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この新書をさくっと読了。著者は東大のアメリカ研究者。
確か僕の入学年度(1990年)でも女性学生は全体で20%、僕のいた文科三類(文教育学部)でも30%程度だったと記憶している。女性比率は徐々に増加すると能天気に思っていたのだが…。
この書で一番驚いたのは、東大合格者数のトップ20の高校が殆ど男子校で占められていることと、その20校で全体の4割を占めているということ(pp.42-7)。そりゃ名門の占める割合が多いのは知っていたが、ここまでとは思ってなかった。あと、プリンストン大学の共学化が1969年というのも驚きだった。
そう言えば2年生の時に新入生向けに作った「オリエンテーションパンフ(語学クラスの上級生が作る伝統があった)」に、同期のF元さんが「駒場女子トイレ地図」というページを作っていたのも思い出した。それくらい少なくて場所も限られていた、ということですね。今はさすがに改善されていると思うが。

矢口祐人『なぜ東大は男だらけなのか』
shinsho.shueisha.co.jp/kikan/1

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あまり報道されていないけれど、三年に及ぶ粘り強い住民運動によって、京都北山エリアの再開発が止まった。

この計画は、①京都府立植物園の再開発、②京都府立大の体育館のアリーナ化計画、の二つが大きな要素になっていたのだが、①が一年ほど前に、②がつい先日、見直しが発表された。
nakaraginomori.com/

むろん、老朽化した体育館のための予算や、移転先の向日町でのアリーナ計画がどのようなものになるのか、注視する必要はある。ただ、住宅街ど真ん中の無謀な開発計画が中止されたことを、ひとまず喜びたい。

先ほどもまた『ちいかわ』2巻の「草むしり検定編」を読んで涙ぐんでしまった。僕にとっての「オールタイム泣ける話」の一つに認定。僕にとってのそれには「ステラーカイギュウの絶滅」と「かわいそうなゾウ」「盲導犬クイール」などがあります。全部動物がらみだな。
ただ、「かわいそうなゾウ」の実態は、「空襲が激しくなったから殺処分」ではなく「空襲前に、戦意高揚のために殺処分」という重要な指摘もあります。以下のブログを参照。殺処分命じた奴が戦後も政治家(何と文部大臣)として生きていたっていうのがますます嫌になる。/反戦童話「かわいそうなぞう」が露呈した戦後平和教育の欠陥 - 読む・考える・書く

vergil.hateblo.jp/entry/2016/0

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例えば、信号機が未だ色分けしかされてないの、あれは色盲・色弱の人に対する合理的配慮に欠けてるのか?と言われたら、そうだとしか言えないと思う。

そもそも色「だけ」に重要な情報伝達機能を担わせるからいけないのであって、例えば青い丸、黄色い三角、赤いバッテン、などにすれば、色覚マジョリティは今まで通り色に持たせられた意味で判断できるし、色覚マイノリティは形状をもとに情報の意味を判断できるようになる。

今まで色覚検査で弾かれて運転免許が取れなかった人も安全に運転できるようになるだろうし、赤が判別できないとされている盲導犬だって形状で判断できるようになるかもしれない。

一応、昼間なら信号灯の並び位置で判断することも可能だけど、夜は難しいし、並び位置だけで迷わず判断できるならそもそも色分けする必要はないし、免許取得に制限をかける正当性もないことになる。

しかし、実際は、マジョリティ視点で恣意的に決められた、色のみによる情報識別を強要する信号機のルールに対応できない人々を排除してる。

今すぐ全国の信号を交換するとなると膨大なコストがかかるけど、老朽化した信号機を入れ替える際に新方式にするなら、追加コストはほぼ無視できるから、経済合理性の話ですらない。

重要な社会インフラである道路交通の安全性を担保する上で要となる公共設備が、色覚マジョリティの都合だけを考えて作られ、運用されてる。なのに、この話をしてる人なんてほとんど見たことない。

「合理的配慮」以前の問題として、そういうふうに問題が存在すること自体が認識されていないことって、他にもいくらでもあると思う。

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イオンシネマの問題、詳細は知らないけど、ペケでバカの展開する小理屈だけは手に取るように解るな。
どうせ「現場を知らない素人は簡単に車椅子ユーザーを映画館に入れろというけど、避難誘導の困難が/車椅子自体の危険性が/対応するスタッフの専門性が」だのウジャウジャ言って無理筋擁護してんだろ。
「それが素人の浅はかさ、実際にはこんな問題が」みたいな小理屈つけて「現場を知らない素人」を小馬鹿にするバカで溢れかえってたよねあそこは。そしてまたそんなんバカのツッコミどころしかねえような小理屈を聞いて「そうだったのか!目からウロコ!(実際は目にウロコが飛び込んでいる)」とか言い出すさらに下のバカがさらに大量に棲息していて

