森見登美彦『有頂天家族』「大文字納涼船合戦」読了。
むごい話だった。
大文字焼の夜、下鴨家は空に船を浮かべ観覧するのが慣わしだったが、その船は親族間のトラブルで焼失した。なんとか工面して新たな空飛ぶ船(赤玉先生の茶室)を借りることに成功するが、その茶室はまたもや親族トラブルで残骸となるのだった。
大文字焼きの夜を飛ぶ、その場面はとても良かったんですよ。過去の栄華は取り戻せないまでも、故人を偲び、甘やかだった過去を懐かしむ。
でも、どうしてそのまま終わらせてくれなかったんだろうか。一夜ぐらい、一夜ぐらいは甘美なままで終わらせてくれてもいいじゃないか。
赤玉先生が出てくると、わたしの情緒はメタメタになる。赤玉先生的に、下鴨家の家族イベントに参加するの、勇気の要ることだったと思うんですよね。その、絞り出した勇気が踏み躙られたのが、こう、こう、な!
下鴨家、それぞれの狸の思いも踏み躙られていて。どうしてこんなにむごい話を。
偉大な父親に食われる息子がわたしのヘキのひとつなので、矢一郎お兄様はいいですね、いいですね、たぎります。
#読書
森見登美彦『有頂天家族』「母と雷神様」読了。
優しくて、悲しい、寂しい話だった。
下鴨家次男の矢二郎は、狸社会から脱落し、井戸で蛙として生きている。
社会から脱落したものにも居場所があるというのは、これは救いだと思う。だけど、脱落したものは、脱落なんかしたくないんですよ。
矢二郎兄さんも、蛙になりたかったわけではなく、ただ狸ではいられなかっただけで。狸でいられるのなら、狸でいたかったんですよ。
雷が鳴る時、母上の胸裏にはちゃんと矢二郎兄さんもいるのですが、矢二郎兄さん本人としては物理的母上の側に居たいんですよ。でも、そうできない。
どうにもできないものは、諦めるしかない。諦めたところに、救いはある。救いが確かにあるこの話は優しい。救いは井戸という形で既にもたらされている。矢二郎兄さんには居場所がある。だけどわたしは、この救いの形がとても悲しく寂しい。
あー、あと、矢二郎兄さんは夢野久作の三男みたいだなあ、と思った。
ああいう人に居場所があって生きていけたというのは、わたしにとっては救いだけれど、本人的にはどうだったんだろうな。どうしようもないこと、どうにもできないことはあるよね。
#読書
クリント・スミス『場所からたどるアメリカと奴隷制度の歴史』読了。
アメリカのプランテーション史跡を巡る旅行記。面白かった。
作者が訪れた土地、語り合った相手の描写が細かく丹念にされているのだが、特に光の描写が印象深い。全体的に光に包まれた印象の本だった。
建国の父、トーマス・ジェファーソンのプランテーションのガイドツアーから始まるのですが、これが物凄く突き詰めてくる。奴隷とは何か、奴隷制度とは何か、奴隷制度の何が問題か、歴史とは何か、歴史を語るとは何か、歴史を保全するとは何か。正直、まだ受け止めきれてはいません。
独立宣言で「すべての人間は生まれながらにして平等であり」と謳いながら、そこに黒人は含まれておらず、ネイティブ・アメリカンは考慮のうちにもない。
トーマス・ジェファーソン、紛れもなく人格者だったと思うのですよ。そんな人でも奴隷を鞭打ち、家族を引き裂き、40も齢の離れた娘を性交渉の相手にする。えぐい。
#読書
ヘミングウェイ『キリマンジャロの雪』「フランシス・マコンバーの短い幸福な生涯」読了。
登場人物は、資産しか取り柄のない臆病な夫と、失われつつある若さと美しさしか取り柄のない妻と、案内・指南役として雇われたハンターの三人。
三人が三人ともお互いを軽蔑していて、じわじわ嫌な話だった。
アフリカに狩猟旅行に来た夫婦と、案内役のハンター。表面上は和やかに過ごしている。ライオンに怯え逃げ出した夫を見下げた妻は、ハンターと不貞を働く。夫は不貞に気付くが何も言えない。翌日、夫は克己し水牛を追い撃つが、妻に撃ち殺される。
事故か事件か。わたしは事故だと思うのですが、作中のハンターは「なかなかえらいことをやりましたな」とか言うんですよ。「もちろん、これは事故です」とも。何もかも分かってますよ、といった調子で。ちくしょうめ。それに対して妻は「やめて、やめて」と繰り返すばかりで。
#読書
ヘミングウェイ『キリマンジャロの雪』「キリマンジャロの雪」読了。
“キリマンジャロは、高さ一九、七一〇フィートの、雪におおわれた山で、アフリカ第一の高峰だといわれる。その西の頂はマサイ語で、“神の家(ヌガイエ・ヌガイ)と呼ばれ、その西の山頂のすぐそばには、ひからびて凍りついた一頭の豹の屍が横たわっている。そんな高いところまで、その豹が何を求めて来たのか、今まで誰も説明したものがいない。”
アフリカへ狩猟旅行に来た作家は、ちょっとした掻き傷が元で壊疽を起こし、死の床についていた。そこで自分の人生を回想する。
冒頭のエピグラフが最高!完璧!美しい!この孤高さよ!もう、これ、エピグラフだけでいいよ!
