『ミツバチと私』感想
上質なトランス当事者の体験に根差した物語でした。本作は「その子の見た目」ではなく「周囲の視線」の変化を丁寧に描いていました。トランスジェンダーの子どもを暴く見世物な映画ではなく、鑑賞者の眼差しを自覚させる映画です。保守的な性規範が根強いバスク・コミュニティを、どことなくミツバチの生態と重ね合わせて組み込んだ語り口も良かったです。 #映画
特例法には非婚要件があるが、トランスジェンダーの夫婦が同時に申立てることで、一度も同性婚状態が発生せず、結婚したまま戸籍変更ができたケース。
https://www.asahi.com/articles/ASS9542JSS95UTIL029M.html
あっ、今月末は『あの夏のアダム』も観られるんだ!
シスの少年がクィアコミュニティでトランス男性のフリをしたら引っ込みがつかなくなって…という設定も面白いし、2000年代のクィアコミュニティの様子も感じられるのでかなりおすすめです
恋愛に限らず、女性同士なら権力関係も暴力も発生せず対等でいられるというのは単純に事実に反する。言うまでもなく女性間にだって権力関係や暴力は(男女間のそれと形は違うにせよ)存在する。
これを見過ごすことで女性間の性暴力が法的な面からも保護されてこなかった事実があり、レズビアンなら常に対等で平和なんて幻想をレズビアンが吹聴するのは自分で自分の首を絞める行為だ。
一昔前なら、女同士の無謬性というのは男性こそが描いた幻想だったように思う。「女同士は陰湿」幻想を持つ一方で、女は世間の波に揉まれる生身の人間である自分とは違う存在でいてほしい、ひたすらかわいく美しくワチャワチャしていてほしいのもまた男性の身勝手な幻想のひとつである。そんな漫画作品をあげればきりがない。
一方で、Twitter上のトランス差別が顕在化して以降、今度は一部のシス女性たちがトランス女性を排除するために「女同士の無謬性」をやたらと強調するようになった。今に続くトランス差別の発端となった女子大の話題からして、シス女性同士の空間がいかに安全で快適であるか、そのためにはいかにシス女性だけの空間であることが重要かを延々と語って見せた。これはシスターフッドとは無縁の排除の論理にすぎない。
全作品通しチケットを購入しました。配信が楽しみです🏳️⚧️
トランスジェンダー映画祭2024秋 https://peatix.com/event/4108432
反差別を掲げている人の中にたまに見受けられるけれども、「相手の差別を指摘できたほうが勝ち」みたいな点取りゲームだと思っている人がいる。それは単に論破すればいいという考えと変わらず、差別の指摘が点数稼ぎになってしまう。平等のために社会構造を変えるという目的から外れてしまっており、そういう言論のノリには私も賛同できない。差別を指摘しても相手より優位に立てるわけではない。差別の指摘もまた責任がともなうし、場合によっては合意や検証だって必要になる。SNSはそういうことを忘れさせる怖さがあるけど、本来はそういうプロセスなのだということを常々覚えておきたい。
正義への依存云々、論じるには主語が大きいしあまり同意はできないけど、まあネットの片隅でも起きていることではあるのだろう。
「ガザの身元確認を合言葉でAIか判断」にまつわるデマの件にもその一部が見え隠れしていたと思う。
https://shoheiharaguchi.hatenablog.com/entry/2024/07/26/171923
Twitter(X)で「日韓百合」として流行しているミームについて
愛すべき日本人女性のウチら(ナショナリズムに基づく高い自己評価)に尽くしてくれる外国人を探して、王子様扱いして非人間化/コンテンツ化し、最終的に「世界から愛される日本人(女性)」というナショナリズム共同幻想を強化していて、ちょっと怖い域まできてる。
ミサンドリー とクィアフォビアから始まったネタに、人種ステレオタイプ/とナショナリズムが投入されていて、差別の合わせ技すぎて気色悪さのあまりこのミームの流行を見なかったことにしていたんだけど、とうとうこのミームで遊んでる層から「大東亜共栄圏」発言が出てきたので結局こうして書いてしまった。
このミームについては、「クィアの入り口になる/自覚を促す可能性が…」や「シスターフッドの一形態になるかもしれない…」と言って批判を足踏みしてる人が多いが、上記したように「(私に優しくしてくれる)〇〇人と付き合いたい」がド直球のレイシズムなので、初手から批判一択だよ。
というか、このミームがレイシズムに基づいていることや、拡散されるほど人種ステレオタイプも広がっていくことを無視した「クィア/シスターフッドが…」という言説には、私は中国系のクィア女性として怒りがある。
私たちは日本人女性の教材ではない。 3/3
Twitter(X)で「日韓百合」として流行しているミームについて
「韓国人や中国人の気配りできる強くて優しい爆美女からお姫様扱いされて愛されるフワフワお花ちゃんな日本人女性のウチら (日本の男は甲斐性がないから彼女たちと付き合います)」という今回のミームの流行は、「ロシア系やラテン系のナイスバディでちょっと天然な爆美女からグイグイ迫られる素朴で硬派な日本人男性の俺ら(日本の女は見る目がないから彼女たちと付き合います)」と正直言って同じレベルで、見ていられない。
「韓国オンニや中国姐姐にお姫様って呼んでもらって私が薄着してるときジャケット掛けてもらいたい」というのも、「ジャパニーズ・イモウトにオニイチャンって呼んでもらって俺が食事するときはアーンしてもらいたい」と同じ願望なので、堂々とこんな発言が垂れ流して共有・共感してしまう現状を本当に恥じるべきだと思う。
ましてや日本は韓国や中国ひいてはアジア諸国を搾取してきた歴史的背景があるわけで、そこでさらに日本人女性が「アジア人の女性に尽くして欲しい」と大っぴらに投稿しまくっているの、あまりの歪さに驚くよ。 2/3
Twitter(X)で「日韓百合」として流行しているミームについて
Twitter(X)で「日韓百合」として流行しているミーム、私はあれをミサンドリーに基づくレイシズムとナショナリズムの発露だと思っている。
そもそも「〇〇人と付き合いたい」みたいな発言は、「〇〇人」に何を入れてもレイシストだしね。
たとえば、「日本人女性は尽くしてくれるから付き合いたい」って見ず知らずの外国人コミュニティが盛り上がっていたらゾッとするしこれがオリエンタリズム/レイシズムだとわかるはず。同じことを韓国や中国の人にしたらアカンわ……。
今回のミームは、「ウチらの国の男は最悪だからもう女同士でくっ付くしかない!」というミサンドリーおよび同性愛の代替品化(クィアフォビアだよね)と、「〇〇人の女性は私たち日本人女性のことをとても気遣ってくれる!だから〇〇人の女性と親しくなりたい!〇〇人女性と付き合いたい!」という人種ステレオタイプ/人種フェチ、この二つが発端の流れ。
(たとえ〇〇人の一部の人がネタに返答して乗ってきてくれたとしても)土台がこれな以上このミームをクィアだシスターフッドだと肯定的に語ることはできないし、このミームがこれほど拡散した理由も、しいて言うならばナショナリズムとホモソーシャルだろうと私は思っている。 1/3
「えっ!トランスジェンダーの方なんですか!?わ〜!私トイレ以外でトランスジェンダーの方見るの初めてです!」
(トランスジェンダージョーク)
可視化しているトランス男性。