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utp.or.jp/book/b10030790.html 東京大学出版会からの新刊、高澤紀恵/ギヨーム・カレ編『「身分」を交差させる 日本とフランスの近世』、書店配本は6月7日です!

twitter.com/UT_Press/status/16 刊行が歴研大会に間に合ったみたいです。ご関心のある向きはご確認いただければ。

genron-cafe.jp/event/20230525/ 宇野も、東やゲンロンのイベントによく出演しているね。

王寺が鵜飼さんから何を学ぶっていうのかは、まあわりと気になるかな…。

思想家のなかには往々にして、自分の考えに合わない事実を無視し去って平然としている、というひとが存在する。例えば柄谷行人による巨視的な世界史の考察について、強く私はそう思っているのであり、氏による「事実」の選択というものは、実際きわめて恣意的であると言わざるを得ない。

来年の五輪中継、観るかって言われたら、見ないだろうなあきっと。

D・エリボンによるデュメジル擁護というのは何だったのか、いまだにわからない。こういうのがあるからフランス知識人界は奇々怪々、である。

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特別民間法人 社会保険診療報酬支払基金、理事長は厚労OB・神田 裕二。役員は以下のごとし☞ ssk.or.jp/goannai/kikin/soshik

公益社団法人 国民健康保険中央会、会長は高知市長・岡崎誠也。役員は以下のごとし☞ kokuho.or.jp/about/kikou/inf_0

Twitterサブスクリプション導入。「俺の言論はカネになる。無料はムリ」、ということのようなので、なんともビッグなビジネスマンでカッコイイネ!

newsweekjapan.jp/yonaha/2023/0 江戸時代が大嫌いな與那覇せんせによる、とっても有りがたい講話(またかよ)。

日頃から社会運動に関心を示している(らしき)中堅の日本史研究者が、武州世直し一揆を知らなかった、と公言しているのに衝撃を受けている。

「新たなるアルシヴィスト」などと評されつつも、ミシェル・フーコーがアルシーヴに足繁く通ったといったような事実は無かったのではなかろうかと思うが、一方でそもそもBNFのような図書館なくしてフーコーによる考察が出現し得なかったことは、ごく当然に首肯されよう。歴史屋にとっては、そこにある素材こそが「史料」なのであり、今後ともそう呼び続けることであろう。

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こう考えるなら、歴史の外部は存在しないとも言いたくなるが、むしろマテリアルこそが外部性なのである、と述べるほうが、なにかしら意義があるかもしれない。

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締切通りの史料集の校訂や出版というのは、ことのほか気力も体力も消耗を伴い、ある種ストレスフルな仕事である。嘘だと思うなら自身でやってみればいいのだ。これは歴史研究者にとってはほぼ自明な事柄に属するが、そうではない人も多いだろう(バカにする者だっている)。しかし史料のようなマテリアルの積み上げなしには一片の研究さえできないというのは歴史学のよいところであり、研究主体にとっての「受動性」は、そこでのキモとすらいえよう。着想のみではどんなに秀でていようが説得力を減じ、論考も仕上げることはできないのである。史料の出現によって、自身の考察の変更を幾度も迫られるという体験こそが、いうなれば欠くべからざる契機である。かくして、努力すればあらゆる凡人に開かれているというのも、歴史学の「長所」ではある。

…柄谷さんを無毒化=岩波文化人化しようとする企てが存在していた、というところですかね。『週刊読書人』など、一部企画にその片鱗が表れているようにも見受けられます。それでも、受賞はめでたいと思いますが。

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似たような話は、あれは自主ゼミの場だったかで、柄谷氏本人から聞きました。「文芸誌に掲載の対談、あれは喋ったままが載っていると誤解されてますね。後で直すわけで、読者は幻想を抱いていますね」といった調子だった。その時はへーと思って聞いていましたけど、どんな場合でも事後修正というのは本当だったんですね。

Sho ONO さんがブースト

柄谷行人さんに最後に会ったのは2000年夏にパリ、ということは以前投稿しました。

その時は、柄谷さんは再婚して欧州に新婚旅行に来ており、ちょうどパリにいた私と落ち合って「対談企画」ということになった。

私が2000年春にちょうどサルトルについての本を上梓したところだったこともあり、柄谷さんは珍しく「相手の本」を(だいたいだが)読んできてくれていたようだ。

その対談は2日間に渡る長時間のものだったが、これまた珍しく柄谷さんは「激する」こともなく穏やかな状態で終始過ごし、「打ち上げ」ではパリの中華街=belle villeで円卓を囲んで歓談した。これは日本でのように周囲に文壇茶坊主もいなかった、ということも関係あるかもしれない。柄谷さんのファーストネームが私と同じ(ただし感じは違う)良男だということも初めて聞いた。

この対談は非常に長いものだったので『週刊読書人』に連載、ということになった。

ところが、ここで驚いたことに最初に送られてきたゲラは、対談の現場とはまるきり違うものだったのである。

つまり、最初に柄谷さんの発言部分は、現場では全く「話していなかった」ことであるのみならず、途中で私が話したことを「先取り」して柄谷さんがー多少アレンジはあるがー語っている。これには心底困った。

公共性の発達を云々する議論もここに含まれよう。いくらか矮小化してしまうと、読書会を重ねるとそのぶん議論的討究の精神が発達し、明治維新に近づく、といった単線的で観念論的な理解となる。いずれにせよ、予定調和の投射にすぎない。

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