エッセイコンテンツが一面では不可避にくそつまらなくなることを、うまく別の視点で言ってる感じがする。
"日記に「だるい」とかは書くけど「今日は絶好調」とかは書かない、そのほうが読者の共感を得られるから(ずるい)、という話をしたけど、穂村弘とかがよく言う「短歌は夕暮れの台所のさびしさとか塗装のはげた看板とかばかり詠んで、タワマンでいい暮らしとかは詠まない」みたいなのとも似ている
形式が内容を要請するというか、そういうのがしっくりする感じがするというか。でもまあ豪遊してる日記もたまにあるけど。田中康夫とか。でもあれも露悪的かつ一時代前のものか"
「つらみ」で共感引き起こす技法、だいたいこれだよなとも思う。
形式が内容生成してると言ってるけど、むしろ形式と内容が混濁してて、形式が要請する内容のイデオロギー強いというべきだろうな