厚生労働省の資料によると、支払基金と国保中央会が管理する情報にはマイナンバーカードの利用者証明用電子証明書のシリアルナンバーが含まれるとのこと。これ、利用者証明用電子証明書のシリアルナンバーをキーに、他分野の個人情報との名寄せが可能になるではないか。利用者証明用電子証明書のシリアルナンバーを医療分野以外で一切使わないなら別だが、「デジ庁によると、オンラインでの証券口座開設や携帯電話のレンタル契約などですでに使われている」(朝日新聞デジタル「マイナカード、目に見えない「もう一つの番号」 規制緩くて大丈夫?」)。名寄せが技術的に可能であることは、利用者の想定外のリスクを持っている。技術的に言えば、マイナンバーで診療情報を管理するか、マイナンバーと1対1で対応する番号で管理するかの違い程度しかない。
https://www.mhlw.go.jp/content/10200000/001085572.pdf
にわかに米不足になった今、農家と消費者が直接取引をしたいとの動きが見られる。それに対して、農家の側からは米の市場価格が下がったら取引を打ち切られて在庫を抱えるだけではないのかと警戒する声がある。また、個々の農家が消費者に直接販売するのも手間がかかるとの声も。
そういう課題をクリアした取り組みがすでにある。それが生協により始められた産直提携農業。産直提携農業には、指針となる「提携10か条」がある。たとえば「相互扶助の精神」「計画的な生産」「全量引取り」「互恵に基づく価格の取決め」「相互理解の努力」などの原則がある。これらの原則のもと、生協と生産者グループが農産物の直接取引を行ってきた。近年ではすっかり忘れ去られているが、フェアトレードの元祖とも言えるこの取り組み。今また見直してみるのも悪くない。
通信制高校をめぐる諸問題は、伊藤靖幸さんが「大阪における高校教育改革~定時制・通信制・単位制~」『大阪高法研ニュース』第120豪(1992年)で提起した「そもそも今の日本社会の中で定時制あるいは通信制の果たすべき役割は何なのか。勤労者の為の教育機関の理念にこだわりつづけるか、少人数となったことを奇禍として、何らかの事情で定時制の門をくぐらざるをえなかった生徒の「治療と回復の場」とするか、「全定同格」の理念にこだわるか、あるいは割り切って高卒資格付与機関と考えるか。」との問いに明確な答えが未だに出ていないことにも大きな原因がある。
高卒資格付与機関と割り切って考えるのと、「全定同一」の理念にこだわるのとでは、通信制高校に投入すべき資源量が異なる。現在の通信制高校は、在籍する生徒の需要が多種多様でありながら、「高卒資格付与機関」であることを前提とした少ない資源しか持ち合わせないことが無理を生じさせている。その結果、多くの生徒の需要には十分に応えられず、その結果、高校卒業を断念しなければならない生徒が多くなるのも道理である。
そう考えると、通信制高校に投入する資源量を全日制高校と同等以上に引き上げることが問題の解決策となるが、各自治体の理事者はどう考えるか。むずかしい。
#通信制高校 #高校 #教育
標準的な運営をしている通信制高校を卒業するのは難しい。自学自習が基本で、疑問があってもすぐに教師に質問することはできない。また、学習活動全般において自己管理を徹底しなければならない。このようなことをこなせるのは、日本のすべての高校生の中でもそれほど多くない。
現実に、埼玉県立大宮中央高等学校の教員だった小林裕光氏は、Webに発表した論文「埼玉県の高等学校通信制課程における諸問題について」において、多くの生徒が1単位も修得できない現実を報告している。
そこに付け込んで、ごく一部の私立通信制高校が不適切な教育活動を行い、安易に卒業認定をしている問題はある。通信制高校への偏見のかなりの部分は、このような不適切な教育活動を行った学校を知った先入観からだろう。
とはいえ、通信制高校の現状は、制度創設時に文部省(当時)が示した理想とは大きく離れているのは事実だ。当時の文部省は、通信制高校においては徹底した個別指導が中心であるとした。面接指導も数人程度のクラスで行うことが想定されていた。財源面などの課題を解消することができて、制度創設時の理想が実現していたとしたならば、現状の通信制高校よりは卒業へのハードルが低く、しかも良質な教育を提供できていただろう。たらればを言っても詮無いことだが。
