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マイナ保険証、厚生労働省の資料によれば利用者証明用電子証明書のシリアル番号をキーコードにして情報を管理しているとのこと。唯一無二、悉皆性があり、しかも民間企業も使用しているので技術的にはさまざまな個人データの一元管理が可能。もちろんそれを実行する主体が出てくることがありうるかは別の話で、日本においてはそのような主体が出てくる可能性は低いだろうが。ともかくもひとつの番号でデータ結合を容易にできないようにしておくのはマイナンバー制度が設けた一つの「安全装置」で、その「安全装置」を外すのは制度の前提条件から外れている。

厚生労働省の資料によると、支払基金と国保中央会が管理する情報にはマイナンバーカードの利用者証明用電子証明書のシリアルナンバーが含まれるとのこと。これ、利用者証明用電子証明書のシリアルナンバーをキーに、他分野の個人情報との名寄せが可能になるではないか。利用者証明用電子証明書のシリアルナンバーを医療分野以外で一切使わないなら別だが、「デジ庁によると、オンラインでの証券口座開設や携帯電話のレンタル契約などですでに使われている」(朝日新聞デジタル「マイナカード、目に見えない「もう一つの番号」 規制緩くて大丈夫?」)。名寄せが技術的に可能であることは、利用者の想定外のリスクを持っている。技術的に言えば、マイナンバーで診療情報を管理するか、マイナンバーと1対1で対応する番号で管理するかの違い程度しかない。
mhlw.go.jp/content/10200000/00

日本では、「自警団」という語に関東大震災時の負の歴史が染みついている。「日本人が迫害されている」と主張するひとびとが「川口自警団」なる団体を組織している背景に、排外主義があるのではないかと疑わざるを得ない。

明らかな誤りがあったので訂正して再投稿。
朝鮮語(ここで「朝鮮」と述べるのは、地域を指すためで、特定の政府を指す意図はない)の校歌を持ち、日本と韓国の双方で正規の学校と認められている京都国際高校が甲子園の決勝に出たことで、排外主義に基づく批判が盛り上がっている。一つ確認しておきたいのは、日本は大和民族による単一民族国家ではなく、もともとアイヌ民族、朝鮮民族、琉球民族など多くの民族が共存する国家である。

高等学校普通科は卒業後に進学することが前提になっているが、より長期の教育期間を必要とするようになった現状では、高等学校が普通科中心になっていることについて一概に良し悪しは言えない。熊本県知事が「一般事務職や普通科高校はいらない」と述べたのは踏み込み過ぎだった。

「クルド人が好き勝手しているのを、埼玉県知事に抑えられた埼玉県警察はただ見ているだけしかできない」との人種差別むき出しのデマが出回っている。そもそも各都道府県警察の定員は国が定めていて(警察法57条2項)、知事にはどうにもできない。また、都道府県警察の運営も、日本の場合警察庁の権限のほうが遥かに大きく、県知事はほとんど何もできない。まして、埼玉県知事が埼玉県警察の犯罪摘発を止めることなんてできやしない。

にわかに米不足になった今、農家と消費者が直接取引をしたいとの動きが見られる。それに対して、農家の側からは米の市場価格が下がったら取引を打ち切られて在庫を抱えるだけではないのかと警戒する声がある。また、個々の農家が消費者に直接販売するのも手間がかかるとの声も。
そういう課題をクリアした取り組みがすでにある。それが生協により始められた産直提携農業。産直提携農業には、指針となる「提携10か条」がある。たとえば「相互扶助の精神」「計画的な生産」「全量引取り」「互恵に基づく価格の取決め」「相互理解の努力」などの原則がある。これらの原則のもと、生協と生産者グループが農産物の直接取引を行ってきた。近年ではすっかり忘れ去られているが、フェアトレードの元祖とも言えるこの取り組み。今また見直してみるのも悪くない。

前売りで買った乗車券を手にわくわく、にやにや、楽しみにしている。

この間、天理教の「にをいがけ」を受けた。「にをいがけ」の名の通り、天理教についてさらりと話して、さらりと去って行った。「勧誘」とも呼べない短い時間のさらりとしたにをいがけだった。ひとによっても違うのだろうが、自分の信じるところをさらりと伝え、さらりと去っていく姿に好感を持った。「にをいがけ」のあとに、天理教のサイトを開いて教えに少しだけ触れて、天理教の本拠地である天理の地に思いをはせた。

