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維新=近代化=革命(!)という立場を堅持する側からみるとなると、中央集権・統一国家制度を確立する前の旧体制は分権的な複合国家なのに違いない、そうでなければ維新期の変革性を見出せないはず、という論理建てというか立て付けになっているのではないか、と思い当たった。しかしトクヴィル的にいってみれば「旧体制」との連続性というものも日本の国家には存在したのであって、それが集権的封建制というものであったのではないかと私などは考える(天皇のほうは大きく改変されているので、多少なりとも違う)。近代化要因を社会のほうに求める視角はすでにありふれているが(それでよいとは思わないが)、国家そのものにも維新変革の内在的原因は、あると言ってよいのではないだろうか。

ふつうの事務的な会議をやるとするならば、討議で参加者が一人十分以上しゃべるのを禁止すべきじゃないのか。

歴史学会の大会で、英語帝国主義の問題性をとりあげないものかな。

「グローバル化」でがんばってきたからグローバルヒストリーが地域史に対してより優越する、という観点というのはいったい何なのだろう。皆目わけがわからないのだが。

ブーストして思い出したけど、あるいは英米文学を専攻していたファニー(ドニーズ)・ドゥルーズの業績って、本邦の斯界では全貌が紹介されていないのではないだろうか。

同僚が土曜日というのに教職員組合に宛ててメールを送信していたのだが、こりゃ大物すぎる…。

フランスの文化政治といえば、それは過去から現在までの凡ゆる分野で顕著に視て取ることができようが、それを前提にすると、歴史研究での政治文化論なんぞは至極当然の状況を殊更に大仰な素振りで確認しているだけなのかもしれない、と思う。一方で文化の政治、なんつっても今日の本邦はと言えば、ハナで笑いたくなるようなものに留まる、と言ったら語弊があるだろうか。

youtu.be/r0WiHr6Pyr0 こんなの公開していたんだ。ヘルによるディアベッリ変奏曲

ただその直後に、M・ブロックが「しかし、こうした結論に対して再度議論をするとすれば、より確実な根拠に基づいてそれをすべきであろう」(邦訳pXVII)として論陣を張るのに対し、柴田による論評では、ブロックによる弁明のなかに「ヴァレリーの不信のアイロニーに通ずるものを感ずるのである」と述べて、いわば歴史家たちによる反論から、詩人の高踏的な文明論を救い出そうとするかのごとくである。《彼が「歴史」それ自体を否定しているのではなく、むしろ、国民に正しい歴史意識を与えることができない「歴史家」を否定することによって、「歴史」を救おうとしているとすら思わせる》…。

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柴田氏はここで、Annales誌に拠ったフェーヴルやブロックによる批判や反論を引き、彼らの史論がヴァレリーによる歴史家批判を十二分に意識していたものであったことに注意を促している。とりわけ、『歴史のための弁明』が序文で『現代生活の考察』を引用し、「これらの断罪には恐るべき魅力がある」と評したところに、いっそうの注意をはらうべきであろう。

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柴田氏はこう述べる。「おそらくヴァレリーにとっての関心事は、このような職業的な歴史家集団の方法論議に参加することではなく、当時のフランス国民の間にみられる歴史意識のあり方への警告だったであろう。したがって、彼の不信は『歴史』へではなく、むしろ、このような歴史意識をつちかった『歴史家』へ向けられていると見た方がよい」(p3)

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「『歴史』は知性の化学が作製したもっとも危険な怪物である。(…)世界の現状では、『歴史』の誘惑に身をまかせる危険は、いつにもまして危険である」とヴァレリーが書いた「歴史について」(1927)は、その著作『現代世界の考察』(1931)所収である。邦訳は『ヴァレリー全集』12巻に入っているが、その増補版月報の12号(1978)には、柴田三千雄氏が「ヴァレリーと歴史」という小文を寄せている。

手許にある論集を引っぱり出し、B・ペータースによる小文を参覧する。「反ドレフュス派だったヴァレリーは、1941年1月9日にアカデミー・フランセーズでベルクソンを讃える見事な追悼文を読み上げる」。…「ボゴタでは…聴衆はそれを精神の自由への賛歌として聴き入った」(『ヴァレリーにおける詩と芸術』所収)。こういうのを見ると、彼のような文士は両義性を帯びる存在と認められていたことがわかるが、しかし評価の基軸はどちらに置くべきであるのか。「第三共和政のボシュエ」を自任する冠絶詩人にしてナショナリストで、かつ対独協力には消極的であった、とでも?

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毎日新聞の書評欄を眺めて愕然。いまは保守が掲げる知識人の鑑とは、エマニュエル・トッドとなったのである。トッド問題はでかくなってきている。

ベルトレによるヴァレリー伝を借りてきて目を通していたら、1937年1月、ヴァレリーがコレージュ・ド・フランス教授ポストに立候補した際に、リュシアン・フェーヴルは反対の動きをとったとある。「ヴァレリーがこれまで歴史にたいしておこなってきた発言も、彼が配布したテクストも評価していない」、と記されているが、そりゃそうだろう。「ヴァレリーはニニ対一七で選出される」。

こんど対談内容に目を通してみます。『潮』5月号では公明党山口代表とも対談していたらしく、またしてもコマった東大教員だと思っています。 bookstore.seikyoonline.com/ite

twitter.com/koheisaito0131/sta
「むはははは」の応酬ですと。ツイッタラーというのは一体なにをやっているのか。単にヒマ、なのか。

こないだの日曜日にお爺ちゃんたちは、「ワクチン5回目も打ったから安心だ〜」とばかりに夜の街に繰り出していかれたのだが、一方で独自研究(?)に基づいて4回目接種さえも拒否する六十代もいたりするわけである。人生実にいろいろである。

ツイッターでは呟いたことがありますが、王党派のデュメジルとガクソットとは青年時代からの親友だったというのを知って、彼らに向けられたギンズブルグによる追求はそれなりに内実が伴っていたのじゃないか、と思われてならず。

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