#通信制高校 #高校
県立高校の男女別学の高校の共学化についての検討に当たっては、男女別学校の環境が性別役割のステレオタイプを強化しているのか、その逆なのかの実証的な根拠をもってすることが望ましいのは前提。
そのうえで、現時点での私見ではあるが、あえて男女別学校をを残すとしよう。男子生徒の少ない分野の学科を設けた男子校、女子生徒の少ない分野の学科を設けた女子校を設置することが考えられる。どのような学科が該当するかはその時点での学校基本調査の結果をもとに検討すればよい。このような取り組みによって、ジェンダーにとらわれず、個人の興味・関心によって進む分野を選ぶことを後押しすることを狙う。ただし、繰り返すが、これは暫定的な提案であり、狙いを達成できる可能性を含め実証的な根拠によって変更されうるものである。また、現時点で統計的に学科ごとの生徒数の大きな男女差が出ていることをもとにした提案であり、すべての個人に当てはまるものではない。しかも、あえて男女別学校を残すこととする前提に立つことによる限界を持っている議論であることに留意されたい。
埼玉県がジェンダー平等の観点から県立の男女別学校を共学校に移行する方針との報道があった。
埼玉県による検討が始まったころから議論が盛んになされた。ただ、議論に必要な実証的な根拠が乏しい。男女別学校、とりわけ男子校がジェンダーステレオタイプを強化していることを疑う材料はあり(一例として伊藤裕子(1997)「高校生における性差観の形成環境と性役割選択」、『教育心理学研究』45巻4号p. 396-404)、調査研究の必要性を示している。
2000年代初頭にも埼玉県では男女別学校の共学化が検討課題になったが、このときは今よりも学術論文の電子化が進んでいなかったこともあり、実証的な研究をもとにした議論ができなかった。
今回の検討では実証的な調査研究を根拠に検討されることを望みたい。
#高校 #教育
先の投稿では、NPO法人キッズドアの調査に困窮する親が、夏休みに食事を用意しなければならないがその余裕がない、夏休みにレジャーに連れて行くことができないことなどにしんどさを感じていることを回答していた。
この問題を考えると、すべてのこどもが、どこの学校に通っている・学校に在籍していないなど分け隔てなく共に食事をすることができる場を設けることが望ましい。できれば、その場がこども・若者にとって楽しめる場、居場所になるような場、出会いを得られる場であってほしい。そのような場を考えると、ともに食事をすることでひととひととの出会いの場となるよう運営されている自治会やNPOのコミュニティカフェをこども・若者にアピールするのは夏休み中の食事の問題の一つの解となろう。「ひととひととのつながりの場を作る」というアプローチなら手を挙げるNPOも少なくないのでは。あとは財源の確保と食事を提供するノウハウを持っているひとの参画だが。
NPO法人キッズドアの調査に、経済的に困窮している親から、「学校の夏休みをなくしてほしい」との意見が寄せられた。夏休みになったら給食がなくなり、食事を用意しなければならない。しかも、こどもをレジャーにも連れていけないことにも痛みを感じているとのことだった。食事の問題は妙案が出ないが、こどものレジャーに関しては、ユースホステル利用に公的な補助金を出すことである程度緩和できるのではないか。ユースホステルは多くのこども・若者に有意義な体験の場を提供してきた。
生活に困窮しているか否か・学校に在籍しているか否かなどにかかわらず、すべてのこども・若者に体験の場を提供することこそユースホステルの真骨頂だ。
今またユースホステルのこども・若者の体験の場としての機能を再興するのも悪くない。そのことによって、想像以上に多くのこども・若者に有意義な居場所を提供することができるだろう。
インスタンス引っ越しました。
学校に関するうらみつらみは結構あって、割と頻繁に書くかもしれない。