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にゃーんとばかり言って暮らしたい

台湾大図書館へ!というルート提示が新規差分のニュースだな。桑原武夫の蔵書すら廃棄される状況なので、寄贈受付があるとは思えない。

"〈日本国内の大学に働きかけたが、「図書の整理費用がない」などを理由に断られたという〉
←良く聞く話。文化貧困国・日本。
日本の図書館では史資料も処分されたりするから、台湾大図書館に引き取ってもらった方が良かったかも。

⇒我部政男氏が蔵書3万冊、台湾大学に寄贈

ryukyushimpo.jp/news/national/ "

x.com/kageshobo/status/1777159

数年前、コロナ禍まっさかりの頃には「私がワクチン副反応で苦しんでも出勤してるのに、私用で休みをとった白江さんが美術館行ってるってどういうこと?」という凄まじい難癖つけられたのを覚えているが、他人の有給申請の「理由」を非難する/SNS監視してプライベートの活動を品評する/ワクチン反応で苦しいのでなんとかするべく上司や同じ部署の人と交渉するのを放棄して他部署の人間に八つ当たりする、という幾重にもエラーをぶちこまれているので、アウト発言すぎる…そもそも労基法を理解してない…と絶句したものだった。

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他人をアカウント監視まで敢行してストーキングして、あれをしたこれをした、あれはサボりだ、などと吹聴する同僚がいるんだが、その人は私からの挨拶は無視するマイクロアグレッションが常態なので、この人の「道徳感情」は自分に都合がよすぎだろと呆れる。

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職場での状況が、法権利意識がぐにゃぐにゃな日本社会秩序と、水平的関係の抑圧・同調の体現みたいなものに進みつつあって、まじかーと悶絶している。具体的に言うと、他人の有給申請に隙あらば文句をつけて潰す慣行が成立しつつある。やってるのが経営者ではなく職員だというのがやばい。労働者の権利確立ではなく、処罰や格付けのために権利侵害を推進して「苦役こそが労働」とやりたがるという…。
こういう日本社会秩序のやばさは何とかならんのかねえ。統治しやすくするために作られた風土なんだろうけど。

おおー、買うかな。

“今月末刊行予定の『ウィメンズ・ムービー・ブレックファスト/女性たちと映画をめぐるガイドブック』の「彼女たちの闘争」パートを分担執筆しました。題は「レイプ-リベンジ」映画の系譜を遡る―女性と暴力をめぐる逆説―」、後半は『風』を中心にリリアン・ギッシュ論です。
amazon.co.jp/dp/4845923203?ref

x.com/hwashitani/status/177789

白江幸司 さんがブースト

4/24日にリリースされるTill Yawuh さんの1stアルバム「Still Sounds」のアートワークを担当させていただきました!
先行シングルの「Sunbeams」(4/10)と「Mango Coockies」(4/17)のアートワークも担当させていただいており、それぞれ異なる三種類のイメージを制作させもらいました。
音楽と合わせてぜひお楽しみください!
kakubarhythm.com/news/post/121

多くの場合に言えることだが、「自分にとって自然であること」を守ろうとすると、人は変わりたくない、学びたくない、となっていく。「自然さ」の透明なイデオロギーに従うことを選ぶし、それ以上伸びなくなりやすい。

私はそういう秩序に従って村人になるぐらいなら学ぶ方がいいや、と振り切ってるが、多くの場合、居場所とアイデンティティにしがみつく。

(まあ読み書きする読書会、つまりライティングサークルにも居場所化のモメントがあるんだが、その種のことは「テキスト生産においては合意や理解の共有への期待の地平は不可欠であり、設定しないと書けない」という事情からうまく組み込む必要がある)

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読書会・勉強会は、書くことを組み込んだサークルの方がより良い、というのもあるかな。レジュメであれテキストであれ、書くと、自分の読み方の粗に気づいたり、組み立て方に気づくことが増えるし。

ただ、この手の集まりによくいる「レジュメを欲しがる人」がしばしば「むしろレジュメをその人自身が書いたほうがいい人」である地獄がある。レジュメをほしがる心情は、まとめがあると読みやすくなるということに根ざすが、自分でまとめる経験を踏んだ方がそもそも読めるようになるので。しかし多くの人はそうは進まず、無限にレジュメを欲しがり続ける循環の中に生きる。こういうときに「自分は読んでるだけなので」といったアイデンティティ意識が邪魔をする。そういうときには、そもそも書かないと読めない、というふうに言わざるを得なくなるが、わりとアイデンティティ自認がそれを吸収することを邪魔する。

同じように、人はあれこれ理由をつけて、書くことやある程度以上のラーニングをすることを忌避する。そういう行動の閾値の線引きによって、多くの人はあいまいにリミットを迎えてしまう。

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白江幸司 さんがブースト

@imdkm 訓練すると型が掴めるようになるとか、流れや段取りの把握でおおまかに処理できるとか、そういうスキルを覚えたくない人が、擬似問題めいた論法にすがっていき、さらにはそれでバズるし人が食いつく、という地獄がいまやSNSで可視化されているので、疲れの元になってるよね

@imdkm 訓練すると型が掴めるようになるとか、流れや段取りの把握でおおまかに処理できるとか、そういうスキルを覚えたくない人が、擬似問題めいた論法にすがっていき、さらにはそれでバズるし人が食いつく、という地獄がいまやSNSで可視化されているので、疲れの元になってるよね

白江幸司 さんがブースト

ものを書いたりなにか喋ったりするスキルは、なんらかの別の能力に付随するものと思われがちなところがあって、それが独立して訓練することも可能なものなんだというのが忘却された結果が、「頭の良い人は説明がうまい」みたいな話

マンツーマンで何かを伝授する場合、パワハラっぽくなるトリガーは山ほどあるから、結局のところ、数人規模ぐらいの一定の集団のなかで人は学んだ方が効果的なのもあるなー。在野だろうと大学だろうと、教える・学ぶ関係はわりと暴力の温床になる。

一対一だと、自分ー相手の二者関係のなかで、「自分に足りないもの」の把握を誤ってしまうことが増える。無いなら無いなりにしのいだり、組み立てるめどが掴めなくなったり。そのへんは集団の生態を観察しながら学ぶと、目処がつきやすい。

そういう意味で、プロとアマチュアが混ざる読書会とか勉強会とかがグラデーションが幅広く成立する(のでいろんな人が入る余地がある)場所ってことになりやすい。

テレビ見ないから知らんかったけど、「マネーの虎」ってとっくに番組終了してたんだね。2004年ごろ終了か。あの手のコンペティション金集め番組って明らかにアメリカのテレビ番組が元ネタなんだろうな。アメリカにはその手の番組がかなりあるらしいことに気づいた

これで川勝失言録を知ったが(全部森発言じゃね?とマークしたら半分外した)、川勝も世代相応のセクシストおっさんやんという感じだな。出題者の「意図」がそう知らしめることにあるんだろうけど。

quiz-maker.site/quiz/play/PL8b

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