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他人の世話を焼いてると、自分の面倒事はわりと忘れていられるし、楽になることもある。

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誰かを推す活動の本質的な厄介さって、人にある、何かに奉仕をしたいという習性なんじゃないの。忠誠や貢献にも転じうる徳性。それが掠め取られてしまう。

ルグウィンはちくま文庫なので、ベルフックスだとちくま学芸文庫になる線引きがどこなのか気になる。

・大学以前的な知=小説愛読者向け=ちくま文庫
・大学以降的な知=読まれてる文献=ちくま学芸文庫
あたりなんかな。

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もうこういう時代かー。鷲田論が出る時代だもんな。小林康夫論とか渡邊守章論とかもありえるわ twitter.com/jimbunshoin/status

白江幸司 さんがブースト

@imdkm キャプ翼がキャラ漫画としては強いがサッカー知としてはカス、でもグローバルにキャプ翼枠は強い、そして今のジャンプに繋がるのもこっちだ、というのとも関連するなあ

白江幸司 さんがブースト

@imdkm 観戦なのか体験の誘いなのかが混濁するからジャンプバトルっぽくならない。人はドラゴンボールで気を使うようにならないし聖闘士星矢でクロスを作ろうとはしない

白江幸司 さんがブースト

@imdkm 「ホビーっぽくなることでジャンプバトル様式に純化できてない」枠、『とんかつDJアゲ太郎』が好例なのかも。
昔のF1漫画とかバイク漫画にも通じる匂い。

ホビーとスポーツが大きな脈だったがそこからバトル様式が分離独立していったのがジャンプの達成(キャプ翼翼)で、その結果ホビージャンルは不可逆に衰退し、またゲームが大抵のホビージャンルを包摂し始める変化が起きる。そこで、ホビーとバトルの再融合に成功した画期作が遊戯王となる。

メシ漫画は「ホビーなのか生活なのかよくわからん」がゆえに、とにかく誰でもメシは食うから強い、となって今やケアや共生を扱える枠になってきたんだろう。何より、新人がデビューしやすい。

にゃーん

とか言ってるうちに4月下旬ですよ。どういうことなの。

嵯峨景子の少女小説ガイド、予想よりキレ味がいい。吉屋以前のガチ層まで発掘してるのか。

「つらみ」で共感引き起こす技法、だいたいこれだよなとも思う。
形式が内容生成してると言ってるけど、むしろ形式と内容が混濁してて、形式が要請する内容のイデオロギー強いというべきだろうな

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エッセイコンテンツが一面では不可避にくそつまらなくなることを、うまく別の視点で言ってる感じがする。

"日記に「だるい」とかは書くけど「今日は絶好調」とかは書かない、そのほうが読者の共感を得られるから(ずるい)、という話をしたけど、穂村弘とかがよく言う「短歌は夕暮れの台所のさびしさとか塗装のはげた看板とかばかり詠んで、タワマンでいい暮らしとかは詠まない」みたいなのとも似ている

形式が内容を要請するというか、そういうのがしっくりする感じがするというか。でもまあ豪遊してる日記もたまにあるけど。田中康夫とか。でもあれも露悪的かつ一時代前のものか"

twitter.com/pha/status/1649958

「権力志向だからだめ」言説が出てこないのは、統治権力の作動との区別がつかなくなるからだといった理由からだろう。なので「保守も納得する伝統宗教の優越」で話がまとまる。

ローカル道徳を作って自治する共同体の秩序にすべてが飲まれる。

スピは「偽物だからだめ」だと真正な宗教を打ち立てる対応しかできない。スピはむしろ権力志向でしかないからだめであり、だからこそ権力を高めて「みんな」へと結合しつつ権力意志を糊塗するために祈りや救いを連呼するのが臭みになる。

祈りや救いのワードはファンダムでもよく使われるが、その「みんな」になる手口として流用されていて、でも見かけ上超越性はあまりないから問題ないというふうにごまかされている。ここでは宗教軸で判定されるから超越性で篩い分けられているのだが、むしろ世俗権力共同体のクローンしか目指してないのが限界。

「現状のスピ言説には罠があって、真正の宗教をカウンターにぶつける作業になりがち」という意見を聞いたが、たしかにそれはあるなあ。現状のスピ論だいたいこれだわ

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