バチカン、少し前まで同性愛に対しても極めて敵対的な姿勢を取っていたのが最近少し緩和していたものの、90年代から現代まで続く反ジェンダー運動(SRHRや性的マイノリティの権利が主張されることに反対して構成された運動)の出発点はここなわけで、実際のところSRHR全体、とりわけリプロダクティブ・ジャスティスに関して、そしてトランスの権利に関してはどうするのか、警戒心を拭えずにいた。悪い方向に予感が当たってしまった。
ジェンダー肯定医療や代理出産(こちらもおそらく主にLGBTQコミュニティをターゲットとして念頭においている、少なくとも欧米系ではそのような方向で機能するだろうと思われる)への反対は悪い意味で予想通りだけれども、バチカンはIVFにも明確にNOを言ったのか。
アラバマの体外受精実質禁止とも響きあうし、なんか時代が戻っていく感じがある…
https://www.nytimes.com/2024/04/08/world/europe/vatican-sex-change-surrogacy-dignity.html
ルーツとか民族とか国とか宗教とか文化盗用とかにすげえ無頓着というか、それを考えないことがリベラルと思っているようなの、たまに見る
「我々は皆多様だ」(これ自体は正しい)の延長線で「だから境界線なんてない」と雑に振り翳して色々なパワーバランスを置き去りにし、結果的に同化に繋がらせてしまう
それ、「我々は元々皆一緒だ」(これ自体は間違いでない)「だから境界線なんてない」と五族共和だ八紘一宇だ言いながら侵略掠奪しまくったマインドとどう違うんですか、と思う
(そして右派は右派でいまだにこの歴史修正ゴミ建前を信じて「だからあれは解放戦争だった!」とか言っている者もマジでたんと見る
何なら「我々がやったようにパレスチナも西側から『解放』してやらねば」みたいな話が出たりしてどうしよう…と思う)
ー沖縄の米軍基地の多くは戦後に本土から移ってきた。1955年に本土89%、沖縄11%だった米軍専用施設は、本土の反対運動などを背景に徐々に沖縄へ移転。日本復帰した72年には58・8%になり、現在も7割が集中する。
沖縄に基地を押し付けたまま、「国の専管事項」と距離を置き、負担の飛び火を避ける。こうした当事者性の欠如が、沖縄への基地固定化の温床になっている。ー
11%だった1955年でも少ないとは思わない。反対運動数年やれば基地を動かせる「本土」と、何十年運動しても基地が減らないどころか強化され続ける沖縄の違いは、運動のやり方でもなければ物の言い方でもなく、単純に差別している・差別されている関係というだけの話。
アンケートに示されたのは全国の知事の基地に対する当事者意識の薄さ。これは国民の意識と大して変わらないのでは。
イスラエルの人々が「Free Okinawa/Ryukyu」って叫んだら日本人の目にどう映るんだろう。どんな問題なら、日本人は当事者意識を持てるんだろう。
昼くらいまで嵐みたいな風雨だったのに急に晴れてきたなと思ったら案の定頭痛い
ずつーる見たら気圧上昇注意だった、やっぱり
この前、何だったか忘れたけど「賛否両論!」を煽り文句にしてる広告も見かけたし、「炎上!」に続いて、逆手に取って、結果的に茶化してるやつなんだろうな
@crowclaw109 どこの泡沫アカウントかと思いきやこれサントリー公式なんですか?自衛隊「大東亜戦争」と言い、建前=成熟の拒否、エモい本音でバズれば勝ち社会は要するにプーチン、トランプ、ネタニヤフ、百田、ひろゆき、成田、三浦・・・らを生んだということで、そこには「イデオロギーによる対立」なんて高尚なものは何もない、ただ剥き出しで、であるが故に無味の"力=数字の動き"があるだけな気がしてきました。そんな世界に生きたくね〜(どんな世界にも生きたくはないが。。
“批評的”な広告にすりゃ良いってもんじゃないし、この手のは西村は大好きだろう(カネももらえるしな)。 https://twitter.com/suntory_tokucha/status/1777174527249912224
〈どなたかの参考に〉
様々な任期付きポストを小林旭並みに渡り鳥(古い)、3回目の任期切れにつき社会保障等の手続きに来ているが、書類の性別欄は別に書かなくてもしれっと出せることが多いことをお知らせしておきたい。
そして保険証の性別記載を裏面にしてもらえるかときいたばかりに職員がウロウロしており、10分待たされるけどちゃんと書式は出てくるんだよ、制度はあるけど使う人がいないから把握してないだけで……。こういうときトランスはせいぜい0.5%前後ということをリアルに感じる、マジで「普通」に生きてたらトランスのこと考える機会はほんとに少なくて、ネットでトランスのことばっか考えて監視してる連中は本当に特殊だということがよくわかる。
添付は裏面記載のためのしょーもないクソ書類である。基本的に診断書を出せと言われるが、私は基本的にこういう手続きで診断書を出さないようにしている。こちらばかりカネを払わされるのはおかしいし、ジェンダークリニックにアクセスできる人ばかりではないからだ。職員にもそれを説明し、性別載せるなとか違うことを書けと言ってるんじゃないのに、コストと見合わないよねと話した。
実際に現場がこういう「トラブル」に直面して、考えることでしか変わっていかないのだ。
なんかとにかく、国内フィクションの多くの部分で、真正面からの正義や善性を信じられないのが当たり前みたいになっちゃってるんだよな。それなのにヒーローものは望まれるし、あるべきヒーロー像のステレオタイプも残ってしまってて、受け手にキャラの正義や善性を納得させる為のハードルが極端に上がってて、世間から△△と思われ侮られているけど実はチート級能力者でやるときはやるという、結局はステレオタイプの裏返しのスカッと展開とか、また、正義や善性を試すための、過酷で陰惨な状況が作られたりするし、周りのキャラもその犠牲にされたりする。
それが陳腐化してて、受け手が麻痺してるぽいのも怖い。
主人公を正義側に立たせても、作品として正義を信じ切れていない。人権意識がない。もしくはそういうのはウケないと思われてしまっている。
そういうのに行き当たったり、そういうのが好きな人が現に大勢いたりするのを見てると、疲れる……。
なんか最近たまたまなのかフリーレンのヒンメルを「聖人」または「実は聖人」キャラ扱いしてるのを見かけて、解釈違いなのもあるけど、善性を認め賞賛するのにはいちいち「聖人」レッテル貼りにまでアゲないとダメなのか?て気持ち悪くなってた。
アニメ『薬屋のひとりごと』感想
後宮や妓楼など男女のジェンダー力学が働く場が舞台で女性主人公が謎を解く。恋愛やら性的快楽に興味なさそうな主人公なのでアセクシュアル・アロマンティック表象として読み解こうともできるけど、アイデンティティとして描いているというよりは、テーマを際立たせるための主人公の特異性としての設定という趣が濃いかなと。規範の中で「上手に適応して生きよう」という知恵に留まっている感じです。
歴史、とくに文化史、服飾史に興味があり、メインは日本の古代~中世ですが、他の国や地域の文化も調べたりしています。お絵描きもしますがこのアカウントにUPするかはまだわかりません。
トランス差別を含む、すべての差別に抗いたいです。The Future is INTERSECTIONAL.