あーこれ今度図書館でコピってくるかな。
ユリイカ1996年11月号クィア・リーディング。ラウレーティス「クィアセオリー」、クラウスのシャーマン論、クリンプなどがある。竹村和子のグレタガルボ論も入ってる。このユリイカはいま市価8000
21美行ってきた。なかなかよかった。https://www.kanazawa21.jp/data_list.php?g=17&d=1809
プリミティビズム展とその批判、という話は、ルービンの時に批判されて、そのときにジェイムズ・クリフォードも参戦していろんな議論が出ている。 https://onl.bz/Un9ECTy
雑誌『西洋美術研究』の展覧会特集にも、それらの潮流が視野に入ったブックリストがあったはず。
http://www.sangensha.co.jp/allbooks/index/126J.htm
その後ですでに対応局面に達していて、非西欧作家と現地文化とのコンフリクトの争点なんかも今ではわりと語られる(ジョン・クラークの論文なんかも「母国で受けてるがコンテンポラリー受けしてない作家」「母国では受けないがその逆」みたいな作家の分け方をしててなかなか面白い)。
今回のマティス展は、「日本と帝国主義」「日本の美術館と20世紀前半グランドマスター作家に対する政治性消去」がポイントなんだろうな。
「ジャンプ系で~」反応の背景にあるのは、週ジャンはラッキースケベコンテンツでそういう悪評がある(GANTZを含めるとヤンジャンも?)ことに依拠しているわけだけど、それは単に「SNSオピニオンはジャンプぐらいしか知らない」という途方もない無知状態に根ざしている。
その理屈で言ったら宝石の国とかブルーピリオドがアフタから出ていることも「ペドとリョナが多かったアフタ作品がジェンダー批評で褒められるなんて~」ぐらいの反応をすべきなので。(古くは小川幸辰『エンブリヲ』、岩明均、園田健一、惣本蒼、熊倉隆敏まで広くまたがる。「それと同時に」女性作家起用の拡大をし続け、漆原友紀、ひぐちアサ、ヤマシタトモコや市川春子、椎名うみなどを看板にしていったのが今を生んでいるのだが)。
で、編集者・林士平はとっくにそのフェイズ対応済みのプレイヤーで、ジャンプスクエアが青エクとか終わりのセラフをやってた段階で、女性オタク客獲得技法の蓄積がけっこう溜まっていると思われるし(KADOKAWAに対する相対的優位やスクエニのガンガン系列マーケットを食う作戦でもあった)、その延長に約束のネバーランドがあったと見たほうがつながる。
愛想が尽きてた迫稔雄『バトゥーキ』の続巻を読んでいたが、こんな場面を作る人が、同時に青識にあっさりやられる日本エンタメ右派の権化だっていうのに悲しみがある。
格闘系・ギャンブル系の漫画家、だいたいヤクザビジネスと同じ秩序を内面化する。
推しを接種したくてインド映画沼アカの過去ツイを読んでると、わりと高い確率で反トランスに親和的なツイートに行き着く。
これは別にインド映画沼が特別どうこうではなく、どこに行っても避けがたいほどトランスフォビア言説が広まっていることの証拠だと思う。その逃げ場のない感じがまたつらい。
もう本当に、作品自体がわかりやすくクィアに肯定的なものを除いて、あらゆるファンダムにアンチトランスな人がいる(なんならその人がファンダムでは有名な人だったりする)ので、好きなもので一息つくのが難しくなってくる。
もちろん、以前はトランスに肯定的な人が多かったという意味ではない。隣で一緒に楽しんでいる人が、実は自分を差別する人かもしれないという恐怖はいつだってつきものだ。
でも、わざわざ言及する機会がない分、少なくとも知らずに済んだ。今はそうじゃないんだよね。相手が差別者であることを強制的に知らされる機会が増えたというべきか。
ざっと、バズってるなろう記事について連投した。
https://twitter.com/ttt_cellule/status/1653569244293103616?s=20
社会のインフラに依拠してるやつはみんな国粋主義者になるべきみたいなクソ主張してて草 https://twitter.com/mishiki/status/1653362603266289665
あまり書き物ができてない。