なぜエヴァンスに
また夢の話なんだけど、なぜかクリエヴァ(ただし一般人)とデートの約束をしている夢を見て、目が覚めてからおかしくて笑ってしまった。なんでデートすることになったのか不明だがこっちが予定に遅れているとものすごく長文のハイパーテンション高いメールがきてそれをなぜか盗み見てアンタ男と会うのか!と怒りまくる母(そういえば昔はあんなだったなあ……)を尻目になぜか口元の産毛を丁寧に剃っているところなんかをくっきり覚えてる(自分で書いててなにそれキモい) メール返信せずに直電してごめーん遅れた今から出まーすところで家どこだっけ?とタクシーに乗ってるところで目が覚めた オシマイ
出だしのあれはもちろんクリスティの「なぜエヴァンスに頼まなかったのか」だが、クリスティはあの膨大な作品数そのものももちろんすごいが、あれだけの作品すべてにタイトルをつけてるところもすごい いやタイトルつけるのって大変じゃないですか なんか文字にすると変だなこれ
PodcastでNHKのニュース聴いてると、ものすごい頻度で猛暑と熱中症と大雨の話ばかりしているにも関わらず原因として語られるのが気圧とか前線の話ばかりで気候危機にはまったく一言も言及されないので現在進行形のプロパガンダを直に感じられる
しつこいほどにトランスフォビアであることが知られている億万長者イーロン・マスクが所有するSNS「X」のレポートによれば、今年にヘイト行為を理由に停止されたXアカウントはわずか2361件で、2021年に停止された件数より99.7%減少していることが判明。いかにイーロン・マスク体制のXは差別的な投稿に無頓着で、それを放置しているかを示しています。Xには「差別をする言論の自由」がありますが、「差別の被害を受けている人の言論」は常に脅かされている状況です。
https://www.lgbtqnation.com/2024/09/x-is-suspending-users-for-hateful-conduct-99-less-often-than-twitter-used-to/
小学校の頃で聞いた戦争に関する加害体験の記憶(私がしていいか分からないが、私も毎年思い出すほど記憶に残ったので)
そのお話に来てくれた方が一番記憶に残ってて今も夢に見ると仰ってたのが、2名の中国人男性を上官に銃剣で刺して殺すように命令されて磔にされた同僚と2人で1人1人ずつ刺して殺した、その人達は民間人だった、という話だった。同僚が刺す方の方は泣いて必死で中国語で「何もしていない」と言っていた、と(話者の方は中国語が分かる人)。自分が刺す方の方はじっとただこちらを見て睨むわけでもなく呆然とするわけでもなく「今から自分を殺す私の顔をしっかり覚えていようとしている」と思った、と仰っていた。その後2人とも簀巻きにして川に流し、その遺体が包まれた簀巻きがぷかぷか流れていく様子が目に焼き付いていると、最後の方は涙を押し殺しているような声でお話されてたのを覚えてる。戦争体験を話す機会には必ずこれを絶対に話す、今もきっと彼は私を見ている、私のする事をじっと見ていると思ったら絶対に話さなければいけない、話さずにはいられない、と仰っていた。
私も戦争の被害体験は教科書や資料集、毎年のニュース等で観ていたが、加害体験を話す人に出会ったのは当時初めてだった。夏に限らずよく思い出す。
私が考えるに、コンテンツで歴史を扱うのは、その制作者が自己の責任と認識で行えばよく、それに対して歴史学者も自由な立場で批判なり評価なりをする、まさしく言論の自由を行使することが大前提だと思います。だから私も自己の責任で #ところで艦これ厨は滅ぼされねばならない と発信しました。
ぶっちゃけていえば、日本では艦これはじめ歴史上の人物や事象を何でもかんでも美少女化している――弥助もすでに褐色美少女化の厄に遭っているようです――状況で、他国のコンテンツに四の五の言える資格がこの国にあるんかいな、と思います。みんな勝手にやれば宜しい。それが人種差別でない限り。
もちろん、コンテンツに歴史修正主義的な内容が入ってきたら、それは厳しく批判され撤回されねばなりません。場合によっては(欧州とかでは)権力の介入もありうるかもしれません。でもそれは「学問的に間違いだから」ではなく、「人権問題だから」です。そこははき違えてはなりません。
率直に言って、この後半の記事で呉座さんが述べていることは、極めて歴史学にとって危険で、その存立を揺るがせかねないことです。「間違った歴史認識の修正は国主導で」と見出しにありますが、歴史認識を国家の権力で押し付けることは、学問の自由を損なうものです。大変問題といわざるを得ません。
「歴史的事実を正確に伝えるのであれば」といいますが、ごく単純な事実関係ならともかく、ある程度解釈に入るようなことを国家権力が「認定」すること、それを対外アピールに使うこと、それを歴史学者が片棒担ぐことは、学問の自由な発展に反するものでしかありません。大変問題です。
さらに言えば、もし仮に「間違い探し」活動を国家ぐるみで世界のコンテンツに対して行った場合、起こることは日本に関する認識の深化ではなく、「日本は面倒だからコンテンツ展開やめとこう」という、イメージの悪化とジャパン・パッシングでしかないでしょう。目的に対しても合理的でないのです。