ただその直後に、M・ブロックが「しかし、こうした結論に対して再度議論をするとすれば、より確実な根拠に基づいてそれをすべきであろう」(邦訳pXVII)として論陣を張るのに対し、柴田による論評では、ブロックによる弁明のなかに「ヴァレリーの不信のアイロニーに通ずるものを感ずるのである」と述べて、いわば歴史家たちによる反論から、詩人の高踏的な文明論を救い出そうとするかのごとくである。《彼が「歴史」それ自体を否定しているのではなく、むしろ、国民に正しい歴史意識を与えることができない「歴史家」を否定することによって、「歴史」を救おうとしているとすら思わせる》…。