ガザのハンマード家のみなさんへのインタビュー、お父さんのアイマンさんとお母さんのリハーブさんの回を公開しました。
ご自身やご家族のことに加え、「10月7日」以前からあった占領と抑圧を個人としてどのように経験してきたのかをお話しくださっています。
全文無料でお読みいただけますが、ご購入いただくと寄付になります。
https://note.com/itoyama_noe/n/n3439f66ef60c
TikTokとかの短い動画で政治業者を支持しちゃうの?ウソぉ……ってつい去年まで思っていたが、知人女性がインスタに繰り返し流れてくるテイラー・スウィフトの本人&ファンの動画ですっかり彼女に惚れ込んでしまい、アルバム全部買った+バージョン違いもグッズも揃えようとしている+ツアーのチケットとるのに血眼になってるのを目の当たりにして、連続的に提示されるコンテンツを摂取することで変わっていく人間の趣味嗜好のうつろいやすさを実感した。
ガザのハンマード家のみなさんへのインタビューは、各回単体で完結していますが、第1回から通してお読みいただくと、語り手のみなさんの生き様やガザの過去と現在の状況などをよりよくおわかりいただけるのではないかと思います。
第1回:長女ハニーンさん▼
https://note.com/itoyama_noe/n/nfd6ca4ce126f
第2回:長男ムハンナド▼
https://note.com/itoyama_noe/n/nd5e50db275b7
みなさんが大変な状況下で聞かせてくださった声を、少しでも遠くまで届けたいです。よろしければ、お力添えいただけますと嬉しいです。
ヴィーガンと部落差別ってもうなんどもなんども正直めんどくさいくらいなんだけど、肉食の問題点を指摘したりすることが直ちに差別なのかと言われればそうではないとしか言いようがないんよね。文脈なり背景なりの問題なのでね当たり前に。
井上太一さんが指摘している、差別してきたのは消費者の方じゃないかってのはその通りとしか言えないし、やや日刊カルトのふたりとかもアンチヴィーガンの行為のなかで部落差別を持ち出して水平社宣言のパロディとかもしていたけど、正直都合よく利用しているようにしかみえないし、それに同調している連中もまた部落差別なんてひとつも考えたことなどないだろうにねといつも苦々しく思っている。
肉食は文化だというのもまた軽々しくそんなこと言うもんじゃないよと思ったりもするんだけど、仏教の影響による差別感情という側面はひとつの事実としてあるけれど、また明治政府の時代になってからは官製メディアで肉食の奨励をしていたくらいで、わたしたちの生活や文化というものは多分に権力支配の影響下にあるんだということも共有したいなと思う。それは今現在広告などを通じてなされていることとも繋がるものだしね。
これだ、聞いててざらっとした感じ。
QT: https://fedibird.com/@takako3599/113147945580457532 [参照]
「“尊厳”死」をわざわざ出して来るのに人権についての質問の回答もかなり濁している。少人数だからそこまで手が回らないといったことも言っていたが、なら尚更だめだと思う。
https://open.spotify.com/episode/1fHziQavO9hRPn1XecPzkf?si=ZZVtfz_ARt6zG4BCpgEKzA&t=5857
日曜日の選挙のラジオを聞いている。各党の人の話、国民民主党が安楽死・尊厳死について質問をうけていたが、かなり曖昧な回答で驚いた。こんな認識で提案してたんだ。あと、批判だけなら誰でもできる、みたいなことを言っていたのもざらっとした。
https://open.spotify.com/episode/1fHziQavO9hRPn1XecPzkf?si=ZZVtfz_ARt6zG4BCpgEKzA&t=5857
切れ切れに読んでいるけど面白い。
『賢人と奴隷とバカ』
https://www.akishobo.com/book/detail.html?id=1107&ct=4
https://www.ibunsha.co.jp/contents/sakaispecial02/
“「最新のものにおいて世界の様相がけっして変貌しない」。最新のものの装いで、おなじものが永遠に反復されるし、永遠のくり返しが、いつも最新のもの、変化の様相としてあらわれざるをえない、これが地獄なのです。
こう考えてみると、この19世紀中盤に発端をみていたこの資本主義社会のあらたな地獄の様相を、まるで「天国」のようにえがきだしたのがポストモダニズムともいえるかもしれません(そして、メモ的にいっておくと、とりわけ1990年代以降のヒップホップのタナトス的反復感は、ポストモダンの言祝ぐ「くり返し」ないし「反復」を、ブルースの延長上でもう一度地獄の様相に書き換えたとみなせるかもしれません)。”
「だれがみずから自由を手放すだろうか」
──2010年代と現在をめぐって
酒井隆史インタビュー
https://www.ibunsha.co.jp/contents/sakaispecial02/
“いずれにしても、しかし、ここではたんに若い口からいわせること、それだけが重要なんですよね。とすると、ここでいってきたことの純化した表現ですよね。たんに「あたらしい」というだけで価値がある。生物学的に若いというだけの口からでてくるというだけで、実質となんら関係なく価値がでてくる。商品化した言説の極北。かれらは一貫性もなにもかかわりなく、その都度、支配集団のいってほしいことをいいます。批判や疑義がわきおこったら、それをたたきつぶす役割です。これも実質的に説得力がなくてもいい。どんなに正当性のある批判でも、それに対して著名人が難癖をつけて、正当性に瑕疵があるかのようにみせかけられれば役割をはたしたことになる。あるいは、深刻な問題を深刻でないかのように、本質でない問題を本質であるかのように、ただ戦略的な筋に沿って語ることだけが問題なのです。そしてそこに、膨大な資金が投入され、お金がまわるシステムが構築されている。ブルシット・ジョブの構造がここにもみいだせるようにおもいます。”
19.すべてのオメラスから歩み去る人びとへ──反平等の時代と外部への想像力https://www.akishobo.com/book/detail.html?id=1107&ct=8
“それは多数の幸福の側に立つのか、ひとりの不幸の側に立つのか、どちらを選択するのか、といったものではなく、だれかをふみにじりながらみずからが安逸であることに、人間はどう心が乱されるのか、どのようにふるまうのかといったありようをみつめ、そのように心を乱され、ときに行動に移す、その人間の存在のしかたに、ある種の希望を賭けているのである。”
賢人と奴隷とバカ
19.すべてのオメラスから歩み去る人びとへ──反平等の時代と外部への想像力https://www.akishobo.com/book/detail.html?id=1107&ct=8
“そもそもこの物語は、もちろん功利主義的な思考への批判であるが、しかもそれだけではなく、リベラルな倫理学の思考実験のような形式そのものへの強い反発として提示されている。つまり、それは多数の幸福と少数の権利の対立といった明快な「ジレンマ」として、パズルを解くように解決できる問いとして提示されているわけではない。このような事実に直面したときに、人間がどのように衝撃を受け、どのように葛藤するのか、そしてどのように行動するのか、そのような人間のありようをみつめようとするものだからである。”
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