通信制高校をめぐる諸問題は、伊藤靖幸さんが「大阪における高校教育改革~定時制・通信制・単位制~」『大阪高法研ニュース』第120豪(1992年)で提起した「そもそも今の日本社会の中で定時制あるいは通信制の果たすべき役割は何なのか。勤労者の為の教育機関の理念にこだわりつづけるか、少人数となったことを奇禍として、何らかの事情で定時制の門をくぐらざるをえなかった生徒の「治療と回復の場」とするか、「全定同格」の理念にこだわるか、あるいは割り切って高卒資格付与機関と考えるか。」との問いに明確な答えが未だに出ていないことにも大きな原因がある。
高卒資格付与機関と割り切って考えるのと、「全定同一」の理念にこだわるのとでは、通信制高校に投入すべき資源量が異なる。現在の通信制高校は、在籍する生徒の需要が多種多様でありながら、「高卒資格付与機関」であることを前提とした少ない資源しか持ち合わせないことが無理を生じさせている。その結果、多くの生徒の需要には十分に応えられず、その結果、高校卒業を断念しなければならない生徒が多くなるのも道理である。
そう考えると、通信制高校に投入する資源量を全日制高校と同等以上に引き上げることが問題の解決策となるが、各自治体の理事者はどう考えるか。むずかしい。

標準的な運営をしている通信制高校を卒業するのは難しい。自学自習が基本で、疑問があってもすぐに教師に質問することはできない。また、学習活動全般において自己管理を徹底しなければならない。このようなことをこなせるのは、日本のすべての高校生の中でもそれほど多くない。
現実に、埼玉県立大宮中央高等学校の教員だった小林裕光氏は、Webに発表した論文「埼玉県の高等学校通信制課程における諸問題について」において、多くの生徒が1単位も修得できない現実を報告している。
そこに付け込んで、ごく一部の私立通信制高校が不適切な教育活動を行い、安易に卒業認定をしている問題はある。通信制高校への偏見のかなりの部分は、このような不適切な教育活動を行った学校を知った先入観からだろう。
とはいえ、通信制高校の現状は、制度創設時に文部省(当時)が示した理想とは大きく離れているのは事実だ。当時の文部省は、通信制高校においては徹底した個別指導が中心であるとした。面接指導も数人程度のクラスで行うことが想定されていた。財源面などの課題を解消することができて、制度創設時の理想が実現していたとしたならば、現状の通信制高校よりは卒業へのハードルが低く、しかも良質な教育を提供できていただろう。たらればを言っても詮無いことだが。

県立高校の男女別学の高校の共学化についての検討に当たっては、男女別学校の環境が性別役割のステレオタイプを強化しているのか、その逆なのかの実証的な根拠をもってすることが望ましいのは前提。
そのうえで、現時点での私見ではあるが、あえて男女別学校をを残すとしよう。男子生徒の少ない分野の学科を設けた男子校、女子生徒の少ない分野の学科を設けた女子校を設置することが考えられる。どのような学科が該当するかはその時点での学校基本調査の結果をもとに検討すればよい。このような取り組みによって、ジェンダーにとらわれず、個人の興味・関心によって進む分野を選ぶことを後押しすることを狙う。ただし、繰り返すが、これは暫定的な提案であり、狙いを達成できる可能性を含め実証的な根拠によって変更されうるものである。また、現時点で統計的に学科ごとの生徒数の大きな男女差が出ていることをもとにした提案であり、すべての個人に当てはまるものではない。しかも、あえて男女別学校を残すこととする前提に立つことによる限界を持っている議論であることに留意されたい。

