いつものひとが相変わらず差別をばら撒いているようですが、
LGBTQ+差別にも部落差別にも歴史修正にも戦争にも反対し、選択的ふうふ別姓に賛成し、
性別を問わない結婚式を行なっている神社/神職・神主/神社関係者もたくさんおりますので、
神道/神社と紐付けずに報告・通報をお願いします。
https://twitter.com/urakawakiyo/status/1781611119620259874?s=46&t=W6JFOp-IuiLQhD_im3POJQ
TRP関連で「半裸がダメなら裸祭りはいいのか」みたいなの大量に流れてくるんだけど、許されているどころか全然毎度めっちゃ叩かれてるし、何なら明治〜昭和の統制宗教期で性神信仰とかと一緒に弾圧されて断絶したものも多くて、今あるのの大半が戦後に資料(口伝ばっか/戦火でほぼ消失)やらなんやら必死でかき集めてどうにか一部復活させたようなのばっかりなんで、軽々しく引き合いに出してくれるなよと思っています
あとSW差別もぽんぽん流れてくる うんざり
謝罪もせず「研究させろ」とは何事か アイヌ民族と研究者の初対話から考えた「知りたい欲求」が持つ暴力性:東京新聞 TOKYO Web https://www.tokyo-np.co.jp/article/322683
動物虐待も種差別も動物への搾取も勿論即刻なくすべきで、そこに議論の余地はないんだけれど、
こういった行事というものは往々にして「奪われたものを取り返した」「奪われゆく中で守り抜いた」「完全に取り返せず現在も交渉している」ものであることも多く、
「お前らから守るためにリソース使ってなかったら、こっちだってもっと自分たちの問題改善に力入れられてたんですけど?」と奪われていた/現在も奪われている側としては思うものだし、
大体奪った側は(奪っていいと思うほどに相手とその営みを軽んじている/奪ったことを覚えていないので)「おめーらまだこんなことやってんの?遅れてんな。ダメダメ、全部やめろ!」みたいな態度で来ることが多く、
その行事がなぜあるのか、誰が誰のためにやっているのか、何をどのように改善すれば動物虐待をせずに本来の目的を達成できるのか、
そのアップデートのための丁寧な検討や議論やトライアンドエラーができる場(とその場を得るための時間や情報)が数十年数百年分奪われたまま、
マジョリティの力で行事もそのまわりに連なるものも根こそぎ消滅させられることが多く、どうにかならんのかと常々思っています。
そもそも、批判は「行為そのもの」のみを対象にすれば成り立つものなので、わざわざ行為主の属性なり特徴なりに嘲りの意図をもって言及する必要はないでしょう。それらに触れる必要があるのなら、差別や愚弄にならないように慎重にすべき。「アホなことやってる奴を馬鹿にして気持ちよくなりたい」という無自覚な快楽追求欲に飲み込まれてはならない。
完璧な作品なんてものは無いとわかっているが、一つのマイノリティ属性の描き方が良いほど、他のマイノリティ属性が酷い描かれ方してると「どうして?!」と思ってしまうというか、全方位に最悪な作品よりも「出来るのにやってない」のだとわかる作品の方がグロテスクに見えてしまうんだよな、特に後者は「出来ている部分」を評価されるので。
ある作品の「女性表象が良い!」のは事実でも他のマイノリティ表象がポンコツだと困るというか、そういう作品が「社会派かつ良い作品!」として評価されたままだと、人種的マイノリティかつ女性などのダブルマイノリティは取りこぼされたままじゃん、という。
登場人物たちの属性の表象が全部最悪だとさすがにコケることが多い(ステレオタイプ一辺倒にしてしまうと面白さがないから)ので、わざわざ批判もする必要なくて何か言うにしても「クソです」で終わらせる(話題にして注目度を上げる方が悪影響ある)が、評価されている作品に一部問題があるときは放置する方が悪影響あるので「いやいやここに問題ありますよ…」と声を上げたい気持ちが抑えられず、結果として私は常に話題作の文句を言ってる人になっています。
私は話題作のマイノリティ表象について常に文句を言ってる人です。よろしくお願いします。(開き直り)
「民主主義国家でございます」という体裁をアピールするために先住民族の権利宣言採択しないわけにはいかないから(入植型植民地主義政策が十分に果たされ今更独立やら自治やらあり得ないし面倒くさい主張してきたら圧殺すればいい)アイヌ民族を先住民族として認めてあげるけど、決して"先住民族の権利主体""植民地主義の被害者"としてではなく、あくまで"物珍しい伝統文化の後継者"程度としてしか認めない、という現代的レイシズム的な現代的植民地主義政策を行い続けているのが今の日本国。
まずとにかく、アイヌ民族と琉球民族は先住民族の権利主体でありその先住権を保障しない、否定するというのは植民地主義政策である、ということを明らかにし共有していかないといけない。
「宗教」を「奇矯な者たちの特殊な何か」だと思っている方々の頭の中の『信仰を持つ者』、「騙され搾取されているが洗脳(洗脳とは?)によりそれに気付けなくなった教祖(教祖とは??)の哀れなコマたち」と、「哀れな弱者を洗脳し奴隷にしている教祖という名の詐欺師」の二種類で構成されていることがよくあるので、本当にどこから話をしたもんだかな〜〜という気になる
(そしてその認識にご自分では気付いていないということもよくある…
目の前にいる長年あんたのお友達してたはずの私は一体そのどっちに見えているんです?と訊いてやっと「アレ?」と思ってもらえたりもする)
(その時点でこっちは「友達やめようかな」という気にまあまあなるが、そこで表立って付き合いをやめると「宗教のせいで人付き合いができなくなった者の実例」扱いされる危険性が割とあるのでそれも業腹である)
「ふつうの者は宗教なんかに関わりなどないはず」という差別的な思い込みがまずあり、
しかし実際には(普通だろうが普通でなかろうが普通かどうかに意味があろうがなかろうが)私も貴方も誰もが各々の関わり方で宗教や信仰と共に暮らしているため、
自分の中で「ふつうでない」と線引きしたものをとりあえず宗教にブチ込んで遠ざけておける、という宗教ゴミ箱システムが出来上がっていることが、(少なくとも本邦の)宗教差別の原因のひとつなんだよな、と思います。
神社関係者 あらゆる差別に反抗🏳️🌈🏳️⚧️🕊️
同性パートナーと暮らすノンバイナリ
宗教差別に反対する文を書いていますhttps://books-lighthouse.notion.site/LGBTQ-698f92b99c454d6aa801b1aa2527b01d
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