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性差別についての話題でよく言われる、「もし彼が/私が女性/男性だったら…」という仮定を現実にした存在、机上の空論を生きるユニコーンが我々である(ファンシーな言い回し)

そういえば健康診断の結果が返ってきたんだけど、気になっていた骨密度検査を初めて受けた結果120%とのことで常人以上、しばらくは問題なさそうでひと安心。
BMI 30近くあるんだけど、この数値を健康指標に使うのいい加減やめてくれんかな…

疲れている人、落ち込んでいる人、全員これを見てほしい。

“長い間Aroaceを『アロエッチェ』って発音してたわ”
instagram.com/reel/CqRBIMDgSt2

ヨシ・ミウラ さんがブースト

話題の「淫行ブロマンス/BL映画」(未成年淫行を告発されたことのある俳優が子役とW主演として共演している)について 

『カラオケ行こ!』については、原作も作者の倫理観がどこにあるのかもわからない描写のまま進むし、反社会組織構成員の成人男性と未成年の児童の関係性を「BL」(作者がインタビューでそう発言している/そう販促されている)でコーティングしているのが無理すぎるのですが、実写版映画版においては一度マジで未成年淫行で問題になってるのになぜかスルーされている俳優がその作品でW主演として子役と共演してるので、こんな映画の製作と公開(さらには絶賛)が許される社会であってはいけないと思っているし、これを評価している人のことも私は「(普段どれだけ人権について語っていようと)自分の"萌え"のためなら人権なんて本当はどうでもいいのでは?」って目で見ています。私自身、フィクションにおいて有害な関係性(toxic relationship)に"萌える"こともある側のオタクなんだけど、インモラルなものはインモラルなものとして描くべきだし、消費するにしてもそれがインモラルなものだと理解しておくべきだと考えている。あと、実在の子どもをこういう「淫行」要素を多分に含む(その"toxicさ"が売りの)作品に関わらせることに反対です。

あなたたち、彼女がBLに好意的な姿勢を見せていたら『植民地主義』『白人中心主義』(実際はメインキャラクターにも多様な人種がいるが…)などと批判しなかったでしょ?という。
バッシング材料として都合よくマイノリティカードをきってるようにしか見えないんだよな。

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アリス・オズマンが日本の作品を(英語版出版なしとはいえ)違法サイトで読んでいたという批判はまあ成立するにしても、なぜそれを持ち出したのか?(『植民地主義』説を強化するためだろうが、彼女の指摘した問題に対しての反論や反省もなく別件の過ちを持ち出す姿勢)には不信感が増すばかりだった。

少年誌や青年誌のラブコメについて「女性を都合よく描いて性的客体化しがちなジャンルだ」と評価するのはまあ妥当だと思うし、「ラブコメを楽しんだりそれに救われた女性もいる」とか「全てのラブコメがそういうわけではない」みたいな主張は だから何?というレベルのものだとすぐ分かると思うんだけど、BLだと同じことを言ってくる人が(フェミニストにすら)あまりに多いので何を学んできたのかと問いたくなる。

Twitterで対話して相手に理解してもらえることはごくごく稀で、大抵は理解されず(なんなんだよこいつらは…)という感情が蓄積される一方なので基本的に意味のない遊戯だと自戒しなければならない。

『憎悪』には論理的な正しさや倫理は存在せず、「トランス女性は女性である」という正論など通じるはずもない。必然的に彼女たちが攻撃するのは自分が優位に立てる障害者や外国人、セクシャルマイノリティの男性になるだろうし、自分たちがトランス女性に対して優位に立てると彼女たちは気がついている。

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「トランス排除はミサンドリーの問題でなくトランスフォビアの問題だ」という意見もあったが、ミサンドリストの人々の様子を観察していると(全ての女性がうっすら抱いているようなミサンドリーとは桁違いの)『強いミサンドリー』こそがトランス女性を"男性"と結びつけているのではと思わざるを得ない。彼女たちにとって強烈な憎悪の対象と自分はあくまで"別の存在"でなければならなく、性別が越境されたり境界が曖昧になるなどあってはならないことなのだろう。当然、性別二元論を支持しトランスヘイトに邁進することになる。
そしてこれは今までミサンドリーを許容し目を逸らしてきたフェミニズムの問題でもある。ミソジニーに利用されるような形でなく、自分達でミサンドリーに向き合い研究し、構造的な問題を明らかにしていくべきだったのではないか。

