「だれがみずから自由を手放すだろうか」
──2010年代と現在をめぐって
酒井隆史インタビュー
https://www.ibunsha.co.jp/contents/sakaispecial02/
“いずれにしても、しかし、ここではたんに若い口からいわせること、それだけが重要なんですよね。とすると、ここでいってきたことの純化した表現ですよね。たんに「あたらしい」というだけで価値がある。生物学的に若いというだけの口からでてくるというだけで、実質となんら関係なく価値がでてくる。商品化した言説の極北。かれらは一貫性もなにもかかわりなく、その都度、支配集団のいってほしいことをいいます。批判や疑義がわきおこったら、それをたたきつぶす役割です。これも実質的に説得力がなくてもいい。どんなに正当性のある批判でも、それに対して著名人が難癖をつけて、正当性に瑕疵があるかのようにみせかけられれば役割をはたしたことになる。あるいは、深刻な問題を深刻でないかのように、本質でない問題を本質であるかのように、ただ戦略的な筋に沿って語ることだけが問題なのです。そしてそこに、膨大な資金が投入され、お金がまわるシステムが構築されている。ブルシット・ジョブの構造がここにもみいだせるようにおもいます。”
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“「最新のものにおいて世界の様相がけっして変貌しない」。最新のものの装いで、おなじものが永遠に反復されるし、永遠のくり返しが、いつも最新のもの、変化の様相としてあらわれざるをえない、これが地獄なのです。
こう考えてみると、この19世紀中盤に発端をみていたこの資本主義社会のあらたな地獄の様相を、まるで「天国」のようにえがきだしたのがポストモダニズムともいえるかもしれません(そして、メモ的にいっておくと、とりわけ1990年代以降のヒップホップのタナトス的反復感は、ポストモダンの言祝ぐ「くり返し」ないし「反復」を、ブルースの延長上でもう一度地獄の様相に書き換えたとみなせるかもしれません)。”