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柄谷行人さんに最後に会ったのは2000年夏にパリ、ということは以前投稿しました。

その時は、柄谷さんは再婚して欧州に新婚旅行に来ており、ちょうどパリにいた私と落ち合って「対談企画」ということになった。

私が2000年春にちょうどサルトルについての本を上梓したところだったこともあり、柄谷さんは珍しく「相手の本」を(だいたいだが)読んできてくれていたようだ。

その対談は2日間に渡る長時間のものだったが、これまた珍しく柄谷さんは「激する」こともなく穏やかな状態で終始過ごし、「打ち上げ」ではパリの中華街=belle villeで円卓を囲んで歓談した。これは日本でのように周囲に文壇茶坊主もいなかった、ということも関係あるかもしれない。柄谷さんのファーストネームが私と同じ(ただし感じは違う)良男だということも初めて聞いた。

この対談は非常に長いものだったので『週刊読書人』に連載、ということになった。

ところが、ここで驚いたことに最初に送られてきたゲラは、対談の現場とはまるきり違うものだったのである。

つまり、最初に柄谷さんの発言部分は、現場では全く「話していなかった」ことであるのみならず、途中で私が話したことを「先取り」して柄谷さんがー多少アレンジはあるがー語っている。これには心底困った。

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