何人かの方が「思想が強い、だなんて陰口言われて怒らないなんて寛容だなあ」とおっしゃってくださいましたが、20年以上大学教員をやっていれば、この程度のことに目くじらは立てません(笑)。僕が陰口にリアクションしないのは、自分の考えもろくにないのを相手にしても不毛だからに過ぎません。要するに、「役不足」だから放置です。例えば僕と正反対の思想を持っていても、まだその方が「議論」になります。
彼らの「未熟さ」は「伸びしろ」でもあるので、教育者としてはその伸びしろを信じるのみです(教育者としての最低限のモラルと思っています)。ただ、大学は「積極的に教わろうとするものを依怙贔屓して良い場」であるとも思っていますので、僕の研究室の扉をノックすることさえしない学生は冷淡に放置するのみです。

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Twitterで、僕の教え子(学部生)が「川瀬先生、思想が強くない?」と呟いていて、まあまあファボられているのを発見。ファボったのはおそらく彼の同期生とかだろう(鍵付きのアカウントが多くて、推測だが)。
確かに僕は政治的なイシューも多く呟くから、そう思われても仕方ないとは思うが、僕がどんな話題を出した時に彼がそう思ったのか、が結構問題。現政権批判、反維新、反原発、反差別など、「反抗的」であるのを大雑把に「思想が強い」とまとめる感性には「年長者」として「じゃあ、君はどう思うの?(思想はあるの?)」と問い掛けねばならないだろう。まあ、まだ直接は言わない。しつこく「思想の強い」態度や姿勢を見せて、少しは己のことを考え直してくれれば、それで十分だと思っている。

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 1980年代のフランスではWWII中のホロコーストと反ユダヤ主義の包括的な関係について、注目が集まり、その関連で「歴史の記憶」論なども活性化した。

 C.ランズマンの「ショアー」(1985)などが大きな反響を呼んだのもその文脈である。また哲学界ではリトアニアのアシュケナージである、E.レヴィナス(1906生)への再評価が急激に高まった。

 レヴィナスの哲学の中心概念は「他者」と「倫理」であり、この点、デリダはともかく、ドゥルーズ=ガタリやフーコーとは完全に立場を異にする。

 日本では80年のポストモダニズムの後、レヴィナスが導入されたので、90年代のポストモダニズム少年(「俺偉い」の男子中2病の群れ)は、これに激しく反発。

 浅田彰もこの中2病の集団を支援し、「レヴィナスの顔(他者の隠喩)なんて、殴っちゃえばわからなくなるからね」なとど煽っていた。

 レヴィナスの哲学はフッサール、ハイデガーの影響が強いこともあり、サルトル研究者にとっては必読だが、如何せん「政治」の次元が抜け落ちているのが弱点。

 いずれにしても、レヴィナスのを援用すれば、今のイスラエルにとっての「他者」とは「餓死していくパレスティナの子供」になる。

 90年代の日本にとっては「従軍慰安婦」の人々がまさに「他者」だった。

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ネイチャーに査読頼まれて「私は研究機関から給料もらっていないので対価をいただけたらやる」と編集部に返事したら2度と頼まれなくなった。オープンアクセスなところや学会でやっているノンプロフィットな雑誌の査読は私も無料で査読をやるが、稼ぎまくっている商業学術誌に無料奉仕するのは異常だと思っている。超有名ジャーナルの査読で「ハクが付く」という余禄はあるが、それが商売を成り立たせているビジネスモデルで学術の権威主義を強化しているので、そんなものに貢献するのは拒否である。

東京地裁、札幌高裁で同性婚禁止は「違憲」との判断が出たのは、まずはめでたい。同性婚に対しては世論調査でも過半数が許容していたはず。政府が述べる「国民の家族観」とかは既に反対の理由にならないのは明白。子ども云々の(再)生産性の問題なんか後付けに過ぎない(僕なんか子なしの夫婦で、家族の控除がないだけ。子どもを育てない同性婚カップルも同様にすればいいだけ)。
そう言えば、女性同士のルームシェアをしている知り合いに聞いたのだが、例えば一方が手術をする時の家族の同意書とかは、名字が違っていても女性同士ならスルーされて、家族のフリしてサインしちゃうとか聞いたな。これは夫婦同姓婚が強制されている日本ならではのライフハック(というか穴だが)。結婚制度そのものとかモノガミーに対して疑問に思っている人もいるかもしれないが、病院の付き添いとか、死後の遺産とかの「人権」を守るために、やはり同性婚の法制化は必要と思います。

