維新=近代化=革命(!)という立場を堅持する側からみるとなると、中央集権・統一国家制度を確立する前の旧体制は分権的な複合国家なのに違いない、そうでなければ維新期の変革性を見出せないはず、という論理建てというか立て付けになっているのではないか、と思い当たった。しかしトクヴィル的にいってみれば「旧体制」との連続性というものも日本の国家には存在したのであって、それが集権的封建制というものであったのではないかと私などは考える(天皇のほうは大きく改変されているので、多少なりとも違う)。近代化要因を社会のほうに求める視角はすでにありふれているが(それでよいとは思わないが)、国家そのものにも維新変革の内在的原因は、あると言ってよいのではないだろうか。
https://youtu.be/r0WiHr6Pyr0 こんなの公開していたんだ。ヘルによるディアベッリ変奏曲
「『歴史』は知性の化学が作製したもっとも危険な怪物である。(…)世界の現状では、『歴史』の誘惑に身をまかせる危険は、いつにもまして危険である」とヴァレリーが書いた「歴史について」(1927)は、その著作『現代世界の考察』(1931)所収である。邦訳は『ヴァレリー全集』12巻に入っているが、その増補版月報の12号(1978)には、柴田三千雄氏が「ヴァレリーと歴史」という小文を寄せている。
ベルトレによるヴァレリー伝を借りてきて目を通していたら、1937年1月、ヴァレリーがコレージュ・ド・フランス教授ポストに立候補した際に、リュシアン・フェーヴルは反対の動きをとったとある。「ヴァレリーがこれまで歴史にたいしておこなってきた発言も、彼が配布したテクストも評価していない」、と記されているが、そりゃそうだろう。「ヴァレリーはニニ対一七で選出される」。
こんど対談内容に目を通してみます。『潮』5月号では公明党山口代表とも対談していたらしく、またしてもコマった東大教員だと思っています。 https://bookstore.seikyoonline.com/item/218550.html
https://twitter.com/koheisaito0131/status/1605879740153626626?s=46&t=_ByBGdn10fQ1oeiYYvISvA
「むはははは」の応酬ですと。ツイッタラーというのは一体なにをやっているのか。単にヒマ、なのか。
ツイッターでは呟いたことがありますが、王党派のデュメジルとガクソットとは青年時代からの親友だったというのを知って、彼らに向けられたギンズブルグによる追求はそれなりに内実が伴っていたのじゃないか、と思われてならず。