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車の任意保険、配偶者もカバーするので年齢制限を大幅に下げざるを得なくなり、けっこう高い。

時間、所持品、振る舞い、感情まで在り方を統制され、場合によっては泣いても笑ってもダメな勤め人に比べると、中小零細経営者はまあ自由に振る舞える。
しかし商売そのものの先を読んで借り入れをして投資や仕入れする判断、法改正や法解釈の変化にどう対応するかしないかの判断、所轄官庁や業界の雲行きを読む判断が難しい。もちろん下手を打つと、個人保証で私有財産までやられるリスク、法的な責任を問われるリスク、朝行くと従業員が誰もいなくなっているリスクなどなどがあり、こうした判断の重みから、勤め人がよく見えることもある。

たばこを買おうとして年齢を機械ではなく人間に求められたのは、アメリカにいたときしか記憶にないような。

配偶者の本名と住所とを正確に知ったのは、会って何回目だったか忘れたが、結婚する話になった後だったかもしれない。

義兄弟の契り、映画『実録安藤組』あたりで戦後の荒廃した渡世で、身も守るため食うために徒党を組んで与太って歩く学生やくざらが、茶番の儀式で酒に互いの血を混ぜて飲む光景がOPで映し出されたが(OPのみで本編にはない)、モデルとなった法政大学の学生にしてやくざの親分となった安藤組長もこういう儀式をやったのだろうか。

以前いた別の事業所は、基本的に前科者刺青者ばかりで、経営者から末端労働者まで遵法意識や娑婆の常識とは無縁で、まとまったカネが入れば賭博と娼館で派手に使い、酒は浴びるほど飲んで周囲に派手におごり、きつい肉体労働をしている上、刑務所に入っても出たらまた同じ仕事をすればいい程度にしか考えてやいので、土地のチンピラ地回りなんか屁でもなく、仲間がひとり殴られたら総出で探して報復し、サツやさらなる報復が来る前に立ち去っているという渡世だったので、市井の堅気の青瓢箪のクレームに屈するというか、そもそも堅気がクレームをいうという発想がなかった。戦闘力と前科前歴が屁でもない人生観はすべてを粉砕する。

昔いた事業所は、官庁と誤認されることが多く(官庁だとしても、だからどうしたという他ないが)、「お前のところのやつがコンビニに車を止めて弁当を買っていた」みたいな電話は時折きていたらしいが、「うちの人間も飯ぐらい食います」で電話を叩き切っていた。野蛮な人間しかいなかった上、評判も気にする必要もなく、異常者に遠慮する発想はなかった。しかし事業所によっては異常者に強く出ることさえ許されないのだろう。めんどいな。

南の島で拳銃を撃ってるとき、グリップを握り込んだらたまたま飛んできて留まったスズメバチを握りこんでしまったらしく、手の指を内側から刺され、異変に気づいていたがインストラクターの指示通りにグリップを強く握り続けて撃ち続けたのを思い出した。

武装して、田畑家屋私財すべてを差し押さえる権限を持ち、もちろん棒引きにも応じない。最悪の債務だ。

若いもんが金策に失敗するのをみるのはつらい。限られた収入と手持ち現金、迫り来る支払い期限、迫り来る督促という状況下で冷静な判断をするのはむずかしいが、筋の悪い債務から返すのが基本なのに、いちばん筋の良い債務から返して失敗するのを目の当たりにした。まず払うのは税金、なにはともあれ税金につきるというのに。

他者に対して語られる知性に欠けるという主旨の言葉は、多くの場合、「自分の意見を否定する」「自分の意見に同意しない」「自分とは違う意見をいう」「特段意見が違わないがなんか気に喰わない」程度の意味でしかないので、まああんまりマジメに受け止めることはないかも。

幽霊を見たみたいな話は、レビー小体型認知症等を疑う症例だとおもっている。

同年代の人間の多くが20年前に通過したことを、いまになって多く対峙している気がしないでもない。

作業服、学部時代はダテで作業服専門店で買った作業服で闊歩して、ハイライト(ふだんはラッキーストライクだった)をこれ見よがしにふかしていた記憶が……!

数度の雇用延長の末に引退したCOBOL使いのじいさんが引退してもなお、別に最新の機材に入れ替わったわけでなく単になんとなく扱い方を習った若者がいるだけで、メンテナンス不可能になってますます事態が困難になる、そういう話もある。

MRワクチンはフィリピンに渡航する際にやったが、抗体検査再度してみるかね。

うちの田舎で事件があったようだが、容疑者は強盗と性犯罪の前科があってムショ帰りだったとの報道。それでも定職について、人柄がよく優しかったという評判。そこで思うのは、もし私が何らかの罪で服役しても、定職につく道はなくはないのだという期待であった。

サツになった悪友たち、最初の頃は特異な体験を語りたい欲もあり、愚痴でもあり、単なる近況報告でもある話として、様々な警察四方山話を聞かせてくれたが、みな立身出世して暴力の最前線からは退いたり、そうでなくても口が固くなったりして、ほんとうに余計なことを言わなくなった。

住宅ローンと扶養家族がない暮らしとは、まったく異質の生存戦略が必要となってきたことにようやく気づいてきた。

「生かしておくことは著しく正義に反する」と確信した人間に対しては、もちろん何もしないまでも決して友好的には振る舞ってこなかったが、しかし別にそのように振る舞っても世の中がよくなるわけでもなく、自分の生活がよくなるわけでもないのではあった。

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