念のため書いておくと、業界事情に詳しくないほとんどの人はあの書店の記事を読んで取次やばいな、と思ったでしょうけど、取次の利益配分は平均10%にも満たないんです(大まかに書店20%出版社70%くらいとイメージしてください)。出版社はその70%の中から社員の給料と印刷製本代やら原稿料やらを捻出しますし、本屋も同様に各種支出があり、当然取次も同様です。10%にも満たないところから、です。そして基本は「本屋への納品も本屋からの返品も送料は取次負担」です。
取次の利益になる条件は「本屋で売れた本」のみで「本屋で売れずに返品された本」はプラマイ0ではなく行き帰りの送料分赤字になるんです。だからあの手この手で返品を減らそうとするし、あの手この手を拒まれたらどこかで手数料を取るしかなくなる。つまりあの記事は、「とりあえず取次を悪者にしとけばいい」となりがちな業界人の悪癖が無自覚に出てるものなんです。
結論:こんな社会状況じゃ、業界内で誰かを悪者認定しても意味がない。
クィアの自叙伝を読みたいし、「グラフィック・ノベル」という形態の本を読んだことがないので読みたい、のだが残り1ヶ月で支援金額が目標金額の50%以下である……!
一口¥1000から支援できるほか、一般販売予定価格よりも安い価格で書籍のリターンのあるプランもある
『Gender Queer』の日本語訳を読みたい方、この本が日本語話者に読まれてほしい方、お金に余裕のある方がいたらぜひ支援してほしい
自分で決めたジェンダーで生きる『ジェンダー・クィア』を翻訳出版したい!|Thousands of Books|GREEN FUNDING https://greenfunding.jp/thousandsofbooks/projects/7575
渋谷PARCOにあるDOMMUNEで2023年9月26日(火)19:00〜23:30に開催される「WAIFU @ SUPER DOMMUNE #4」に参加します。
会場参加は2000円。
わたしはトークパートでの参加ですが、DJタイムや、シドニーのクィアコレクティブ「Club Chrome」のポールダンスアーティストLinhqのパフォーマンスも楽しみ。
トーク前半は、 マイノリティのセーファースペースとしてのクラブカルチャー史、後半は「クラブシーンにも広がりつつあるトランスフォビアについて緊急ディスカッション」で、わたしは、文化・芸術における差別意識や偏見、デマの拡散とその影響力や、7月に参加したドイツのクィアな音楽フェスWholeについて話す予定です。
後半テーマは、最近、毎年行われている野外音楽イベント「ラビリンス」を主催している「MIndgames」の共同創設者が、トランスの人々に関するデマの拡散やそれに伴うラビリンスの出演者たちの出演辞退が発端です。
https://mixmag.net/read/multiple-djs-pull-out-japan-festival-the-labyrinth-after-founders-anti-trans-rights-comments-news/
単に問題を起こした人を糾弾するだけでなく、何ができるか? も考えられたら。
『線場のひと』
https://to-ti.in/product/frontlines
戦後直後、日本にいた、愛し合った女ふたりと、アメリカ兵二人を主軸にした、いたましく濃密な漫画が無料で連載されているのでみんな読んでくれよな……
まさしく「わたしの知りたかった戦後」のお話。
児玉雨子さんの江戸文芸〝沼〟本『江戸POP道中文字栗毛』(集英社)をお送りいただきました。むちゃくちゃ面白かったです。江戸時代にこれほど奇妙な物語が書かれていたのかという驚きと、それらを現代につなげて紐解いてくれる語り口の面白さ、批評性、裏付けの確かさ。9月26日頃発売だそうです。
倉橋由美子短編集の編纂の仕事で、小説論のエッセイ集も読んでいるんだけど、
「カミュやサドは悪書なのに、社会に問題提起したと解釈されて不本意な形で存在を許されている」「文学はアウトサイダーであるはずなのに、現代では正しい倫理を説くことを期待されてしまっていて云々」
的な記述があって、あぁ、こういう考え方が昔はもっとあったな…と思い出したりした。
小説に限らず、お笑い…落語とかも…?(急にあやふや)
小説とまったく同じではないだろうけれど。
芸人という、社会の外にいる立場からお上に楯突いてみせて庶民をワッと笑わせ、不満のガス抜きをする。これはガス抜きであるから、社会を変えるわけではない。舞台が終われば、そのままのあいも変わらぬ体制の中に観客を返していく。そういう形で実はお上と協力関係にある。変化を促さないわけだから裏で保守と相性がよい。
みたいなのもあるかなぁ…
凝り固まった一般論を一度ひっくり返す、物議を醸すのが芸術だという論もあるけれど、その先に変化を促す運動なのか、元の日常に戻すつもりで変えたくはないのか。
この二つは、違う者たちなのでごっちゃにしてはいけないのかな…んー…
反差別の総量=まなざしの総量を増やすこと、その質を高めることが私の仕事だと考えるのならば、こういうのもありだろう。と思ったので始めます。前々からぼんやりと考えてはいたんですが。
ZINEとかの質をもう少し高めたいね、というときとかぜひ。リンク先の条件は叩き台なので、希望の条件あれば気軽にどうぞ。
@notfromsakhalin 時が経つのは早いですね……改めてよろしくお願い致します。
@notfromsakhalin いえ、お気になさらず……単純に「そうなんだー」と思ったというぐらいのことでしたので。