トランスヘイターの話 

めちゃめちゃ仕上がってるトランスヘイター女性のプロフィールに “I believe in logic and science.” と書かれていて、どちらも全く信じられていないですよねとかなり面白くなってしまったんだけど、これご本人は本気でそう信じてるつもりなんだよなと思うと憐れみの気持ちが強くなる。
そしてこの人のミサンドリーに染まったトランスヘイトツイートに1000以上のいいねがついていて、来るところまできているなと再確認。

しかしトランスヘイターはどんどん先鋭化してアホなことを言い出しているので、それについていけなくなって流石に気がつくパターンはありそう。

『ミツバチと私』の内容についてネタバレあり 

『ミツバチと私』を観てきた。
まだ自分をうまく言語化することもできない子供のフラストレーションや、男性的な名前や愛称の拒否や髪型、服選びなどに表出する"違和感"の様子、そしてぼんやりした希死念慮など観ていて懐かしさを覚える内容。
主人公の「死んで生まれ変わったら女の子になれる?」という質問に大叔母が返した「死ぬ必要はないわ。あなたはすでに女の子なんだから。」という言葉には救われる思いになる。
終盤、親族総出で行方不明になった主人公を探して森で名前を叫ぶシーン、男性名を叫んでいた兄と母親が彼女の求める名前で彼女を探し始める。親族たちが男性名を叫ぶ中、彼女の本当の名前を呼ぶ母親の声は彼女がおかれている状況そのものであるようだ。
フランス映画らしく、はっきりと描かれなかったり唐突に感じることも多い映画だけれど、大叔母との交流や森でのシーンだけでも観る価値のある映画だった。

まあ、まともになってほしいよな。(SNS上の)フェミニズム。

フェミニズムについてふと浮かんだ思いが「まともになってほしい」だったので自分でも少し驚いた。「より良くなってほしい」でもなく「まともになってほしい」。 モルダー私疲れてるみたい(自己申告)

男性の加害行為を「"生物学的男性"だから」と理由づけるミサンドリストの人たちが、男性と全く同じ方法でマイノリティに加害することで差別は構造的なものだと教えてくれるのは皮肉なことだな。

ヨシ・ミウラ さんがブースト

「フェミニスト」たちが「こんなにひどいことをやるのはセクシストミソジニー男だからだ」を一部の「フェミニスト」たちがやるようになったのは、ものすごく悲しいが私にとっては大きな学びでもありました

ヨシ・ミウラ さんがブースト

トランスジェンダーが主人公のゲームをRPGツクールとかで作ったら面白そうだと思っている。

・魔王討伐を国王から依頼される前にジェンダーアイデンティティとIDを一致させる必要があって、本編を始める前に性別移行を始めないといけないんだけど選べる職業の幅が異常に狭い

・職業選択して経験値を積もうとするも町の人や施設を利用するたびにMP(ミスジェンダリングポイント)がじわじわ減りゼロになると一定時間行動できなくなる

・旅の仲間と話すときもMPが減少するが、カミングアウトコマンドを選択し成功すると減ることはなくなる(失敗するとパーティー離脱orバトル突入)

・アイテムのホルモンを使えば一定時間MP減少を抑えられるが常に補給するためゴールドが嵩む(SRSすれば50Gだがする前は200G)

どうです?プレイしたくなってくるクソゲーっぷりじゃない??

ヨシ・ミウラ さんがブースト

ノンバイナリーの宇多田ヒカルが「男も女もタフじゃなきゃね」と歌うとき(ノンバイナリーは当然タフですが…)というメッセージが隠れている可能性について。

ヨシ・ミウラ さんがブースト

トランスジェンダーの人生ゲームやゲームブックあったら面白そうだなと思うけど、いかんせん起きるイベントが厳しめのもの多くてハードモードになってしまいそう。辛い時期は過ぎた人ならクソゲーっぷりに笑いながら楽しめるかも?

【人生ゲーム新作 結婚せず進行可に】
news.yahoo.co.jp/articles/cb8d

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