原武史さんの「象徴天皇制を問い直す」というインタビュー記事。これは読み応えもあったし、問題提起も重要なものを含んでいたと思う。特に左派(リベラル)が「平成流象徴天皇制」に「依存」しているとの指摘。

はばかりながら、「リベラルがリベラルな天皇の大御心に甘えて来た」との意識は僕も持っており、その「解決策」をどうするべきかずっと悩んでいる。ついでに言うと、「憲法9条」という世俗法に乗っかっている宗教教団の平和運動に、似た感慨を持つこともある。

asahi.com/articles/ASS3C6KGBS2

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改正「案」を「閣議」で決めただけなのに、あたかも既定事項のように報じるこのやり方、なんとかならんのか。

www3.nhk.or.jp/news/html/20240

山本圭さんの『嫉妬論』(光文社新書)読了。嫉妬 envy という言葉を軸とした政治哲学入門、といった趣もあった。僕は本書でも紹介されているルネ・ジラールの「羨望(欲望)の三角形」理論に昔ハマって(『欲望の現象学』)、それ以上の考察をしてこなかったな(あれはフロイトの「エディプスの三角形」と相似形の理論だから、精神分析にハマっていた僕にはドストライクだったのよね)。
昔の自分(特に学部生時代)を考えると、R.ジラールの理論もそうだが、M.フーコーの「生権力」論、L.フェスティンガーの「認知的不協和の理論」とかフロイトの「無意識(及びトラウマ)」理論という、ある意味何にでも当てはまる「でかい理論」の入口に立っただけで満足してしまい、思索を深めてこなかったな、と反省しきり。要するに、哲学的な形而上的議論よりも、目の前の現象を快刀乱麻に切ってくれる「ツール」としての大理論を探していたんだよな、僕は。
kobunsha.com/shelf/book/isbn/9

数ヶ月に一度宗教の総合情報紙『中外日報』に書いているエッセイです。オウム真理教について、ちょっと学生時代の思い出も記しました。/ [時事評論]加害者家族と宗教 被害・加害双方へ関わり方は

chugainippoh.co.jp/article/ron

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Threadsを見ていたら
「ここ10年くらいでインターネットは過去の情報をアーカイブ化したり文脈化したりするのではなく、目の前の刺激に急激に反応してはすぐに忘却されていくという、より消費速度の早いマスメディアみたいな場所に急速に変化してきているような気がする。」
という投稿が流れて来て、ここ10年くらいなのかは分からないけど、俺がインターネットを始めた25年前くらいの時は個人が少しずつ持ち寄った情報が集積されて誰でもアクセス可能な膨大なアーカイブが誕生すると思っていたのだけど、いま過去の事を検索しても運営者が居なくなったりなど様々な要因で過去のデータは綺麗さっぱり無くなっていたりで紙に印刷された情報よりも耐久性がないのかもと愕然とするこの数年ですわ。

某議員が書籍代を山盛り申告したことで思い出したことが一つ。大昔、某財団法人で事務のバイトをしていた時、聞いたこともない団体から、藪から棒にめちゃくちゃ高価な雑誌が送り付けられたことがあった。定期購読を促す手紙と振込用紙と一緒に。確か季刊で、年数万円はしたはず。まあ、そういうヤクザな「商売」ですな。受取拒否して返送した。某議員が「義理堅く」て、そういう雑誌をたくさん購入させられていたら、少しは同情する(嘘)。

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群馬でも京都でも他のとこでも、半分以上は選挙行って無い事に絶望するべき。

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マスコミは「『コメントを差し控えたい』と述べた」ではなく、ちゃんと「回答を拒否した」と書くべきだと思う。
「野党が反発した」とかは平気で主観入れるのに、なんでそこだけICレコーダーみたいになるのか。

差別はするは、学術活動にいちゃもんつけるは、「裏金」は作るは…なぜこの人物がまだ議員をやれているのか。恥を知らない人及び政党は度し難い。/ 杉田水脈議員は1564万円訂正 自民安倍派からの寄付不記載 | 2024/1/31 - 共同通信

nordot.app/1125386593894236620

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山本一太氏が「ルール」とか言ってるのって、ただの揚げ足取りでしかないからな。単に奴が日本の朝鮮人虐殺という犯罪行為を否認したいがために恣意的に、自分の意に沿わない意見を「政治的だ」とレッテルを貼って追い出そうとしているだけ。
間接的に表現の自由を制限している行為であって、普通に考えたらルール違反をしているのは山本知事の方だ。

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