埼玉県がジェンダー平等の観点から県立の男女別学校を共学校に移行する方針との報道があった。
埼玉県による検討が始まったころから議論が盛んになされた。ただ、議論に必要な実証的な根拠が乏しい。男女別学校、とりわけ男子校がジェンダーステレオタイプを強化していることを疑う材料はあり(一例として伊藤裕子(1997)「高校生における性差観の形成環境と性役割選択」、『教育心理学研究』45巻4号p. 396-404)、調査研究の必要性を示している。
2000年代初頭にも埼玉県では男女別学校の共学化が検討課題になったが、このときは今よりも学術論文の電子化が進んでいなかったこともあり、実証的な研究をもとにした議論ができなかった。
今回の検討では実証的な調査研究を根拠に検討されることを望みたい。

先の投稿では、NPO法人キッズドアの調査に困窮する親が、夏休みに食事を用意しなければならないがその余裕がない、夏休みにレジャーに連れて行くことができないことなどにしんどさを感じていることを回答していた。
この問題を考えると、すべてのこどもが、どこの学校に通っている・学校に在籍していないなど分け隔てなく共に食事をすることができる場を設けることが望ましい。できれば、その場がこども・若者にとって楽しめる場、居場所になるような場、出会いを得られる場であってほしい。そのような場を考えると、ともに食事をすることでひととひととの出会いの場となるよう運営されている自治会やNPOのコミュニティカフェをこども・若者にアピールするのは夏休み中の食事の問題の一つの解となろう。「ひととひととのつながりの場を作る」というアプローチなら手を挙げるNPOも少なくないのでは。あとは財源の確保と食事を提供するノウハウを持っているひとの参画だが。

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Claudeを使い始めた。SNSに投稿する文章をチェックしてもらってる。ChatGPTとはまた違った反応で、SNSに投稿する文章をチェックするにはいい感じ。

いつぞやだったか、学級日誌に音楽の授業を「音学」と書いている同級生がいた。今にしてみればこの表現はある意味正しいように思える。学校の授業となると、音を楽しむのではなく音を学ぶになっちゃうから。音楽を学校で取り扱わないほうがいいのではと考えた。ただしこれはこどもに等しく保障される教育の中に社会教育が位置付けられた段階で、社会教育のなかで音楽に触れる機会がすべてのこどもに等しく提供された段階での話で、現時点で直ちに音楽を学校教育から外すことはできない。

NPO法人キッズドアの調査に、経済的に困窮している親から、「学校の夏休みをなくしてほしい」との意見が寄せられた。夏休みになったら給食がなくなり、食事を用意しなければならない。しかも、こどもをレジャーにも連れていけないことにも痛みを感じているとのことだった。食事の問題は妙案が出ないが、こどものレジャーに関しては、ユースホステル利用に公的な補助金を出すことである程度緩和できるのではないか。ユースホステルは多くのこども・若者に有意義な体験の場を提供してきた。
生活に困窮しているか否か・学校に在籍しているか否かなどにかかわらず、すべてのこども・若者に体験の場を提供することこそユースホステルの真骨頂だ。
今またユースホステルのこども・若者の体験の場としての機能を再興するのも悪くない。そのことによって、想像以上に多くのこども・若者に有意義な居場所を提供することができるだろう。

民放の朝の情報番組で、奥多摩での「外国人」(そう、わざわざ外国人と名指ししていたのだ)による「無断バーベキュー」のことを報じていた。朝の全国ネットの番組で報じるほどのことなのか?日本国籍を持たないひとへの憎悪を煽って視聴率を稼ごうとしているように見える。怖いことだ。

政府の補助金がなければ、ガソリン価格がリットル210円台に上がっていたであろうことが資源エネルギー庁により想定されている。とはいえ。ここで補助金を出すことが長期的によかったのかは疑問が残る。今のようなガソリン依存を続けられないことを考えると、短期的な痛みは伴っても、ガソリン価格を高騰するに任せた方がよかったのではないか。ガソリン価格高騰が、大規模なエネルギーシステム改善の機運を生み出したかもしれないことを考えると惜しいことをした。

ただ、わたしはとりわけ都市部ではもう少し公共交通に移行してもいいと考えますよ。それが国全体でのガソリン消費量を引き下げ、自家用車がないと移動できない地域のひとが助かるのだから。個人的にはNAVITIMEおすすめ。細かな路線バスまで出てくる。無料でも結構使える。地図で目的地付近のバス停を調べたら、そのバス停までの乗換検索をすると意外なショートカットルートが出てくる。便利だ。

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