似たような話は、あれは自主ゼミの場だったかで、柄谷氏本人から聞きました。「文芸誌に掲載の対談、あれは喋ったままが載っていると誤解されてますね。後で直すわけで、読者は幻想を抱いていますね」といった調子だった。その時はへーと思って聞いていましたけど、どんな場合でも事後修正というのは本当だったんですね。
柄谷行人さんに最後に会ったのは2000年夏にパリ、ということは以前投稿しました。
その時は、柄谷さんは再婚して欧州に新婚旅行に来ており、ちょうどパリにいた私と落ち合って「対談企画」ということになった。
私が2000年春にちょうどサルトルについての本を上梓したところだったこともあり、柄谷さんは珍しく「相手の本」を(だいたいだが)読んできてくれていたようだ。
その対談は2日間に渡る長時間のものだったが、これまた珍しく柄谷さんは「激する」こともなく穏やかな状態で終始過ごし、「打ち上げ」ではパリの中華街=belle villeで円卓を囲んで歓談した。これは日本でのように周囲に文壇茶坊主もいなかった、ということも関係あるかもしれない。柄谷さんのファーストネームが私と同じ(ただし感じは違う)良男だということも初めて聞いた。
この対談は非常に長いものだったので『週刊読書人』に連載、ということになった。
ところが、ここで驚いたことに最初に送られてきたゲラは、対談の現場とはまるきり違うものだったのである。
つまり、最初に柄谷さんの発言部分は、現場では全く「話していなかった」ことであるのみならず、途中で私が話したことを「先取り」して柄谷さんがー多少アレンジはあるがー語っている。これには心底困った。
近代化論には様々なヴァリエーションがあって、US仕込みの社会理論系統のやつ、その近経リファイン版(比較制度分析込み)、市場の発展重視の経済社会化論、はたまた左翼的な近代化論まである。労農派にとどまらず、アジア「未発の近代」論など。夜郎自大な「江戸からすでに近代」、順風満帆に明治へと接続の議論もここに含まれるか。在来産業ベースの経済発展論は、いささか折衷的なそれである。しかしさすがに日本史で、近世から産業資本が満面開花したという論調にはこれまで接したことがない。
https://twitter.com/php_shuchi/status/1646354316247330817?s=46&t=CIfOA3K9uFAkIdRcurcL_w 新入生に向かって松下幸之助の訓えを顕揚しようとする輩。
https://twitter.com/accentdeverite/status/1645994038045319168?s=46&t=CIfOA3K9uFAkIdRcurcL_w こんなのに対していちいち反応をみせるなんて。やれやれだぜ。
https://twitter.com/toshiitoh/status/1643904852626640896?s=46&t=CIfOA3K9uFAkIdRcurcL_w いったん、髙木昭作説に対する見解を中世史研究者に徴したいものである。兵站面では、現地で現物徴発を戊辰戦争でもやっていた。
王寺にはこの間会って話したのだけれども、自分のツイート内容については全然問題だとは考えていないようでした。東大教授があの内容で全世界に発信するのはハイリスクだと思うんですけれども、意に介さないみたい。
護憲に反原発の著名人に対しては、何としてでも牽制したい、といったところだろうか。