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面白いと思った講義は次の日に聞き直している。

放送大学を寝しなに聴いている。基本的に淡々とした話しぶりなので落ち着く。

『たんぽぽのお酒』はまさにそのイメージ。

 “生きることの中を通っていく、おびただしい物事とイメージをとらえるブラッドベリのレンズは、すごいと言うしかない。歪んでいて、壁のように分厚く、紙のように薄く、無数のひびに割れながら、あらゆる光を反射する。”

終わりなく拡散する光
『たんぽぽのお酒』レイ・ブラッドベリ 北山克彦訳(晶文社)

やりなおし世界文学
津村記久子/著shinchosha.co.jp/book/331983/

年末年始に読む本を準備したい。

嫌な感じを再確認するために、再読するのも良いかもしれない。

 “パク・ヨンミといい、金元祚といい、この人たちが記録した北朝鮮社会はオーウェルの小説を上書きしているように見える。だが私たちだって、二重思考やニュースピークから全く自由でありうるだろうか。上書き、後出しで言葉が作り替えられ、過去の事実が隠蔽される、それは今の日本でも起きていることだ。条件が揃えば『一九八四年』的状況は作り出される。だから、ある社会や集団の自由が封殺されている状況を「北朝鮮みたい」と揶揄することは、本当に無意味だと思う。”

 “考えてみれば、私が長い間『一九八四年』を読むたびうんざりしてきたのは、そこに描かれているのが予想もつかない醜悪さでなく、いやというほど予想のつく醜悪さであり、それが濃縮されていたからではないだろうか。”
脱北者が読むジョージ・オーウェル
 
本の栞にぶら下がるiwanami.co.jp/smp/book/b631503

 “ヘイトクライムや自民族中心主義が世界に蔓延していますが、パレスチナ問題は、大日本帝国や大英帝国を軸に大国が植民地支配を繰り広げた帰結としてあります。パレスチナ・イスラエルに特化して問題を掘り下げて考えることが、自民族中心主義など普遍的な問題につながり、世界につながっているのだと、議論を突き詰めていったのが『パレスチナ/イスラエル論』です。日本でパレスチナ・イスラエルを考えると、対立や紛争ととらえられることが多いですが、イスラエルによる占領、植民地主義があり、深く日本も関わっています。”

「日本は移民や植民地の歴史を忘れている」 ディアスポラの視点で世界を再考 早尾貴紀さんに聞くbook.asahi.com/jinbun/article/

 “――熊本地震(16年)ではSNSで「熊本の朝鮮人が井戸に毒を投げ込んだ」という投稿があり、関東大震災のデマの模倣と指摘されました。東日本大震災(11年)でも「韓国人が津波で流れた土地を不法占拠している」といったデマが流れました。

 差別の構造は日本社会を覆い続けていて、マイノリティーにとっては、直接的な暴力は受けなくても、そうしたうわさが出回ること自体が怖い。外出を控えたり、避難所に行かないようにしたりといったことにつながると知ってほしいのです。”

朝鮮人虐殺、野放しの差別 安田菜津紀さん「祈るだけでは不十分」digital.asahi.com/sp/articles/

聴いていた。宝塚歌劇団が異様、特異である、とは思わなかった。この組織のありように、他人事として接することのできる人は少ないのではないかと思う。「open.spotify.com/episode/24Lbu

トランスジェンダーに関する差別扇動を解説した記事のまとめlchannel.net/transgender/?s=09

先に投稿したような経緯で、何らかの変化がない限り、アディーチェの作品や文章を読むことはないと思う。そして、小説の翻訳者の、この件に関する振る舞いも首肯できない。そもそもが、出版社の姿勢が問われている、というのはそう。この辺りはずっと考えているし、コメントを待っている。

 “もしも、あなたが「女性は社会化によって女性である」という説の支持者であるとしたら、以下のシナリオを考えてほしい。若い女の子が自らの意思に反して男の子として生きるように強いられている。何年にも渡って、男性としての社会化や特権の享受をしたあと、彼女は女性としての性同一性をカムアウトし、女性として生きはじめた。あなたは彼女のことを、女性として認めるだろうか? もしもあなたの答えがイエスなら、トランス女性を女性として認めないことは偽善的になる(実際問題「自分の意思に反して、男の子として扱われた」というのは、多くのトランス女性が自身の子供時代の経験として描写することだ)。”

