坂昭如っぽい風貌になってきてるな。 youtu.be/ZGPCzYZt2vQ

いま見るとわかるが、町田は口語性のレパートリーの充実がすごいんだろう。その引き出しを使って対象を異言語みたいにしてしまう。
『口訳 古事記』のミッションは古事記のクィア化のあたりかなと。

お。

"6月の新刊:《批評の小径》ジャック・ランシエール『文学の政治』(森本淳生訳)。エクリチュールの民主主義が成立する近代以降、《文学》によってラディカルな次元で可能となる既存の「分割=分配( パルタージュ)」への異議申し立てを提示する、メタ・ポリティークの詩学。
suiseisha.net/blog/?p=18099 "

twitter.com/suisei_sha/status/

西村が、椎名林檎やお笑い論などを考える上で、80年代、90年代の把握や関連言説ごと再検討するために、こういうアプローチになっているんだろう。

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