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フィクションは「主体の確立」をうながすべきの理念が発動しそう。だとすると、漱石の個人主義把握と坊っちゃん的頑固者表象が連続していると見なせるな

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児童文学とか絵本における「傲岸不遜のおもしろさ」って何かいい概説あるのだろうか。

傲岸不遜であることをとりあえず挫く系統が褒められそう。その反動で、傲岸不遜でいいじゃんも起きそう。90年代ラノベって傲岸不遜キャラで引っ張ってるの多いわと気づいた

こんなコラムシリーズあったのか。右派アクション映画のマチズモを女性がジェンダー分析するようなアングルだな。lovepiececlub.com/column/7393.

白江幸司 さんがブースト

これは口を酸っぱくして言い続けていることだけど日本における差別の最大の問題は、差別に対してあまりに寛大過ぎることだと自分は思う。
積極的に差別する人間は比較的少ないかもしれない。一方で差別に対するカウンターや批判はあまりにも少ない。これは体感ではなく学術的にもされている(ソースは今探し中笑)。かつてキング牧師は、普通の人の無関心が最大の悲劇だという趣旨の発言をしていたが、それを日本という社会は体現してしまっている。経験者なので分かるけど、直接加害されるよりも怒ったり抗議したりしてくれる人が少ないほうが絶望や孤独感を感じ易い。また、差別を黙認するという消極的差別な姿勢は当事者意識が極めて欠けているが故に飛び出すものなので、日本に◯◯差別は無いんじゃないかな〜?という態度にも繋がり易く、ある意味では直接的な差別よりたちが悪くなる時さえある。
また過去の裁判所の判決を見れば嫌というほぢ分かるが、差別を差別と認めず「偏見」「嫌悪」などと言い換えている例が非常に多い。日本社会の人権感覚の低さが原因なのか、この国はとにかく差別を差別と認めない。最低限のラインにすら立てていないのだ。人権の話になると「普通の日本人」と絶望的に会話が噛み合わなくなるのはその辺りが原因だろう。

なんかwindows用DeepLアプリケーションが始まってた。辞書登録とかもできるのか。Proアカウントをもてば敬体/常体の指定もできるらしい。

deepl.com/ja/windows-app/

こんな箇所があって、日本のキッズ向け概説本とは一味違うのがいいぞ、と教わったので、図書館とかで読んでみるかな。

Amazonの「小売業を崩壊させる意図で開始された」みたいな認識がさらりと出てくる。日本だとこの種の企業批判の精神がゴッソリ抜ける。

amazon.co.jp/gp/aw/d/442241449

増刷したり長く在庫を持って少しずつ売るような刊行体制も失われてきている。
他方でアカポス確保には英語論文や英語発表必須だし、日本語のみの読者に向けた翻訳のインセンティブも急速に失われているんだろう。あと10年もすれば世代が一つ入れ替わるだろうから「英語で読め」が当然のように言われるのもありうる。

今回のマティス展に合わせてどさくさでジャン・クレール訳されてた。
今の日本だと、埋もれて増刷なし、しばし安値になったあと、刊行後5年程度で高騰する悲惨なルートを辿りそうだな。

@ohmitakaharu 私には未知な「筒井康隆で全部わかる」ハブ機能がかつてあったという話で一連のコメントおもろい

明日、成相肇・遠藤麻衣・清水知子の三人で『芸術の悪さ』読書会(オンライン参加可能)があるのを知った。

sugar-cube-book-club-01.peatix

「女性俳優・男性俳優への言説の全面的更新」では、斎藤綾子的な男性俳優消化が00年代にとっとと単著になって浸透しているべきだったのでは?と思うが、実際には10年代の映画ライターによってポピュラー化アレンジで浸透したんだろう。そしてそのときにリテラシー層のズレから、シネフィルは自分たちにカンケーねえ、ぐらいに線引して教養見直しの契機と捉えなかった。こうしてミソジニーっぽい体制が強力に延命されている。

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金子が多摩美准教授ポストを失職して映画業界から追放のも当然だと考える(金子の被害者がまだ続々と発見される気配が川上ツイートからもうかがえる)。

他方、シネフィル批評家は女優・男性俳優に対して「愛でる」ような言説を前世紀からずっと維持していて、おそらく彼彼女らは俳優への姿勢をノーカンにする習性に染まっているのでここを対象化することについて盲点になっている。川上のTwitterアカウントでも大寺がそういう「認識の更新がないミソジニー」の権化のような現れ方になったし、彼が「これだから批評家は」と零すのも、シネフィル批評家の現状としては揶揄ではなくわりと妥当な評になっている。

「女性俳優・男性俳優への言説の全面的更新」が待望されるのだが、ある世代までのシネフィルは(特に在野では)フィルムスタディーズをやらない口実を蓮實から得てしまっている。他方、鷲谷花とか北村匡平(北村は取り上げる対象は古いしシネフィル保守に迎合的だが)がフェミニズム批評経由で俳優への関心を言説にできているが、在野シネフィル層はそういうのを吸収するのを拒否してるんだろう。ある世代までと言ったが現在は「年寄りぶりたい若手」に同じような蓮實憑依チートプレイが増えている。

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金子は松田政男論でデビューしてるから平沢剛と同じような前世紀の左派論壇系映像批評の末裔でもある。

シネフィルはアニメや「映像」(dis用語)を嫌悪するから擬似的にドキュメンタリー志向っぽく扮するんだけど実際にはドキュメンタリー系のリテラシーはすかすか。そのシネフィルの教養欠落の隙間を縫うことでそれっぽく見えるという立ち位置だった。ただ金子の左派性も「第三世界系&人類学」を纏ってるから自動的に導かれたものにすぎず、現代の韓国や英米のドキュメンタリー(ネトフリ的なエンタメぽいドキュメンタリー含む)との戦いを踏まえた射程とかは作れていないと思う。

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そういえば20歳前後の男性の「セクマイやフェミニズムのことなんか考えたくない」気分って、なんでも思考に感染してしまう不安からこそ、「これは自分に関係するかしないか」ジャッジが先鋭化してなんでも拒否的になる傾向と連動したものなんだろうな。

他方でセクマイや女性においてはこの判断は逆になり、「自分が関係するからこそ考える契機になる」し、逆にマジョリティや男性に対して「そんなもの自分に関係ないから考えたくない」が起きる。

この時期、「自分に関係しない事柄は自分を脅かすから、自分の中に容れたくない」みたいな防衛意識も強く出がちだろうなと。

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