いやこれ単に私の好悪の問題で済ませるのだめかもしれない。独身女性を既婚女性に変更することで、女性同士の楽しい暮らしとか、未婚のままで楽しく過ごしている現在のペティットさんの姿とか、恋愛や結婚の圧から自由な女性像とか、女性一人でも幸福に過ごすことは可能だという原作のポジティブな部分がごそっと削られてしまうんよね。この改変によって失われるものに考えが廻らないならちょっと新訳の意味考えてほしいし、この人の翻訳、平井呈一に限らず先行の翻訳に対する敬意のなさも気になるし、敢えてこの改変をしたのだったらそれは邪悪じゃん。あとがきで「いい話」って書いてるけど、いい話のいい部分がどれだけ損なわれたか。この『一対の手』という小説は、今の女性が読んで勇気づけられる部分が多々あるのに、そこをぜーんぶオミットしたんだからね! 書いてるうちに腹立ってきた。
今現在大変な衝撃を受けているのですが、去年岩波少年文庫から発刊された『小さな手 ペティットおばさんの怪談』という英米の怪奇小説アンソロジー、表題作は以前創元推理文庫から平井呈一編・訳の『恐怖の愉しみ』下巻に収録された『一対の手』という短編の新訳なんです。訳は金原瑞人。
それでこれ平井版だと語り手兼主役のペティットさんは高齢の独身女性で、岩波少年文庫版では「ミセス・ル・ペティット」になってる。先ほど岩波版を初めて読んでえええ、と思い、『恐怖の愉しみ』が家に上巻しかなくて確認できなかったのですが、ネットで原文を探してみたところ「Miss Le Petyt」なんですよ。
……なんでこんなことするんだろう。新訳で若い人にも広く知られるのは素晴らしいことだけど、私は独身で幸せなまま年を取ったペティットさんのことが大好きで、物語にも一人である不安と喜びが両方ちりばめられているのに。これ物語の趣も全然違ってきちゃうじゃん。もう腹が立つ以前にすごく悲しい。
翻訳は平井呈一は古めかしさがあるけれど、闊達な語り口が素晴らしいしラスト一行の切れ味の鋭さに関しては金原訳は到底及びません。岩波がこんなことするなんで、本当に悲しい。
#読書
#マストドン読書部
アラノンのテキストには、アル中がなぜ自己中なのか、いっぱい書いてある。
「アルコホーリクは行動し、私たちは反応する。酒飲みには誰も何も言うことができない。アルコールは誇張された自信と幸福感を醸成し、酒飲みをすべての答えを持つ小さな神のように振舞わせる。同時に、酒飲みはますます非合理的になる。それに対して、私たちは反論し、より現実的な見方をさせようとする。自分たちが正しいことを証明することが不可欠になる」
Alcoholics act and we react. No one can tell the drinker anything--he or she calls all the shots. Alcohol fosters an exaggerated sense of confidence and well-being, prompting the drinker to act like a little god with all the answers. At the same time the drinker becomes increasingly irrational. In response, we argue...
バスに乗ったら高齢者ばかり。
ちょうど空いている席があったのですわりました。
隣は若い女性とステッキ2本使用の高齢男性。
バスが出発するギリギリに高齢男性が乗車しました。
そうしたら私の隣の高齢男性がステッキを振り回して離れてすわっていた妻に「お前が立て」と言うのでした。
最後に乗った男性は困っていたしたが、ステッキをなおも振り回して「座ってやってください。」と言いました。
妻の方はすぐ後ろの二人掛けのあいている所に座りました。
これだけでも気分が悪い話ですが、ステッキを振り回すジジイは今度は私の隣の若い女性をターゲットにしました。
優先席だったのですが、後ろの席が一杯だったのでそこに座ったのか、または事情があって座ったのかわかりませんが、とりあえず皆なんとか座れました。
それで良いのではと思いますが、ジジイが私の前でステッキをふりまわしながら「そこにすわってはいけないやつがすわっている。そこは若いものが座ってといけない。なぜそれがわからない。」攻撃は止まりません。それに同調するババアまでがなりたてました。
私は1駅で降りましたか、若い女性はどこまで行ったやら。
止めようと思いましたが妻を見ると体を小さくして知らんぷり、若い女性はガッチリシャッターをおろしています。
ごめんなさいと心の中であやまりました
福祉分野のすみっコぐらしです。生活困窮者の自立支援をやっているはずが、なんでも屋の現場猫。