ツイッターで特攻隊について流れてきたので、以前にしたツイートを思い出した。
太平洋戦争の末期、戦局は日々悪化していた。後に作家となる重兼芳子は当時17歳。軍需工場に動員され、寮の一室で4人の少女たちと生活を共にしていた。ある日、灯火管制のなかで重兼たちがささやかな間食をとっていると、天井のスピーカーからラジオ放送が流れはじめた。
そのラジオ放送には、重兼と同年代の少年たちが登場し、別れの挨拶を行った。その翌日に彼らは飛行機に爆弾を積んで特攻を行う予定になっていたのだ。
当時、新聞やラジオでは特攻隊の少年たちが喜び勇んで出撃していく様子が報じられていた。ところが、その日のラジオ放送に登場した少年たちは、語る言葉の勇ましさとは裏腹に、その声は無感情で、まるで老婆のようだったという。(続く)
そろそろ捩じ切れるんじゃないかしら [参照]
"Twitter Blueの料金を支払っているのに認証マークがつかなかったり、サービスが使えない状況がかれこれ数ヶ月続いてる"https://x.com/computerozi/status/1692153334449512802?s=46
"僕も支払いしてから2ヶ月マークもつかないし機能も使えませんでした!
悔しいのでその出来事を漫画にしたらちょっとバズって、そこから二週間ぐらいで認定されました。"https://x.com/babareoyomeko/status/1692180939466846484?s=46
凄いな、Twitter(X)。これ契約不履行でしょ。返金してもらわないのかな。
「なぜ毎年9月1日に都立横網町公園で「朝鮮人犠牲者追悼式典」が行われているのか(……)デマによる大虐殺(ジェノサイド)が東京も含む各地で多発したからです。この追悼式典は1973年から行われ、東京都知事が毎年「追悼の辞」を寄せてきました。「二度と繰り返してはならない」という強い意思を、都知事も主催者・参列者と共有してきたのです。」
以下のキャンペーンに賛同をお願いします!「2023年「防災の日」に追悼文を出して #ヘイトクライムを抑止しよう」
https://chng.it/mp5mDt9ZJP
『この事態の本質は二つあります。
一つは、朝鮮人犠牲者追悼碑の前で差別主義団体が集会を開くこと自体がヘイトスピーチであり、許しがたい死者への冒涜であること。もう一つは、その開催を認めるとすれば東京都の責任は重大だということです。読者の皆さんには、第一に、これが最悪の死者への冒涜であり、最悪のヘイトスピーチであると多くの人に伝え、その事実を広めてほしいと思います。
第二に、東京都に対して「死者への冒涜を認めるな。条例に基づく『利用制限』を行うべきだ。そのために人権審査会に調査審議を求めよ。慰霊の公園を守れ」と訴えてほしいと思います。都庁の窓口から都に意見のメールを送るなどの方法があります。各種団体で声明を出して、メディアや都庁、都議会各会派などに送ることもできるでしょう。
9月1日まで、わずかな日数しかありません。それぞれに声を上げていきましょう』
http://www.labornetjp.org/news/2023/0820kato?fbclid=IwAR1XJjrphiEWEp1qv_uxaf24kAyjUQmfjb6c6tqQzvSfFBju4C7ECt0KaPE
楽しんご「揉まれにいってる」、有名美容外科医「日本来なくていい」…性暴力被害の韓国DJに著名人から相次ぐ“自己責任論”
『週刊女性』https://jisin.jp/entertainment/entertainment-news/2232913/
ネトウヨがよく「つまらない芸人が左翼化する」って言ってるけど、ほんこん・ゴンゾー・三浦マイルド・楽しんご。僕は「右翼化」の間違いだと思う。
Twitterが古いツイートを削除するという話、個人的にも寂しいは寂しいんだけれども、アラブの春とか日本だと3.11の震災の後とか、その時のツイート群がが消えるのってものすごい損失なのでは。もちろんそのくらい大きな話だと個別の発信者やテーマや出来事ベースでのアーカイブはかなりされているのではとは思う(よく知らない)けれども、後から振り返ったら重要だったコンテクストみたいなものが発掘できる形でアーカイブ化できているのかしら。
権力者の無思慮とエゴのために目の前で歴史的な資料が破壊されて行くのって、それこそ歴史的に見れば別にまったく新しい出来事ではないけれども(戦争なんて必ずそういう破壊を伴ってきたわけだし)、それでもやっぱりちょっと言葉が出ないような感じがする。
#題名のない音楽会
シシド・カフカさんと仲間の音楽家たちによる、ハンドサインでの即興演奏凄かった。
SNSの機能や運用に完全性を求めるのは誤りで、本当の問題はSNSの中ではなく、私たちの社会や個々人の心の中にあります。
しかし、SNSが強い影響力を持っている以上、その範囲内において可能な努力が必要で、求めていく必要があります。
様々な場面で同様のことが言えますが、このあたり、バランス感覚が必要です。
たとえばブロック機能が回避可能で不完全であることは事実ですが、実際に効果を発揮するものであることも事実です。
ある機能が、全体に様々な影響を与えるもので、ある人にとって絶対的に必要とされるものであったり、ある人にとっては無用のものであったり、ある立場からは有害な、活動に制約をもたらしたり利益を阻害するものであったりします。
人は、自分の立場から理解し易い、自分の立場を補強する、シンプルな答えを求めるものですが、制度設計というのはそんなに単純なものではありません。
そのことに対する意見も、個人の感想として自由に扱われるケースと、持ち合わせる影響力や働きかけの度合いによって責任を問われるケースがあり、これもまたいずれかに偏っていれば他方には不利益をもたらす、バランスを求められるものです。
Fediverseは、そうした様々な立場からの選択を単一価値観に強制する必要のない環境を提供しています。
こちらの記事の主張を支持します
日韓両国の保守政権は、むしろ「日韓の関係」を後戻りさせている。 - 車家ブログ Kurumaya Blog https://yukito-ashibe.hatenablog.com/entry/2023/08/17/225825
「オルセー美術館とクールベ」
パリのオルセー美術館には主に印象派、後期印象派の絵画が中心に集められています。
しかし、私が20歳の頃はじめてオルセーに行って驚いたのはクールベの絵です。
クールベは美術史的には「写実主義」の完成者とされて、あまり「前衛」とはされていない。
しかし、オルセーでクールベのタブローの前に立った時の圧倒的な「力」は凄かった。
クールベの狂気のような力は他にはゴッホにしか感じたことはない。
ですから、タブローをとってみても「デジタル」と「オリジナル」は全く違うのです。
いわんや彫刻を置いておや。ジャコメッティの削ぎ落された「彫刻」にリアルに直面するのと、「デジタル」で眺めるのは全く違う経験です。
このことがわからない人は都市の文化行政に携わるべきではない。