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先日の声に関する雑記事は『合コンに行ったら女がいなかった』の声優演技を即座に触れるぐらいの見識がほしかったな。高めの男声なのか低めの声の女声なのかの曖昧ゾーンをいじる。男3人がバーに行ったら男装バーで、そこのバーテンと男子たちの距離が狭まっていくやつ。

youtube.com/watch?si=0i2J_ZsRo

アニメ放送ぐらいのタイミングで知って、面白いんでマンガ原作(本はTwitterで火がついて、ガンガンオンライン連載)の既刊を一気読みした。
BLの受けっぽい男子と、攻めの男っぽいルックの男装女子(女性っぽい服の回の方が少ないのでそっちが変身後に見える反転性がある)で組み立てられた異性愛ラブコメ。異性愛の枠組みは崩してないけどいろいろ操作が面白い。

最初に『中の人』を読んだ時にも思ったけど「信仰する自己」の変形的な導入なので、普遍宗教のない日本は露悪気取りこそが実質的な信仰なのかもなあ。善行で称賛もされたいけど、エゴ剥き出しプレイしてストレス発散もしたいでーす、の一挙両得狙いの結果にも思える。

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あー、『中の人』読み返してわかってきた。いちいちほくそ笑んだり本音をモノローグで語るような悪女身振りや露悪の仮面は心を守るための鎧なんだな。対人的なインターフェース。不信ベースでコミュニケーションをする際のガワか。善性をめにみえるようにすると「隙になる」という不信ベースでの発想が核心だわ。

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ジェノサイドギグは「昔ならガラスの仮面みたいな描線や内発性などの表現主義的モチーフものを取り込んだもの」の枠なんだけど、ウェブコンテンツ小説の場合、表現主義に近い主体性発露をやると露悪臭がどろっと混ざる。当人らは防衛的工夫としてやってるんだろうけど臭みしかないんだよな。

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露悪リアリズムが「主体性」の代用みたいになってるよなあと思う。なんである種の人間が露悪ですわよ仮面を好むのかと思っていたが、文学的ペルソナだからだろう。「主体性」発露の形式になっている

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『撃滅のジェノサイドギグ』みたいな新人読切であれ、漫画で表現主体性を出すと形式との一致がそれなりの精度で出るという信頼が私はあるが、ウェブ小説にそういう信頼が全然ないのもあるな。そもそも小説での主体性発露に私はあんま興味や期待がないのかも。ならジャンル小説のゴミでいいです感になってしまう。

『悪役令嬢の中の人』も「ミリオタリアリストは真心の人」でだいたい読み解けるな……。悪役令嬢の中の人と、『聖女クソオブイヤーっ』て同じで、「善行をするためにやたら盛大なリアリスト言い訳をする」が共通点。お前らどっちも真心善行やりたいだけなのに露悪ガワを好むという歪みの方がきもいよと思ってる。「みんな善行に気を取られるけど私は実は露悪なんですわよ〜」みたいな自意識をキープせずにいられないというこれはなんなんだろう。「承認されたいけど、善人であると期待されるとうざいからフリーハンドの余地を残して主観的自由を得る」みたいな手続きを感じる

弘兼の悪評が広まる中、風評を高めてバランスを取ろうとしてる南信長(右派)の記事が出たんだが、この路線なら浦沢のほうがフィクション構築度において上だな、と私は考えた。

アメリカの影イシューで注目というふうにうまくごまかしてるけど、『ホットドッグララバイ』は「レイプされる姉ちゃん」が本体なわけで、ゲスさは昔からだよなと。

toyokeizai.net/articles/-/8352

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里中満智子がしれっと文化功労者になっているけど、里中は弘兼の女性版みたいな枠だよね。とにかく女性の方に受賞と議事決定権を配分多めにして不平等是正していく活動では、「保守女性ものし上がってくる」ことがわりと不可避になりがち。男女バイナリー秩序をかたく信じている女性大学教員がジェンダー担当枠みたいにしれっと着任するようなもので。

このへんのくだり読んで、マスターキートンってバブル末期の日本人肖像のホームズ版すぎるなーと位置付けが容易になった。

ドイル自身は帝国主義者で、その立場もビックコミックオリジナルと重なる。

山岡はリアル団塊すぎてもはや歴史的存在に見えるかなあ

狂気の企画か
美味しんぼはけっこうセクシズム強めだと思うが…

x.com/1gho/status/184940894723

quotefancyとかいう「それっぽい英語名言+エモい風景画」を結合しているだけのサイトを見つけた。AI時代の何かにしか見えん。例としてゴダールのやつ。

quotefancy.com/quote/1208090/J

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