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【翻訳】「トランス女性は女性じゃない」論の間違いをすっぱぬく ― ジュリア・セラーノ(翻訳: イチカワユウ、協力: 佐藤まな)


transinclusivefeminism.wordpre

足の付け根まで水に浸かって鷺が魚を待っている。

面白そう。

内容説明
>文学は戦争を抑止するために何ができるのか。連合国による戦争裁判が終結した後も、日本文学は、法が裁けなかった罪を問い直し、戦争の暴力に向き合い続けてきた。一九四〇年代後半から現在まで、時代の要請のもとに生み出されてきた、戦争裁判をテーマとした主要な作品と作家を取り上げて、新たな文学史を描く。

文学が裁く戦争
東京裁判から現代へiwanami.co.jp/smp/book/b635086

「女の怪物」がほしい、というところが悲しい。

 “ヴィクターから何度も拒絶され、親の愛をあきらめた怪物は、せめて自分と同じくらい醜い女の怪物を作ってほしいとヴィクターに頼む。「おれと同じぐらい醜く、恐ろしい者なら、おれを拒みはしないだろう」(p.283)。願いを聞き届けてくれれば、人間の前に二度と姿を現さないと怪物は誓う。”

〈11〉妻が子どもを産みたがりません
☞ メアリー・シェリー『フランケンシュタイン』がオススメwebchikuma.jp/articles/-/3310

 “私が大事にしている言葉があります。15~16世紀に生きたオランダの人文主義者エラスムスの「平和の訴え」の一節です。「聖職者たるものは、みな一様に気をあわせて、戦争反対の叫び声をあげねばなりません」「よし武力による紛争の解決を阻止することができなくとも、決して戦争を是認したり戦争に参加したりすべきではありません」「権威ある聖職者が列席することによって、甚だしく涜神(とくしん)的な、少なくともその疑いの濃い行事に栄誉を添えてはなりません。戦没した人たちには普通の墓所が与えられるだけで充分です」。宗教者たちは今、この言葉の重みを受け止めることが大事でしょう。”

 “昨今、「平和」を語ることが「反体制的」であり「左翼」であると決めつける人が多い。そういう空気がまん延すると、よほど信念を持っていないと語り続けることを「もうやめよう」と断念してしまう。そして、その「もうやめよう」を待っている人がいます。”

宗派の戦争協力検証 浄土宗平和協会理事長・廣瀬卓爾さん 「慚愧の念」行動で示さねばmainichi.jp/articles/20230910/

ホロコーストにも、植民地と入植に対しても、日本は無関係ではない。

“「私の原点はホロコーストです」。岡さんは小学校高学年のころ、「アンネの日記」の日本語訳を読み、ユダヤ人虐殺の事実に心を痛めた。それと同時に訳者のあとがきが気にかかったという。「日本人の訳者がアンネの家を訪れると、現地関係者に『あなたはナチス・ドイツと同盟を結んだ日本の人間だろう』と問い詰められた、という記述があった。私は迫害する側の人間なんだとショックを受けました」”

“「日本とイスラエルは親和性があり、ミラーイメージ(鏡像)のような関係です」と話す。日本がかつて中国や東南アジアで推し進めた植民地主義と、イスラエルが入植地拡大や封鎖を通じて進める植民地主義が共通するとし、「負の歴史に向き合わない点も似通っている」と語る。遠い日本に暮らす私たちも問われている。”

「どっちもどっち」はジェノサイドに加担 アラブ文学者の問いかけmainichi.jp/articles/20231108/

読んだことのない本の書評を読むのが割りと好きで、対象の本の内容そのものというより、書評をしている人の物の見方や取り上げ方が面白くて読んでいるところがある。今、津村記久子の『やりなおし世界文学』を読みながら思い出した。津村記久子は好きな作家の一人。

やりなおし世界文学
津村記久子/著shinchosha.co.jp/book/331983/

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