日本の学術でエンタメを扱うのが遅れた理由、だいたいこれなのでは。反社が独占的に統括さてるので、関与すると迎撃されがち。
https://x.com/issekinagae/status/1701436514117292052?s=46&t=X2RUQ4Qbb8-DRqOgpyhdjg
@mumumu4yyk さくらももこはちびまる子以前とちびまる子初期が「毒があってすごい」と言われまくりでは? そこからさらに「初期とちびまる子を分けるのは不適切」「コジコジにもそういう面がある」までの振り返りが没後言われまくってた。
日本エンタメ秩序(オタクカルチャー含む)には「欲望だから正義と関係ない」という信念がかなり根強くある。でも実際にそこにあるのは「欲望=正義」の原理なんだと思う。ステートメントや異議の代わりに「欲望の露呈」がある感じ。大義や理念を掲げることをとにかく拒否するが、憎悪、欲望、復讐ならばオッケーになるところがあり、欲望の発露や露呈が主張や異議を代理する特徴がある。
この秩序では、罵倒としての「こんなのポリコレ」は「エンタメじゃない」と同じ意味になる。だが、エンタメに政治的主題が含まれるのはどの国でもあるので、国ごとの秩序なんだっよなという話にまとまる。
で、そんな日本的エンタメ秩序の中では、エッセイやノンフィクションがステートメントやコミュニケーションの代理になりかけていて、エンタメと主張の中間地帯をまたがっている。
瀧波ユカリも毒吐き系だし、女性ギャグ漫画って攻撃的なことや場を凍りつかせるコミュニケーションに根拠があるような4コマとかも珍しくないよなと。男性版は無いわけではないが、そう多くない。これはたぶん男性ギャグ漫画がよりテレビ番組準拠で展開したからで、女性ギャグ漫画はそうでもなかった(テレビ番組のセクシズム秩序を一旦回避した)、というのも考えられそう。そこで考えると、久米田康治の漫画って、毒吐き系としてみられたことで女性読者が生まれていたとも推定できる。
「東京最低最悪最高」流しで済ますのもどうかと思い、ふたたび頭からまじめに読んだ。(アンチマンと比べると)反感は無いんだが、この作風だと期待ができなさそうという感覚をうまくいうのが難しいな。
対立図式への揺さぶりが少ないのは特に問題じゃないように思う。通り一遍のモノローグにあまり感じさせないのは、漫画の腕があるからだというのもわかる。
「コミュニケーションを擬態してること」が作品の狭さに見える、というのがやはり鍵かな…
エッセイとノンフィクションっぽいもの色を入れれば途端に褒めだす人というのは世の中にたくさんいるわけだが、ジャンルフィクションの方を豊かにした方が、作品のバリエーションを伸ばすことが出来そうだ。
「東京最低最悪最高」流し読みした。これ「アンチマン」女性版だな。
あまり書き物ができてない。