さっき薬局のTVで、今回の尹大統領のクーデター未遂事件を報道していたが、「強権的とも言える手法」と他人事のように報道していた。
これ、「強権的とも言える」という表現、厳密に言えば「強権的」とまでは「言えない」かも、というニュアンスを含む。
しかし、軍を動員した、時代錯誤のクーデター未遂より、「強権的」と言える手法あるのだろうか?
如何にも日本のTV的だが、「今日のソウルの繁華街には、昨日夜の事件を知らない人も」などと言って、「よくわかりません」と話す若者を登場させていた😡 。
このTVの「街の声」、これはいくらでも取捨選択できる典型的な例である。
韓国野党は、尹大統領を明後日金曜までに弾劾訴追する構えというが、これは当然だろう。
尚、東浩紀氏は、現在は株式会社「ゲンロン」の社長ではないようです。勿論、実質的には主催者ではあるけれども。しかし、この「ゲンロン」とやら、一体何を議論してるのやら・・・
ゲンロン(株)社長、ZEN大学教授就任予定の東浩紀氏が、韓国の尹大統領のクーデター未遂事件について、「教訓」として「緊急事態条項をきちんと整備しておくべき」などと世迷い亊を発信しているようだ。
「難しい所」などと留保をつけてみせているが、要するに常に東浩紀が極右改憲派の「側面援助」の役割を果たしていることに拠る。先の兵庫県知事選挙でも三浦瑠麗と同じくこの役割を果たしている。
東氏は「日本は空気が暴走する国なので」などと仰っているが、「暴走している」のは君だろ!常に「右」にだけど。
ところで、山尾志桜里氏も今回の事件を利用して「緊急事態条項の必要性」を訴えているようだ。この人の極右改憲派への「転落」も早かったな―。ま、自分の「思想」というものがない優等生なので、「転向」という屈折もない所が彼女らしいけれども。
しかし、東氏にしても山尾氏にしても、韓国の状況には全く知識も関心もないのに、即座に「緊急事態条項」の必要性を言い立てるあたり、御用知識人の「面の皮の厚さ」だろう。
ところで、緊急事態条項、当時「民主的」とされたワイマール憲法に埋め込まれ(誰によっては言わないでおく)、結局大統領独裁、ナチスの独裁へと道を開いたことは20世紀の歴史が教える所である。
https://x.com/poe1985/status/1864135110930649279
いつもの古市。全くの的外れで、韓国の戒厳令を批判する人は、日本のコロナ(初期)時代の緊急事態宣言を戒厳令的なものとして批判的に見ていた人の方が多いだろう。しかし、残念ながらそういう人の多くが、感染対策自体に批判的になり、屋内の密な集会でもほとんどノーマスク、のような状況を生んでしまったのではないか。政府が奪マスクに躍起になっているのに、「法に基づかない「お願い」ベースでみんながマスクしたりワクチンを打つ日本社会は怖い」みたいな意識で。
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コロナ初期にワイドショーをよく見ていたのだけど(最近はテレビ自体見なくなった)井上貴博というアナウンサーは、まあとにかくひたすらコロナ軽視で倉本医師にやたら絡んだりいけ好かないやつだった。
https://twilog.togetter.com/sarutora/search?word=井上貴博&ao=a&order=alldesc
この話で思い出したけれど、キャロライン・クリアド=ペレスという英国のジャーナリストが書いた『存在しない女たち』という本(翻訳は河出書房新社2020)の中に、性差医療に関連する内容があった。この社会が様々なところで男性を基準として作られていることを分析したこの本で、多くの薬が治験に女性の参加がないまま作られてきたとか、ある種のペースメーカーが男性基準で設計されていたため、多くの女性が命を落とした、というような話が書いてあって愕然とした……。
https://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309249834/
QT: https://toot.blue/@kmiura/113586761923263688 [参照]
ドイツで長期間暮らしている日本人の知人は結構な数であり、感覚では日本での知人の数と同じぐらいいるのだが、若くして亡くなる人が日本よりも多いのではないかと思う。
どのような形であれ、生命の危機にさらされると医師の処置を受けるわけであるが、その欧州における処置は日本人と欧州人の間にある物理的な違い、例えば頭の大きさとか体重とか骨格の違いによって、日本人の処置に最適化されていない。投薬にしても、風邪を引いた時に渡される薬は過剰量であることが多く、風邪ならば体力でカバーできるが、生きるか死ぬかギリギリのところではこの微妙な最適化の違いが決定打になるのではなかろうか。心理学的なカウンセリングにしても、日本語を母語としている人間が例えばドイツ語で果たしてその奥深くまでリーチがあるかと言えばおそらく無理、である。
海外に移住して暮らすことのリスクは犯罪等よりもこちらの方が大きいのではないか、としばしば思ったりする。フランスで日本の紹介者として有名な日本出身の方が49で亡くなったという話を見かけた。今どき、早逝である。それで、そんなことを思い出した。
インド中部ボパールで発生し、最大2万5000人超が死亡したとされる1984年12月の有毒ガス漏出事故から40年を迎える。いまだ後遺症に苦しむ住民は多く、負の影響は次世代にも引き継がれている。
事故は84年12月2~3日、米化学企業現地子会社の工場で起きた。50万人以上が健康被害を受けたとされ、旧ソ連のチェルノブイリ原発事故(86年)と並び「世界最悪の産業事故」と呼ばれる。
事故後、殺虫剤を作るための有害物質は放置され、土中に浸透。土壌から高濃度の水銀も検出された。周辺ではがんや腎不全の発症、子供の先天性疾患が相次いでいるとの指摘がある。【1/2】
有毒ガス漏出、終わらない健康被害 「世界最悪の産業事故」から40年―リハビリ施設、「水俣」手本に・インド:時事ドットコム
https://www.jiji.com/jc/article?k=2024120100290&g=int
笹沼 弘志 (憲法学者)
「釜ヶ崎労働者たちがなぜセンターに拘り続けているのかといえば、まさにセンターこそが
彼らの生命(憲法13条)、勤労の権利(27条)および生存権(25条)を
自らの団結権行使(28条)によって守り抜いてきた砦であったからにほかならない。
釜ヶ崎労働者たちの勤労の権利や生存権を保障すべき義務を
負っている国や大阪府は自らの憲法及び法律上の責務を果たそうとせず、
それどころか手配師の暴力的支配を放任したり、
それらへの抗議活動を行った労働者たちを警察により弾圧してきた。
そうした過酷な状況の中でなかまの命はなかまが守るを合言葉に
労働者たちは団結の力によって自らの命と権利を守り抜いてきたのである。
その営みが可能となったのはまさにセンターという拠点があったからであった。」
https://dot.asahi.com/articles/-/41837?page=1
デブリの試験取り出しみたいなバカな事をやってないで、さっさと石棺で覆ってしまえよ、という話だ。普通に考えたら誰でもその結論になる。
デブリの試験取り出しをやっている人たちもそれがバカバカしいことだと知っているのに違いなくて、知っているくせにやめられないのは、まあ、中毒なんでしょう(お金中毒、権力中毒)。いっぺん煉獄とやらに行って鍛え直されて欲しい。