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なんか最近たまたまなのかフリーレンのヒンメルを「聖人」または「実は聖人」キャラ扱いしてるのを見かけて、解釈違いなのもあるけど、善性を認め賞賛するのにはいちいち「聖人」レッテル貼りにまでアゲないとダメなのか?て気持ち悪くなってた。

なんかとにかく、国内フィクションの多くの部分で、真正面からの正義や善性を信じられないのが当たり前みたいになっちゃってるんだよな。それなのにヒーローものは望まれるし、あるべきヒーロー像のステレオタイプも残ってしまってて、受け手にキャラの正義や善性を納得させる為のハードルが極端に上がってて、世間から△△と思われ侮られているけど実はチート級能力者でやるときはやるという、結局はステレオタイプの裏返しのスカッと展開とか、また、正義や善性を試すための、過酷で陰惨な状況が作られたりするし、周りのキャラもその犠牲にされたりする。
それが陳腐化してて、受け手が麻痺してるぽいのも怖い。

主人公を正義側に立たせても、作品として正義を信じ切れていない。人権意識がない。もしくはそういうのはウケないと思われてしまっている。
そういうのに行き当たったり、そういうのが好きな人が現に大勢いたりするのを見てると、疲れる……。

作り手の信じていないものでも作品の中にほしっかり存在させたり、キャラクターは心から疑わなかったり、フィクションならそういう表現は出来るはずだと思うが。なので、作り手が信じているかどうかとは別に、今のメインターゲット層が求めるものがこれ、ていう固定概念がやっぱりあるんだろうな……。

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