藤高和輝さん
“学生と接していると、「多様性の時代だから差別は良くない」と考える人は多いのですが、「差別を受けている人はかわいそう」と、自分の存在や社会構造とは切り離した理解で止まっている印象をよく受けます。本当に重要なのは、そもそもマジョリティーに有利に設計されているいびつな社会構造と、そのいびつさによって守られている自らの特権を認識することです。それが欠けていることに、私は危うさを感じています。
反対に、社会は基本的に「フラット」で「平等」であり、「一部の心ない人が差別をする」という誤った認識は根強い。時代を理由にした認識から、社会構造を問う認識へとアップデートする必要性を感じます”
→ 「今は多様性の時代」という言葉の危うさ 問うべき社会の構造とは
https://www.asahi.com/articles/ASS343HFVS33UPQJ001.html?iref=sp_photo_gallery_above
#国際女性デー タグつけとくね💛
なぜ、僕らが「受け入れてもらえる落としどころ」を提案しなければならないのか。
なぜ、彼らは感情論で僕らの在り方を阻害するのに、僕らが傷付いたり腹を立てたりするこの感情の発露が窘められなければならないのか。
なぜ、「そんな風に感情的になっても意味がない」「そんなことよりもっと生産的な議論をする必要がある」「愚かな感情論を相手にしても無駄」と、僕らのこの傷付きや怒りの発露が、無駄なものとして閉じ込められなければならないのか。
なぜ、僕らは、行儀よく知的で論理的であらなければならないのか。
なぜそうしなければ認められないのか。
Threadsを見ていたら
「ここ10年くらいでインターネットは過去の情報をアーカイブ化したり文脈化したりするのではなく、目の前の刺激に急激に反応してはすぐに忘却されていくという、より消費速度の早いマスメディアみたいな場所に急速に変化してきているような気がする。」
という投稿が流れて来て、ここ10年くらいなのかは分からないけど、俺がインターネットを始めた25年前くらいの時は個人が少しずつ持ち寄った情報が集積されて誰でもアクセス可能な膨大なアーカイブが誕生すると思っていたのだけど、いま過去の事を検索しても運営者が居なくなったりなど様々な要因で過去のデータは綺麗さっぱり無くなっていたりで紙に印刷された情報よりも耐久性がないのかもと愕然とするこの数年ですわ。
そうそう。
差別言説をする人を「知らなくて」講師に採用してしまった全てノ企業は、丁寧にその経緯や落ち度や何が問題であるかを示したひょうご部落解放・人権研究所を見習うべき。
「当研究所が、牟田和恵さんの言説をトランスジェンダー女性に対する差別を助長するものであり人権侵害行為だと判断するに至ったから」
とキッパリ明記している。
http://blrhyg.org/sogokenkai20240312/sogokenkai20240312.html
アカデミー賞におけるRDJの態度
よく欧米の映画やドラマで目にする、そして実体験としても見聞きする「アジア人を常に使用人扱いする白人」をあの大舞台で明確にやってしまうことに驚いた。うわぁ、これがあの、噂の!!って感じたった。
あの「無視」が意図的か無意識かはもちろん問題ではない。意図的ならアジア人なんかにトロフィーをもらうことが不満だったのだろうし、無意識なら普段からアジア人にあのような態度を取っているのだろう。
バックステージでは仲良くしていたとか、そんなことはどうでもよい。頼むからキーホイクァンが「僕たちは仲良しだよ!」とフォローするような流れだけは起きないでくれと願う。いつもマジョリティだけが許され、援護され、マイノリティがしりぬぐいする時代は終わらなきゃダメだ。
昨年はエブエブ旋風が吹き荒れ、アジア系の俳優が賞を次々と獲得していった。それがどれほど大きな意味を持つことだったのか、キーホイクァンのようなアジア系俳優がこれまでハリウッドでどう扱われてきたのか、非常に分かりやすく説明されてしまった。昨年の受賞風景を今見返したら、きっと感情が爆発してしまうだろう。
アカデミー賞2024がバックラッシュすぎて怖い
去年だって『ナートゥ』の受賞に対する会場の反応がわりと冷ややかだったり、ハリウッドでの性加害を描いた『シーセッド』やハリウッドにおける黒人排除の歴史を扱った『ノープ』が完全に無視されたりと、もちろん問題点はたくさんあった。
それでもインド映画から初めて『ナートゥ』が楽曲賞を取ったし、映画界でのセクハラにより活動を休止していたブレンダン・フレイザーが復活したし、エブエブのアジア旋風が巻き起こった。新しい時代を感じさせてくれた。
それが本当にさ、今年はなんなんだよお前ら。未だに堂々とアジア系を差別して、パレスチナを無視して、バーベンハイマーをネタにして、だっせーわ。ふざけんなよ。
アカデミー賞2024がバックラッシュすぎて怖い
今年は例年と違い、俳優部門は5人のプレゼンターがそれぞれにノミネート俳優を紹介する形式だった。
興行としてのアカデミー賞は視聴率低下に悩んでおり、プレゼンターが増えれば出演するセレブが増えて視聴率も上がるという単純な期待だったのかもしれないが、これが最悪な効果をもたらしてしまった。白人がいかにナチュラルにアジア人を軽視するのか、映画界最大級の祭典で露骨に表れてしまったのだ。
本来なら昨年旋風を巻き起こしたエブエブのアジア系俳優が、著名な白人俳優にトロフィーを渡す象徴的な場面になるはずだった。ところが受賞者が本当にナチュラルに、トロフィーを持っているアジア系を無視/軽視して顔なじみの白人とキャッキャするのである。ああ、去年の受賞は本当に大変なことだったのだと実感する。こんなの実感したくなかったよ。
https://www.youtube.com/watch?si=9BUHilS6NK0PmZOK&v=oh3_Z7sI01Y&feature=youtu.be
今回のアカデミー賞は嫌なことが多すぎたので、最後に元気の出る動画を張っておきます。
パレスチナで虐殺が進行する中、親イスラエル姿勢を明確にするハリウッドに対してアメリカ国内でも抗議の声が上がっています。アカデミー賞も批判の対象となり、会場の近くで行われたプロテストの影響で一部のスターは到着が遅れました。
そんなわけで遅れて到着し「ごめんね、遅れたよ! パレスチナのプレテストがオスカーを止めたんだ!(拳を上げて連帯表明) Humanity Win!!!」と叫びながら流れるように記者団に向かって行き発言を始めるマークラファロ。
今日の授賞式を見ると、一貫して停戦を求めているリズアーメッドやマークラファロがいかに勇敢であるかを実感します。
https://news.yahoo.co.jp/articles/d2f7a5e33e2df109fa979aa46356b2b1680f3969?source=sns&dv=sp&mid=other&date=20240302&ctg=ent&bt=tw_up
ぎょっとするレベルで嫌な内容だった。手話は目新しいダンスじゃないし、障害者は健常者さんに新しい感覚を与えるための道具じゃねえんですわ。
東日本大震災のとき、石巻とかに自警団が現れてたよな、と思ってググったらすぐに当の本人たちのブログが出てきた。
なんというか、遊び感覚だね。自分らが殺人一歩手前までいってることをまったくなんとも思ってないんだな。
そして警察も極めていい加減なことを言ってる。止めろよまず。馬鹿なのか。
https://ameblo.jp/sasara-gym/entry-10853695379.html