誰かを推す活動の本質的な厄介さって、人にある、何かに奉仕をしたいという習性なんじゃないの。忠誠や貢献にも転じうる徳性。それが掠め取られてしまう。
もうこういう時代かー。鷲田論が出る時代だもんな。小林康夫論とか渡邊守章論とかもありえるわ https://twitter.com/jimbunshoin/status/1651754590713577472
エッセイコンテンツが一面では不可避にくそつまらなくなることを、うまく別の視点で言ってる感じがする。
"日記に「だるい」とかは書くけど「今日は絶好調」とかは書かない、そのほうが読者の共感を得られるから(ずるい)、という話をしたけど、穂村弘とかがよく言う「短歌は夕暮れの台所のさびしさとか塗装のはげた看板とかばかり詠んで、タワマンでいい暮らしとかは詠まない」みたいなのとも似ている
形式が内容を要請するというか、そういうのがしっくりする感じがするというか。でもまあ豪遊してる日記もたまにあるけど。田中康夫とか。でもあれも露悪的かつ一時代前のものか"
あまり書き物ができてない。