エピグラフと本文の落差が甚だしい。いやあ、でたん読みづらかった。
本文は、作家の現状と、作家の回想とせん妄、そこからの作家の小説の構想が綯交ぜとなっており、今何を読んでいるのかすぐに分からなくなる。この混乱は意図的なものだと思う。
#読書
ヘミングウェイ『キリマンジャロの雪』「白い象のような丘」読了。
よく晴れたスペイン南部の見晴らしのいい駅の横の酒場のテラス席で、アメリカ人の男女がビールなどの酒を飲み、手術をするだのしないだのと会話をしている話。
ビールが美味しそう。
野坂昭如は「男と女のあいだには/深くて暗い河がある」(『黒の舟唄』作詞:能吉利人/作曲:桜井順)と、酔いどれてドブ川の風情で男と女の関係を歌ったのですが、ヘミングウェイは光に溢れる景色の中で白々と男と女の関係を書くのだなあ、と思った。
野坂昭如のほうは「誰も渡れぬ 河なれど
/エンヤコラ今夜も 舟を出す」と歌うのですが、ヘミングウェイのほうはそんな歩み寄りなんかなくて、女に 「あたし、別にどうもしちゃいないわ。いい気分よ」と言わせるんですね。胸糞悪い。
それはそれとして、ビール美味しそう。
#読書
小川哲『ゲームの王国』読了。
これ、感想か難しい。自分なりの再解釈・再構築が難しい。
上巻は1975年のクメール・ルージュ。下巻は半世紀飛んで2023年(近未来)での、脳波を使ったオンライン対戦ゲームの開発。
お話としては、ボーイ・ミーツ・ガール。一瞬しか邂逅しないけれども。
ゲームとルール、記憶と物語、なんかそこら辺がキーワードだと思うのだけれども。
ルール、みんながルールを守れば、幸せになれる。ゲームは構造的にルールの逸脱を許さない。
現実は、ルールを守らない者、ルールの裏をかく者、ルールの解釈が違う者が混在している。
記憶、記憶はあったことをそのまま記録していない。抽象化された概念が記憶され、それら概念が思い出として再構築される。概念が再構築されたものは、物語とも呼ばれるかもしれない。
同じ概念でも、人によって再構築される物語は異なる。大枠は同じでも細部に差異は生じている。
繰り返し思い出された記憶は物語として固定化される。物語化された記憶は、他人との共有も可能になる。
ロン・ノル政権下では、ルールがなかった。ポル・ポト政権下ではルールが徹底された。国民議会体制下ではルールはあるが、守られていない。
で、この『ゲームの王国』はどういう物語なんだろうか。
#読書
『たくさんのふしぎ』2023年10月号「いろいろ色のはじまり」読了。
とても勉強になった。顔料と染料の歴史がすっきり分かる。気持ちいい。
載っている色の作り方は、青・緑・赤・黄色・紫(白・黒・茶色と、コチニール色素の作り方の記事も欲しかった!)。
プルシアンブルーの作り方が載ってたけれど、何をどうしたら、あの作り方に辿り着いたのかしらね。
色の本なので、フルカラーでありがたい。
#読書
ついったーの永久凍結が解除されました。
おたくらしいですよ。基本的にやる気がないです。フツーにダメ人間です。今特に腰を据えてるジャンルはありませんが、ときどき何かをぽつぽつ書いてます。オススメ本とかは常に募集中です。
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